日本海と出雲の姫

 

 

部屋の外は、闇。

 

ベランダに出ると、暗闇の中に波の音がゴーっと響いて白波が立つ。水平線が月明かりに浮かんでいる。どこからともなく白波が生まれ、こちらへ向かってくる。一人で誰もいない夜の日本海と向き合う。吸い込まれそう。だけど不思議と恐くはない。ザー、ゴーという音を立てては大きく強くなって近づいてくる白波に、「かかってこい!」と心の中で身構える。けれど波打ち際で消えて無くなる。その繰り返し。不気味な高揚感に頭の中が熱くなる。

 

日本海は静かに、私にパワーを与えてくれる。

 

 

やっと、島根の両親に会いに来れた。今夜は実家には泊まらず、日本海の海岸に立つ宿をとって一人で居る。腎臓にガンを持っている父を疲れさすことはできないので、様子を見ながら1日過ごした。母は、(これが最後になるかもしれない)とコロナも心配だけど、私に会って欲しいと思ったらしい。実家を離れて40年、実家の玄関のドアを開けるのに、こんなにドキドキしたことはない。私が見たことのない痩せ細った父を見ることになったらどうしよう。

 

恐る恐る開けて入ると、やはりただならぬ邪気を感じる。私はお嫁さんをして“シックスセンスのもち主“と言わしめている。いわゆる空気を読むのは苦手だけど、こっちの空気は読めてしまって困る時がある。喫茶店でもホテルでも、味やサービスの良し悪しの前に、磁場の良し悪しが私のセンサーに触れてくる。私が喫茶店やホテルに入って、急にテンションが上がっている時は、磁場が良い証拠だ。レビューに書いてあげたい。「磁場が良い」と。

 

邪気の気配いは当たっていた。玄関にお迎えはなく、(1年ぶりの娘の里帰り、往復3万円、宿代別途だと言うのに)そのまま台所に向かうと、腹が減りすぎて、生き血を吸われたようにげっそりとした白髪ボサボサの老夫婦が黙って座っている。そして「腹減ったー。寿司はまだかー。」と第一声。確かに、寿司を買って行くとは言ったけど。

 

寿司と桜餅のお土産を、ぺろっと平らげると、やっとトーク炸裂。お医者さんへの不満、ヘルパーさんへの愚痴。コロナへの不安。。。それ以上聞かすな父。あんたは全く大丈夫だ!シックスセンスの私が太鼓判を押す。出雲の姫の方が説得力あるかな。

 

来て良かったよ。安心した。吐き出すだけ吐き出すと、前向き発言が出てきた。代替療法でまだ頑張りたい、と。呼吸、瞑想、食事療法、自分なりに試してみたいと。

 

桜がきれいだった。高台にある実家から見下ろすと、小学校の庭には満開の桜。集落を囲む山々にも自然の桜が咲きほこっている。それをバックに、毎回恒例の両親の記念撮影をした。

 

ここは間違いなく磁場がいい。

 

 

日本海は、いつも私にパワーをくれる。

25年前、この学習塾を始める前、前職の右脳開発の幼児教室の仕事にストレスを感じ、疲れ果て、故郷に帰りこの海の前に立った。水平線が視界一杯に広がり切れることがない。どこまでもキラキラした凪の海。「好きなように生きなさい」と背中を押してくれた海。磯の香りを胸いっぱい吸い込んで、私は心を決めたのだった。

 

一歩を踏み出そうと。

 

 

 

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朝のベランダから


 

 

『手が届く』幸せ

 

 

今日ブログがかけるように、昨日、一昨日と頑張って仕事を進めた。仕事しながら考えた今日のメニューは。。。

肩がバシバシに凝っているお向かいのアパートのマッサージの先生に施術してほしい彼は視覚障害がある→彼のシックスセンスエピソードがショッキング視覚障害といえば中2の英語の教材にユニバーサルデザインついて書かれているユニバーサルデザインといえば、私ちょっとトリビアあるんだぁ→教科書といえば、この春の教科書改訂、えっらいことになってるおしまい。

 

という筋書きを描いた。今朝になり、いつものようにまず珈琲飲みながらブログ探検を始めた。なんせ、今までブログはもちろん、ネットニュースとかFacebook とかの発信に触れたことがない。洗練されて、カッコイイ記事が色々あることを知る。マイ文明開化。

 

なんか、待てよ、と思ってしまった。

肩がバシバシに凝ってんのは事実だからよし。でも、ユニバーサルデザインとか、書くなら少しは調べなきゃなと思ったら、ちょっと面倒くさくなった。教科書改訂の件も、書き出したらキリないし。ある人が、ブログは自分が困ったことをどう解決したか、を書くのが基本と言っていた。解決できるのかなぁ、これ、とか思ってしまう。

 

ここで思考が行き詰まる。んじゃ何かけばいいの?

 

 結局、なんか私って、大波が来る心配のない入り江で、浮き袋でぷかぷか浮いて、のほほんとしているみたい。目線の遥か先には大海原が広がっていて、大きな船が見えている。大海原に出るには、装備が必要だ。その装備をコツコツ準備して、いつの日か航海に出るぞ!ってタイプじゃない。

 

 感覚的創造力とか言えばカッコがつくけど、要は小手先。自分の手の届く範囲内を出ようとしない。

 

『手の届く』は、私のこれまでの人生のキーワードだ。

 

私が子どもの頃憧れた暮らしがある。それは貸し漫画屋さんのおばあさんの暮らしだ。

島根の父は、一家で東京にいた頃、新聞社でジャーナリストの端くれだったことを活かして、実家の島根に帰って、ささやかな家族経営の新聞社を立ち上げた。その事務所を松江に借りていた。私達きょうだいは日曜日になると父の事務所で1日を過ごしたものだった。

 

その事務所のお隣が貸し漫画屋さんだった。兄、姉はわからないけど、私は、そんなに漫画は好きじゃなくて、それより、店主のおばあさんの暮らしぶりを、一日中でも覗いていたいくらいだった。店舗の奥に3畳くらいの畳の部屋があって、きちんと片付いて、全てのものが揃ってる(ように見える)。石油ストーブがあって、その上で食事の煮炊きをしている(ようにしか見えない)。じっとしてたらお客さんがお金置いていって、そしてなーんでもここでできる。

 

8歳くらいの私は、うっとりとその暮らしを眺めた。ズボラとは違う。自分だけの世界を構築しているおばあちゃん。そんな憧れ。

 

 

さて、大海原か、入り江か。2択でもないし、即決することでもない。

まあ、きっと私のことだから、そのうちこの入り江に腰を据えて、煮炊きできるストーブと、ハサミとか印鑑とか裁縫セットとか、一気に収納できるカラーボックスとか、ついでに据えちゃって、夕日が綺麗だなぁとか言ってんだろうな。

 

まあ、大海原に繋がる入り江までは出てきてことを良しとしよう。

 

いや、案外ユニバーサルデザインについて、ガッツリ調べて、考察、まとめ、みたいなクールな記事書き出すかもしれない。

そしたら、コイツ、装備し始めたか、と思っていただいて大丈夫です。

 

 

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みなさんに感謝。

 

20日の祝日から、3月いっぱい春休みをいただいている。

受験生を無事送り出し、年度の変わり目ということで、恒例の長期休みだ。

 

例年だと、この長いお休みを無駄に過ごしたら後悔するぞという強迫観念に追い込まれ、毎日何かしなきゃ、とワタワタする。

 

今の私にはブログがある。楽しい。ハマりすぎだ。マズイぞという後ろめたさもある。皆さんの記事を読んだり、自分のを読み返して反省会をしてると、あっという間に時計の長い針が回る。ヘタをすると、この長期休みずっとこれやってるんじゃないか。小学生の夏休みで言うなら、8月3日あたりの登校日の前夜の、「えー、もう8月!でも、まだ3日だし。」というところだろうか。

 

実際、今日の予定は4月の授業計画を作る日、と数日前から決めていた。とりあえず、朝食のパンを食べて、んじゃ珈琲のもっか、って。じゃ飲む間だけ、とブログ探険を始めた。いや、天気もいいし、リアル散歩に行くべき、と白自分が促すのに、黒自分が私の指をタブレットの画面に運んでしまう。

 

そういえば、数年前のお正月。主人と大喧嘩をした。原因は主人のゲーム熱。私は、正義か否かが、人として最重要事項と思っていた。ゲームを知らない私には、ゲームは非正義!とにかく堕落していると映る。誰より身近で、大事な、私の旦那さんがゲームばかりしているのが悲しくてしょうがない。普段より時間のある正月休みになると、なんか口喧嘩になっちゃってた。その年は凄まじかった。その論理の筋は、はっきり覚えていないけど、「私にはゲームばかりのあなたが理解できない。まるでピンク色のスーツを喜んで着ている人のように、私の価値観から遠い。」みたいなことを言ったら、主人が「わかった、どちらか選べと言うのならおまえしかない。」的なことを言って、いきなり玄関へ行ってスマホをコンクリに叩きつけ「でも、俺は心の中で、ずっとピンクのスーツを捨てることはできないからな。」みたいなことを言った。ピンク愛好家の方には申し訳ありません。林家ペーパー子さん。そうして、その年の夫婦喧嘩劇場ースマホゲーム編ーは子ども達の連携で、父にスマホとゲームの継続設定がプレゼントされて幕を下ろした。

 

今、二人で黙々とタブレット向かっちゃっています。主人も、しめしめと思ってるかもしれない。ゲームやりながら「今日のブログはどうだったぁ」とか、様子伺をしてくれる。やれやれ。20歳で出会って、大恋愛で結婚して、40年の歳月はお互いを空気のように居て当たり前の存在にしてくれるのですね。

 

 

今日は私の記念すべき?50本目の記事となりました。先輩方のブログを拝見しながら、自分のやりたいことを模索してみようと、今日はちょっと形式を変えて、チャレンジしてみました。また、英文法の記事もなんとか進めてみたいと、意欲を持っています。

 

こんなに楽しいのは、読んでくださる皆さんのおかげです。記事を公開して、しばらくすると、皆さんのスターが、「来ましたよ」と合図をくれる。もうアイコンでわかる方もあるし、あれどなただったかな、とアイコンにタップして、その方のブログに行って、そうでしたね、と。それを繰り返すうちに、アイコンとブログがマッチしていき、お友達が増える感じ。そこが何よりモチベーションになっている。

 

毎回読んでるよ、と言ってくれるお嫁さんと娘にも感謝。ありがとう。

 

今日も訪問してくださった皆さんに、心から感謝いたします。

ありがとうございます。

 

 

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私の仕事の糧 〜子ども達の成長〜

 

 

学習塾を始めて25年。

毎年この3月は、

卒業生が近況を知らせに来てくれる。

 

お寿司屋さんに行っても、焼肉屋さんに行っても

「あ、先生!」

と大学生になった子達が、

バイト先で私を見つけて声をかけてくれる。

 

スタバで注文を告げた時、

目の前の、綺麗なレジのお姉さんに

「先生!」と言われた時は

「どなたでしょうか。。。

全くわかりません、ヒント下さい。」

と言いそうだった。

 

まさに至福の瞬間だ。

大きく立派になってー。

 

***

 

 

子ども達の言葉は、

優しい言葉も、元気な言葉も、悲しい言葉も

清らかだ。

裏に計算がない。

 

 

***

 

A君は、中3の夏期講習から入った。

ダンスが好きで、成績は5段階の2もちらほらの

勉強嫌いだった。

 

しかし、彼も奇跡を起こした子の一人。

グングン伸びて、2だった教科が4になるという

急成長を複数教科でやってみせた。

 

短い期間だったけど、濃い時間が過ぎ、

彼は卒塾の時、手紙をくれた。

 

 

僕はこの塾に入る前までは

学校の先生達を好きではありませんでした。

でも先生に出会って

僕達にスーパー熱心に教えてくれる姿を見て

学校の先生達も、

自分が真面目に話を聞いたりしていないだけで

本当は、先生のように教えてくれているのではないかと思い

真面目に話とか聞いたら

学校の先生達も熱心に教えてくれていることに気づき

感謝することができました。

 

 彼は、夢を実現させて美容師をしている。

小さい頃から

美容室を営んでいる叔母さんの姿を見て

・年齢に関係なく、いつまでも向上心を持って

 成長し続けられる

 ・髪の毛だけじゃなく、愚痴やお話を聞いて

 お客さんに癒しを与えられる

からだと話してくれた。

 

まだ、シャンプーボーイだろうが

彼のシャンプーなら極上だろう。

 

 

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勉強できた子も、苦手だった子も

私の記憶の中では、それは個性に過ぎない。

 

 

 ***

 

学校の成績はボロボロで

ちっとも勉強せず、

なんか義理人情話であいつと言い合ったなぁ

彼は、夢を実現させて、

トヨタのテストドライバーをやっている。

 

ガンガン勉強して

大学の時英検1級とTOEIC870点をとった子は

ウチのバイトで修行して

高校の英語の先生になった。

 

 東京オリンピックで役に立てるようにと

土木関係で、全国飛び回っている子。

英語通訳でボランティア目指している子。

 

色々な個性が、生き方があることを

教えてもらう。

 

***

 

学校の成績が人生に重要なのか。

それは、樹木のようなものだと思う。

収穫物が成績ならば

土壌も肥料も水も、環境も含めて

大切だ。

それらに感謝し、育てた日々の苦労も

大切な宝物として

人生を支えてくれるのではないだろうか。

 

 

 

“はてなブログ“ という学び

 

インプットしたらアウトプットすることの重要性

 

#今年、学びたいこと

#今年、学びたいこと
by Udemy

 

 私がはてなブログを始めたのは今年の元日。

テーマにぴったり、元日の決意だった。

 

 

60歳になった年末、

老後に向けての準備を意識し始めた。

どんなに老いても向上心を忘れたくないし

仕事、移動の自由、など手放さざるを得ない時が来ても

喪失感に負けないように、何か学びを持っていたい。

 

 ならば、手をつけ始めなければ。

 

ふと、ブログはどうだろうと思った。

コロナのステイホームも、何かの縁だった。

 

とにかく60歳の元日という

これ以上にない節目を逃すな!と

考える前に、エイやと踏み出した。

 

私がこれからブログを通して学びたいことは

  • 根気強く、地道に続けること
  • ネットの発信のいろはを学ぶこと
  • 先輩方のブログにもいっぱい触れること
  • 伝わり、読みやすい表現を磨くこと

 

そして、60歳のひよっこブロガーが 80日の中で

実感したことは、自分が変わり始めたこと。。。。

 

 

 ***

 

 

まず、私がこれまで手をつけた趣味を振り返ってみる。

すると私の厄介な性格の一端が見えてくる。

 

30代〜50代。

音楽、占い、スポーツ、、、、。

思いつきで始めるが、全てやりっぱなし。

 

基本、足並みを揃えるのが苦手だし

やったり、やめたりすることに

空気を読まない。

 

そして、何をやっても優れて脚光を浴びる

ということはない。

 

そのポジションは気楽だけれど

そのポジションにいながら

ニコニコして「皆さん凄い」と心から言えるほど

人間ができてはいない。

 

むしろ、言えない自分の

なんてジコチュウでちっぽけな人間なんだ

という思いに苦しみ、向き合い続けた。

 

 

結局、私の学びの歴史

物心ついたときから始まった“自分が嫌い

から抜け出そうとする『あがき』の歴史だ。

 

 

それでも、哲学、宗教思想、、

求めると出会うことができた。

学ぶことは楽しく、

その教えが心にささり、高揚して

新しい自分に生まれ変われる気がしたものだ。

 

なのに、

同じようなことにぶつかると

結局同じように悩んでしまう。

変わってない、成長していない自分にがっかりする。

その繰り返しだった。

 

 

***

 

 

今、変化を感じる。

自分がその歳になってみると

60歳が定年だったり

節目であるのがわかる気がする。

 

やっと軽くなってきた

 

 

子どもを育て上げ、

自分たち夫婦が暮らしていければ良いんだと思うと、

お金より時間が大切に感じられる。

 

なにより、

人と比べることの意味を感じなくなってきている。

「 頑張ってもオババだからね」と気楽に思える。

 

 

人より何を多く持ってるとか、少ないとか

知りようがない。

自分の何が人より恵まれているか、不利なのかとか

比べようがない。

 

でも、

今の自分は幸せだ

根拠なく言い切れる天然な力が湧いてきている。

 

 力まずに、

あるがままの自分

それでいいと思える。

 

 

***

 

 

この変化について、年齢の他に

もう一つ言えることは

哲学を学んでも、宗教思想に触れても

インプットだけではダメだったんだ

ということ。

 

ブログを通じて

アウトプットしていること

60歳という年齢に関係なく

効果大なことだったと思う。

 

 ***

 

 

言葉の達人になりたい。

 

湧き上がる感情を

安っぽい表現で押さえ込めば

偽善に聴こえてしまう。

 

やるせない思いを

可哀想というだけの同情を得る表現で

満足したくない。

 

 

 

いっぱい学んでインプットして

自分にしかできない表現で

アウトプットしていきたい。

 

 

60歳からの挑戦の始まりだ。

 

 

 

愛を測るものさし

 

 

学生時代、障害児ボランティア一筋だったので

灰谷健次郎さんの本は、私にとってカンフル剤だった。

 

だれもしらない

だれもしらない

 

 

 

まりこが一日のうち、外へ出て歩くのは、四百メートルほどだ。八時四十五分きっちりに通学バスがくる。それに乗ってまりこはM養護学校に行く。

  まりこは小さい時の病気がもとで、筋肉の力が普通の人の十分の一くらいしかない。歩く時は、普通の人の十倍の力を出さないといけないわけだから、まりこが歩いているときの格好は、うんと激しい踊りを踊っているようなのである。

  まりこが歩いていると、色々な人が色々なことを言うのだった。
「大変でございますね」
「がんばってね」
 お母さんにもまりこにも、はっきり聞き取れる声の人は、そのようなことを言った。二人によく聞き取れない声の人は、
「おぶってやればいいじゃないか」
「あれじゃ日がくれる」
などと言った。お母さんを悲しませ、決してまりこに聞かせたくない言葉をはく人もあった。二百メートルを四十分もかかって歩く子は、何にも楽しみがないと思うらしかった。

 

まりこには

ゆっくりしか歩けないからこその

楽しみがあった。

早く歩いていたら見過ごしてしまうような

毎日の景色の小さな変化を観察すること。。。

 

 

でも、

私がいつも心のポケットに入れていた

大切なお守りのような言葉は

この本の表紙の裏に書かれていた。

 

『人をどれくらい愛しているか

測るものさしはないけれど、

人をどれくらい愛しているかは

人をどれくらい理解しようとするかです。』

 

学生でお金がなかったので、買えなかったけど、

心の中に刻んで、書店を出た。

以来、ずっと私を支え続けてくれた言葉。

 

 

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『人を愛すということは、人を理解すること』

それが、私の信念だった。

 

 

このことを書いてみようと思ったのは

昨日の娘との電話がきっかけだった。

 

娘の電話は、

やっと酷いつわりの時期を抜け出せるかな

というもの。

 

「とにかくぼーっとしていなさい。

お母さんが心配しているかな、

とか、考えなくていいから。」

 

と言った自分の言葉にハッとした。

娘は、中学生の頃から脳疲労を起こしやすく

よく寝る子だ。

 

それは、人を理解しようと

頭をフル回転させてしまう癖のせい

に他ならない。

 

 

 

そんな、うちの娘と同じ感じだな

という生徒が塾の子にも多い。

 

最近の若者(という表現は曖昧だけど)は

優しい。

ふわっとしているようで、

人を理解しようと努力を惜しまない。

 

それが生きる上での大事なスキルになるのか。

 

障害の有無、ジェンダーの問題、社会的格差

SNS等から発信される様々な問題を

無意識に自分の問題として取り込んでいるのか。

 

小学生が輪になって話しているので、

何話してるの?と聞くと

「学校のコミュ障の子をどう受け入れるか」

だそうだ。決して悪口ではないと加えていた。

 

 

多様性を、身をもって受け入れようと

する時代の子達だ。

 

 

*****

 

さて、私は団塊世代のひと世代下だ。

 

正義、負けない、揺るがない、

って自分を鼓舞して頑張ってきた。

 

 

  でも

最近の子たちを理解しようとする程に

ゆるーく、回り道もいいかぁ

と思えるようになってきた。

 

回り道をしたからこそ見える

違った景色がある。

 

 

今こそ

『人を愛すということは、理解すること』

をすぐお隣の大切な人のために

実践できているのかもしれない。

 

 

 

4歳の君の今日は どんな日かな

 

 

私のニックネーム banchan は

 

4歳の孫が、言葉を発し始めた頃

私のことを

「ばあちゃん」ではなく「ばんちゃん」

と呼んだところからつけた。

 

私はそれをとっても気に入っている。

 

 

 ばんちゃんの名付け親は

不思議な力を持っている。

 

先週末、

私の父が老人ホームにショートステイが決まった。

誰もが通る道だろうけど

親の老いを受け入れるのは複雑な想いがある。

 

しかしながら、実家は遠い。

顔を見に駆けつけることもできない。

想いばかりが胸の中で重く沈む。

 

 

その夜のこと。

11時半にLINE電話の呼び出し音が鳴る。

テレビ電話は孫からだ。

 

慌ててタブレットを開きビデオマークをタップすると

即座に

「ばんちゃーん」

 

なんでこんな時間に起きてるの?

明日も幼稚園でしょ?

と、こちらが聞く間もなく

 

「ばんちゃんに絵本読むよ。」

と言って、私がプレゼントした絵本を

すでに膝の上に置いている。

 

『何もしたくないカエル』の話を

覚えたセリフで一通り「読み」終わると、

絵本をそっと閉じて

やり切った感じで

 

「ばんちゃん、バイバーイ」

と、静止画になる。

 

なんだったの?

一人の家で、

昼間の父の電話の声に沈んでいる私の姿が

あの子の脳裏に映ったの?

 

 

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私が一人で

東京の孫のところに遊びに行った時のことだ 。

 

2泊3日を充分に楽しみ、

3日目の午後、帰り支度を始めると、

彼はぐずりだす。

 

眠たいけど、僕はばんちゃんを見送る、

けど、眠たい、いや、寝てたまるか

けど、勝手に瞼が閉じていく。

 

新幹線ホーム、

ついに彼は、睡魔との戦いに勝って

ここに居てくれている。

 

彼なりの作戦があった。

パパの抱っこだと寝てしまうから

ばんちゃんに抱っこしてもらう。

 

しかしばんちゃんは、

体力的に老いているから長くは保たない。

から、前パパとやった “しり、、なんとか“

って言葉遊びで喋り続ける。

 

作戦は成功した。

 

私が乗る列車がもうホームに入っていた。

3歳だった彼が

「ばんちゃん急いで」

と私を心配する。

 

出発まで、まだ5分くらいあって

普通なら、その5分、

乗り込んだ帰る人と、ホームで見送る人の間で

間が持たない。

 

仮に恋人同士でも、窓越しに会話ができない、

見つめ合うしかない。

 

でも、彼は、5分間をずっと話し続けてくれた。

じっと私から視線を逸らすことなく。

 

聞こえないし、

マスクをしているので口も見えないけど

一生懸命話し続けてくれていると確信して

私も視線を逸らさずうなずき続けた。

 

 

大人同士だったらきっとできない。

 

生まれたその日から、

その時の自分にしかない素晴らしい今日がある。

 

彼はその澄んだ眼差しで

今日も、今日という日を吸収しているのだろう。

 

 

 ありがとう。優しい心を。

 

 

 

 

自分を生きるということ

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

土曜日の夜、

令和2年度の中学3年生の最後の授業が

滞りなく終わった。

後は、高校の合格発表を待つ。

 

緊張と期待を胸に

彼らの新しいステージが開かれる。

 

 

 

 

 

 誰かの後ろについて、

同じ様に真似をして生きても

それはうまくはいかない。

 

自分は自分を生きなければいけない。

 

 

仮に生きづらさ感じているとしたら

それは、自分を生きる 一歩手前。

 

がんばれもう少しできっと見つかる。

 

その違和感を大切に。

 

自分を愛してくれる人に出会ったり

自分を生かせる道に出会えれば

きっと 自分を生きる が見えてくる。

 

自分を生きる には、内申点はない。

大丈夫だよ。

自分が良いなら、それが良い。

 

 

ふたつと同じものの無い

たくさんの個性と出会えて、感謝です。

 

 

 

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辛いことがあったら

覚えておいてね。

 

その辛さを止めるレバーを君は持っている。

レバーは君が持っている。

 

だから、辛さを恐れないで。

止めることができるのは、君なんだから。

 

 

辛さを誤魔化しながらも、頑張ることが大事なんじゃなくて

その時その時の自分の気持ちとキチンと向き合うことが

大事だと思う。

 

どんな出来事も人生の味付けなら

しっかり味わって、大きく育ってください。

 

 

「この窓」からみんなの活躍

見守っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜の午後のひとりごと

 

 

土曜日の昼下がり、

年度替わりの作業的な仕事をしながら

撮り溜めたテレビの録画を見た。

 

まず、長瀬智也の「俺の家の話」に号泣。

私にタイムリーなお話だった。

 

 

前向きなお話が好きだ。

背中を押して貰えるような。

よっぽど “フレー フレー“ と言って欲しいのか。

 

それは否めないかな。

午前中のスタッフミーティングで

新年度のスタート時生徒数が伸びない話をした。

 

「いや、私も60歳だし、一旦休息ってことかな。

あるいは、私のやり方が時代遅れなのかもしれない。

けど、方向転換する気はないし。

また、私のやり方が重宝がられる時代が来るまで

待つよ。」

 

なんて、スタッフに話した。

嘘でも強がりでもない。

でも、清々しいわけでもない。

 

 

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それから、短いドキュメントを見た。

8歳の男の子が、父親に野球がしたいと話す。

 

運動音痴な男の子と、それを応援する父親の

7年間の記録だ。

 

劇的なラストがあったわけではなく、

 

不器用な普通の男の子が、中3になり、

最後の試合で、

夢だった初めてのホームランを打つのだが

 

そのありふれたホームランで

感動を与えられたのは

8歳から二人三脚で頑張ってきた父親だけ

だったかもしれない。

 

全米が涙するようなお話ではない。

 

 

人気ってなんだろう。

人から支持されるってなんだろう。

 

親子は誰も知らないところで

淡々と毎朝休まず練習を続けた。

 

それは、多くの人に感動を与えるためではなく

目の前の大切な人のためだけに向けられた

何かのために。

 

期待に応える、でもない。

あえて、言葉にさえしない。

淡々と。

 

 

 

私もこの親子のように

仕事をして来たんだと思う。

 

学習塾の生徒数が増えようが減ろうが

多くの人に支持されようが、

そうでなかろうが

 

最終的には

頑張る私の背中を、2人の子ども達に見せていたい。

 

自分の好きな仕事に信念を持って

時には落ち込みながらも

やっぱり自分のやり方で諦めようとしない

 

私の背中が、子ども達にそう映っていて欲しい

それさえあれば頑張れる。

 

 

 

野球の親子を7年間頑張らせたものも

信頼の絆だったのだと思う。

 

諦めるんじゃないぞ

諦めないよ

 

二人を支えたのは、野球選手になる夢でも

最後にホームランを打つことでさえなかっただろう。

 

 

 

 

昭和菓子パン事件!

 

 

それは、古き良き昭和の時代の

まあ、なんでもありの時代の

純朴な田舎の、小さな商店で起こった

私の思い出のお話です。

 

 

 

私が暮らしていた集落の中心部には

小学校と保育園と診療所がまとまってあり、

そして東西に1本だけの動脈と言えるバスが

1時間に1本だけ通る、

言ってみれば心臓部にあたる場所に

その商店はあった。

 

村の人たちにとって、

そこは1軒しかない大事なお店であり、

食料品、日用雑貨、、、

なんでも買いに行った。

 

 

 

なんでもありといえば、

学校の先生もだ。

 

その日、実験に使うのだったか

脱脂綿の用意がないことに授業中に気づいた担任が

N君に買って来て、と頼んだ。

 

N君は、キング オブ “純朴な田舎の子“。

先生に頼まれ、校門前の商店へ走る。

 

ところが

12歳の純朴なその少年の心の中にも、

常日頃から年相応に好奇心とムラムラが渦巻いていたのか

「脱脂綿」というワードを忘れてしまい

代わりにお店の人に、口をついて言った言葉が

うかつにも、それ だったのか

 

あるいは、

その商品の意味することを知らなすぎて

店を見渡し、脱脂綿はこれだろうと

指差しして、これ くださいと言ったのか。

 

息を切らして帰ってきたN君が

先生に差し出したのは

生理用ナプキン だった。

 

12歳の子たちの教室で

一番触れてはアカンやつだった。

 

大人になった同窓会で、

あの一件を、やっと笑いながら話した。

 

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昔は、正月三が日に食べられものは

本当に、餅とおせちだけだった。

特にウチは神主なので、火で焼く料理はご法度だった。

 

それでも、

口の中が高度経済成長期世代の子ども達は

贅沢というかジャンクフードを知っていた。

 

おせちにも餅にも、うんざりし始めた

1月3日の夕方、お使いで商店に行った。

 

同じ理由か、

おせち以外のものを買いに来たらしいお客さんで

狭い店はてんやわんやだった。

おばちゃんは、1人で全てをこなしていた。

 

そこへ

そのおばちゃんの保育園児の長男が

へそを出して、腹をぽりぽり掻きながら

店に現れる。

 

母は忙しいのだ。戦場だ。

「お母ちゃん、お腹減った」

「おもち焼いておいたでしょ」

おばちゃんは、手を止めず顔も向けず答えた。

 

客は、順番を待っている。

 

「嫌だ、おもち」

・ ・ ・」  母は無視。

 

菓子パン食べたーい」と

長男が店のショーケースの菓子パンに手を伸ばした

その時

 

客の対応にてんやわんやで、

長男の言葉を無視していたおばちゃんが反応した、

 

そんな古いパン食べたらだめ!

 

と、叫んで制止した。

息子の腹痛と、商店の信頼は

とっさに天秤にかけることができなかったのだろう。

 

 

でも、私はさほど驚かなかった。

 

だってそれ以前に、

そこで、おやつに菓子パンを買って

いざ食べようとして、封を開けた瞬間に

プーン とハエが飛び立っていった、

という衝撃の経験がある。

 

ネットもないし、クレイム なんて言葉もない

私はただ、ゲッ と言ってパンを捨てただけだった。

 

少女の口が固く

地元製パン会社の命を救ったのかな?