ヒーローになりたい

今週のお題「やる気が出ない」

 

 

※この記事は以前も書いた、息子と仕事のお話です。

 

tenebo.hatenablog.com

 

 

先日、寝苦しく明け方まで寝付けなかった。

諦めてタブレットとイヤホンを取って来て、横で寝ている主人を起こさないように、そっと川上ミネさんのピアノを聴く。

 

途端に頭の蓋がカパっと開いて脳が解放されていく。

寝苦しさの中で、どんなに頭と身体が萎縮していたかがわかる。

 

すると、日中送られて来た息子一家の動画が空に流れ出す。

幸せな風が、脳の中を抜けていく。

 

その動画は、

長男4歳が、部屋の隅の方からスタンバイしてカメラに向かってくる。

ママに抱っこされた長女5ヶ月が、キャッキャっと興奮する。

ママが「パパの方向いて」と優しく促すと

長男が、真剣そのものにキレッキレッの、ウルトラマン決めポーズを次々繰り出す。

 

もう、見なくても頭の中で再生される。笑えて、癒されて、脳の中がジーンと温まる。

 

 

***

 

例えば誰か一人の命と 引き換えに世界を救えるとして

僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ

             Mr.Children  『HERO』より

 

 

3人を黙って映す息子は、ウルトラマンになり損ねている。

平凡なパパだ。

長男は何よりウルトラマンにキラキラの眼差しを向けるけれど、残念ながらパパはウルトラマンではない。

 

世界の平和より、この3人を全力で守ることだけだ。

 

この歌詞を聞くと、息子が幸せであることがイメージとなって、私は勝手に感動してしまう。

主人が父となった時の気持ちは、簡単には想像できなかったけれど、ずっと見てきた息子が父となり、私達と似た喜びを味わっているんだと思うと、ジンとする。

 

 

f:id:Tenebo:20210520131911j:plain

 

 

小学5年生の後期、息子は生徒会長に立候補した。

立候補者は二人だけの一騎討ちとなり、事実上人気投票のようになった。

息子は負けた。

けれど、自分の心には負けていなかった。

次の6年前期、再び立候補する。

ポスター書きも小物作りも「手伝おうか」という申し出は受け入れず、一人でやりきり、当選した。

 

高校の陸上競技生活。

雨の中のラストランも、ストップモーションのようにゆっくり流れているようだった。

努力にご褒美をくれる神様はどこにいるんだというくらい本番に力を見せつけられない。

 

いつもヒーローにはなれない。

けれど、簡単に報われることのない努力が、息子にとことん努力の仕方を学ばせた。

 

そんな姿を、私は人として尊敬している。

 

***

 

けれど努力の虫は、社会人になり、努力する理由を失い、バランスを崩してしまった。

人の上に立ちたいわけではなく、何かで成功したいわけでもない。

 

当時、やる気を失っていた息子に「好きなことを仕事にすれば良いんじゃない」と何度か言った。

でも、息子は「そうだね」とは決して言わなかった。

息子が求めていた生きる力の泉は、自分が好きなことを貫いたからといって得られるわけではない気がしていたのだろう。

 

 今も息子は、ヒーローではない。

つまらないことに腹を立てるだろうし

ソファーで口を開けて寝てることもあるだろうし

 

上司の期待に応えようと、必死だろうし

頭を下げなきゃいけないことも、たくさんあるだろう。

 

僕の手を握る少し小さな手 

スッと胸の澱みを溶かしていくんだ

 

 

  

***

 

 

でもヒーローになりたい ただ一人君にとっての

つまずいたり転んだりするようなら、

そっと手を差し伸べるよ

 

 

昼間、長男とウルトラマンごっこをして、徹夜で仕事して出勤する。

世界の平和どころじゃないけど、

かっこいいと思うよ。

 

 

そして息子が、子どもたちを見つめる優しい眼差し。それを与えてくれたお嫁さんに、いつも心から感謝しています。

 

ありがとう。

 

※この記事は、『新しい朝がきた』の続編になります。

 

tenebo.hatenablog.com

 

 

1980年代、空前の好景気バブル時代に入るちょっと手前。

私達はそれぞれの道に就職した。

 

主人は家業を継ぐ時の修行にと、関連する業種の営業職に就いた。

私は、学生時代に全力を注いだ児童福祉の道しか考えられず、児童養護施設に就職した。

 

二人の距離は県を跨いだ。遠距離となった。車で3時間。

 

 

***

 

その頃の日本は、ぐいぐい動いていた。

多くの人が、恐れることなく自分を主張していた。

ネットという監視がまだなかったからだろうか。

好きなファッションで、自分らしさをアピールする。

 

私が担当した中高生の男子達は、そんな時代のツッパリくん達だった。

 

私は、と言うと。

中学ブラスバンド部、高校帰宅部、、、窓際で友達の様子を眺めているタイプ。

決して、ヤンクミ ではない。

 

***

 

事件はしょっちゅう起こっていた。

私に彼らをまとめる力量はない。でも、がむしゃらに頑張ってしまう。衝突する。

その繰り返し。

 

40年も前の養護施設には、「作業の時間」があった。

日曜日の午前中、各寮毎に施設の手入れをする。

私には、ダルがる彼らを動かせない。

 

でも、私は負けたくない、弱音なんか絶対吐きたくない、「私一人だってやってやる!」

草刈りの日は、電動草刈り機を担いだ。

肥え汲みの日は、二つの桶を天秤で担いで何往復もした。

 

 

ルールを守らせようとするたびに衝突し、殴られアザが絶えなかった。

回り道をして、わかってくれる日を待つ、というスキルを持ち合わせていなかった。

他の人はもっと遠巻きに距離をとって人と付き合っているんだ、と知ったのは、その30年も後のことか。

 

ただ、両親のさまざまな事情でこの暮らしを強いられている子ども達に、「大人はみんなずるい、信用できない」と思って欲しくなかった。不器用かもしれないし、彼らに良い方法ではなかったろうけど、ずるくない大人がいること、信用して欲しいと言ってる大人がここに居ることを全力で示したかった。

 

時々、「あれ、俺のパジャマ洗濯してくれたんけ!」とか「お前だけやぞ、朝からニコニコしとんの」と自分こそニコニコと言ってくれたりすると、「よし!」と心でガッツポーズ。

 

彼らは、卒園後、社会人になって嬉しいサプライズをくれた。

それなりに、私の体当たりな関係作りは、彼らの心に届き、時と共に熟していったのかもしれない。純粋な子たちだった。

 

 

f:id:Tenebo:20210516164522j:plain

 

 

その事件は、日曜日の夜起こった。

 

テレビは10時に終了という決まりだった。

もちろんYouTubeもないこの時代、日曜日10時のテレビを見なければ学校で話題についていけない。見るなと言うのは酷な話だ。

消しに行けば猛反発を喰らう。だから職員は日曜日の10時、職員室に集まってしまう。

 

辛い、怖い、、、葛藤の中でも、突撃してしまうのだ、私と言うやつは。

 

案の定、全員がテレビの部屋に集まって、テレビに注目している。

「10時だよ。テレビ消すよ。」

「うるせえ」「帰れ」「あっち行け」「ボケか」「ぶっ殺すぞ」罵声と共にそこらじゅうのものが飛んでくる。

 

負けない。

「そんなに見たいなら、園長先生に自分たちからきちんと話つけなさいよ。こそこそしないで」

と、踏み込んだ瞬間。

ボスのYが、首を振った。(やっちまえ)

全員が馬乗りになってきた。私はヤンクミではない。終わったと思った。

 

Yの「やめろ」の低い声で、全員部屋に戻った。

私は、恐怖でワナワナしながら、訳もなく誰もいない真っ暗な学習室に入り、掃除用具入れの影で声を殺して泣いた。

でも、呼吸を整え、「おやすみ」を言いに戻っていく。どこまでも負けず嫌い。

 

辛い。辛い。。。何が正しいか、もうわからない。。。。

 

 

 

その時、呼び出しの放送が入った。

「banchan先生、お電話です。banchan先生、お電話です。」

 

職員室へ行き、電話を取ると

「あー、俺。あのさ、園の坂を下まで降りてきて。」

 

行くとそこに、彼の車のテールランプが光っている。

駆け寄って乗り込むと

「お誕生日、おめでとう」

のサプライズの言葉。

ポットから注がれたコーヒーの香り。

ショートケーキの上で、1本だけのろうそくの小さな光が、暗闇の中で揺れていた。

 

片道3時間だ。

彼は時々スーパーマンだった。

 

スーパーマンは、私に起こったことを察したのか「よし!俺もここで働く」と宣言を残して、明日の仕事のために、3時間の道のりを帰って行った。

 

 

 

昨日・今日・明日

 

 

先日録画しておいた『日曜日の初耳学』を見た。

「インタビュアー林修」のコーナーが好き。ローラと対談する回だった。

 

先に、対談を終えた林修さんが語っていた感想を紹介したい。

「ちょっと眩しいと、悪く言いたくなる人もいるかもしれないが、この生き方ができるのは本当に素晴らしいこと。。」

 

はい、それ私。タレントとして日本で活躍していた頃は、「この子おちゃらけてるけど、賢い子だな」と、嫌いではなかった。でも、渡米し引き締まった身体をSNSなどにアップする様子には、冷めて引きで見ていた。

 

でも対談が終わった時、思わずテレビの画面に(それも録画)スタンディングオベーションしていた。

 

ローラが対談の締めに語ったこと。

自分は言霊を信じている。ネガティブなことを言えば自分に返ってくる。

結局は自分が選択したことで人生は成り立っている。。。と

「。。。嫌なことがあっても考えないようにすると、脳的にも勝手に考えちゃったりする。だから全部受け入れること『今日カッコ悪いこと言っちゃた』とか『傷つけたこと言っちゃた』とかいう時、『自分ってダメな人間だ』って言うんじゃなくて、『そういうことしちゃったけど大丈夫。学んだんだ、次から絶対良くなる』って言い聞かせるとよいことになる。。。」

 

それを受けて林さんが

「嫌なことやっちゃったけど、それから逃げるんじゃなくて認めた上で次へ進む。」

 

 

ローラは、とてもよく学び、自分のものにできているなと感心した。

素晴らしい教訓や思想も、自分が悩んで苦しんだところに降り注がれなければ、かすってもこない。彼女が何かから、力強く立ち上がってきたであろうことに、思わず拍手していた。

 

私が、キラキラしたローラに“鼻につく”感じを抱いていたのは、彼女の努力の賜物の引き締まった身体を見せつけられ、アメリカでの何らかの目標に突き進んでいく姿に、『自分はこのヌルいカンファタブルゾーン(居心地のいい場所)から抜け出したくない』ことへの、無意識の言い訳のようなものだったかもしれない。

 

逆にローラの生き方を称賛できたのは、ローラ的アクティブな生き方への嫉妬を手放し、自分なりの生き方を認めることができたということかもしれない。人は人、自分は自分。

案外、人に対して、妬みや僻みの感覚を持ったら、そこに自分理解のヒントがあるかもしれない。

 

 

f:id:Tenebo:20210513122743j:plain

 

 

 昨日、小6の授業で、Aちゃんの様子がおかしかった。明らかに元気がなく小さく見える。

授業後、Aちゃんに声をかけた。

「どうかした?」と言いつつ、すぐに言葉にできることでないのはわかっているし、長年の勘で大体察しはついている。

ちょっとのやりとりの後、自分の口から理由を話し出したら涙になってしまった。

 

ヨシヨシと頭を撫でて、得意なことがあって苦手なこともある、全然心配することじゃないと勉強面の話をした後、ローラのことを思い出し

 

「朝四葉のクローバー見つけました、ラッキー。給食は好きなものではありませんでした、普通。友達に少しだけ嫌なことを言われました、ショック。

Aちゃんにとって、今日は四葉のクローバー見つけた!と思えたらハッピー。今日は友達に嫌なこと言われた、と思ったらアンハッピー。

今日という日をね、晩ご飯と一緒に食べちゃって、それでトイレで出しちゃて、水で流しちゃうの。栄養として残すところは、ちゃんと知らぬ間にAちゃんの成長になっているからね。」

 

Aちゃんの顔にハッピーの笑顔を取り戻して見送ることはできなかった。

自分の力不足にため息。

 

 

 

アリもキリギリスも

 

 

主人とドライブをしながら、小田さんのDVDを見た。ゲストで出てきた財津和夫さんの名曲『不思議な黄色い靴』を二人でハモっていた。

 

休憩で入ったカフェで、「あの曲聴くと高校の文化祭思い出すんだよね。」と、主人がしみじみ話し出した。

文化祭のクラスの出し物を何にするか、話し合いが煮詰まっていた。彼は助け舟のつもりで、自分が趣味で取り組んでいた、コンピューターのプログラミングで『テトリス』っぽいゲームを作っているから展示したらどうか、と提案した。43年前だ。プログラミングなどできるのはほんの一部の“オタク”だけだったが、全員一致で、彼の案に決定した。

 

最初こそ数人は手伝ってくれたが、提案者の彼はB紙に説明文を書いたりで、連日徹夜で文化祭になんとか間に合わせた。

ところが彼のクラスの展示は蓋を開けたら人気度最下位。票は『魔法の黄色い靴』を歌ったバンドチームに持って行かれた。それどころか、クラスメートも展示そっちのけでライブの方に行っていた。

 

最後は自分一人で展示物の撤収作業をした。苦い思い出だった。

 

「俺って、どこ行ってもそういう役まわりなんだよな。」

 

この地域は、毎年2月の寒い時に、大鏡餅を奉納する。地域で役を持っている主人は、世話役になる。餅をつくことが一種のお祭りで、1日がかりだ。片付けの頃には日も沈み、全員がお疲れさんでお酒が回っている。

 

そんななか、主人は一人冷たい水で道具を洗う。。。。容易に想像がつく。

 

主人は、イソップ童話の『アリとキリギリス』でいうなら、アリの中のアリ、という人だ。

 

***

 

ドラマ『コントが始まる』を楽しみに見ている。

第3話 「奇跡の水」の有村架純の演技が素晴らしかった。

 

有村演じる里穂子が、妹と、解散が決まっているうだつの上がらないお笑い芸人『マクベス』の3人と一緒にたこ焼きを食べながらおしゃべりをしている。

 

ふと、里穂子が、精神的に追い込まれた1年半前の自分の状況を語り出す。言われたことは一生懸命やるタイプと自認する彼女に、理不尽な出来事が重なって、何がなんだかわからなくなったと。。。。

 

「。。。今でも、頑張るのが怖くて手を抜けるところは抜いてるんです。頑張って傷つくのが怖くて。。。でも何かを頑張ろうとする気持ちを恐れる日が来るなんて思ってもいなかったし、頑張らなくてもいい方を選択したこともなかったんで。。。」

 

 

 

f:id:Tenebo:20210507010802j:plain

 

 

イソップ童話『アリとキリギリス』では、勤勉であることを美徳としている。

冬に備えて懸命に働いたアリに対して、夏の間勝手気ままに過ごしたキリギリスは、冬に何も備えがなく、餓死という末路を辿る。

 

うだつの上がらない芸人『マクベス』の3人は、親達からしたら、キリギリスのようで将来が心配でたまらないだろう。本人達もそこに揺れ動く、微妙なアラサー世代だ。

 

イソップ童話では、キリギリス的生き方を真っ向から否定し、勤勉でないことを悪であるかのように子ども達に教え込むことに、今や違和感を感じる。

そのことは資本主義的価値観が見直され始め、新しい時代が来ていることの証だろうか。

 

逆に、

じゃあアリは、いつ楽しむの?と問いかけている本を読んだ。『DIE WITH ZERO』(持ち金を使い果たして死ぬ)経済学の本。

 

私は、これにも違和感を感じる。アリ的生き方だって、そんな単純なものではない。

ただ下だけ向いて餌を運んでいるわけではない。

 

 

哲学者 ミッシェル・フーコーが言った。

なぜ絵画や建物が芸術作品と言われ、私たちの人生はそうではないのでしょうか

個人の人生は、1つ1つ異なっていて美しく、いわば1個の芸術作品ではないでしょうか 

 

誰の生き方も美しい。

 

 

***

 

お礼

いつも、ブログにご訪問頂き、スター、ブックマーク、ありがとうございます。心から感謝いたします。この度おかげさまで300人以上の皆様に読者登録をいただきました。(因みに300人目娘が母の日のプレゼントに登録してくれました😅)

これからは、身体のことも考えながらのペースで、細くても長く、先輩方のペースを見習って進めていこうと思います。

これからも、ブログを学びの場として、またピースの合う仲間を探す旅として、愛していきたいと思います。

ありがとうございます。

 

 

「素敵」はなぜ「敵」なのか

 

 

皆さんの記事のコメントに「素敵な〜ですね」と書くことがよくあり、ふと思った。

「あれ、漢字間違えてないかな、褒め言葉なのに『敵』でよかったかな?」これも一種のゲシュタルト崩壊というのか。

偶然それに答えをくれる本と出会えた。

 

パズるの法則~奇跡は常に2人以上

パズるの法則~奇跡は常に2人以上

 

 

 

少し前に、ある人の記事で紹介されていて、早速買ってみた。ところが、どなたのブログだったか思い出せない。私は、いいなぁと思うとスターだけ残されて頂き、即オーディブルやアマゾンのサイトに飛んでしまう。この記事だけで2冊も買ったのに、どなただったか思い出せない。申し訳ありません。

 

 

この本の著者の一人、ひすいこたろうさんはコピーライターだけあって、短い言葉で、キャッチコピーの様に、上手く伝えたいことを表現されている。

 

ベースの考えが人は関係性の中で生きている、と言うもの。

 

『素敵』が『敵』と言うのは、賞賛と逆風が50%ずつの方が、天狗にならず努力するので、『敵』は必要。『陰』と『陽』の均衡が必要、とのこと。

 

ひすいさんは、欠点ばかりの自分のことが嫌いだった。「凹ばかりの自分じゃダメだ。もっと凸ばかりになる様に成長しよう。」と自分を責め頑張って生きてきた。

 

のちに、その考えの落とし穴に気づく。

でも、自分じゃないカタチになると、周りの人たちと繋がれなくなり、人生というパズルが完成されなくなる。

 

ありのままのカタチを受け入れるほどに、周りの人達と繋がり、自分という一つのピースが、実はパズルという全体の一部だったことに目覚めていく。

私達が周囲と繋がることで「他人の可能性」がそのまま「自分の可能性」になる。

 

※少し省略して抜き出してみました。

 

 

f:id:Tenebo:20210507162821j:plain

 

 

 

 小学4年生の時だった。

東京から島根県に転校してきた私は、人付き合いが苦手というのもあり、いつまでも自分は浮いていると思っていた。学校は苦手だった。ことあるごとにクヨクヨして、教室の隅に居た。

 

そんな自分を励ますために、子どもなりにこんなイメージを持ってみた。

 

『人生には、困難が壁のように目の前に立ち塞がる。

私はなんとか努力してその壁を乗り越える。そして一段高いところに私は上がる。

しかしじきに、また次の壁が現れる。またなんとかそれを登り、一段高いところに上がる。

そうやって、人生には繰り返し壁が現れ、それを超える毎に高いところへ行ける。

 

高いところに行けば、あたりを見渡せる。誰が頑張っていて、誰が困っているのか、よく見える。私のいくべき場所が見えてくる。

 

一方、その壁は回避して前へ進むことができる。

でも回避した人は低いままだ。大人になっても視点が低く、視野が狭い。自分の目先しか見えない。自分、自分と言っている。』

 

いつも、一人物思いにふけっている少女だった。

でも、これは小4から最近まで、私の考え方のベースとして変わっていなかった。

 

f:id:Tenebo:20210507161234j:plain


 

 

でも、『パズる』という生き方もおもしろそう。

高い志より自分をありのままのカタチで受け入れること。

周りの人たちの中で、その自分を活かしていくこと。

一人で『考える』より『意見を出し合う』こと。

 

 さあ、60歳からでも遅くはない、ピースがはまる仲間を探しに旅に出るか!

 

 

f:id:Tenebo:20210507162301j:plain

 

 

 

一期一会

  

今日出先の帰り道、立ち寄ろうと予定したカフェに、2軒もフラれた。予想より閉店が早かった。でも、珈琲がどうしても飲みたくて、一か八かで立ち寄った店が素晴らしかった。

 

大きな窓から、お城が見える。

店内は人が少なく落ち着いている。流れているBGMも心地よい。

主人のオーダー、チョコレートケーキは4層になっていて、一番下の生地にチョコフレークが使われている。サクサク。なのに上の3層はふわふわで甘すぎない。私は苺ミルフィーユをたのんだ。珈琲も美味しかったのに、コーヒーの存在を忘れて食べ進めてしまった。

 

幸せだ〜。

この店に導くために、2軒のカフェがフッテくれたのかな。

 

***

 

カフェの一期一会が、人生で何度かある。

 

島根の大根島にあるカフェ。高台にあり、中庭のテラス席から、小さな町が見渡せる。

“暮らし“を遠くに感じながら珈琲を飲む。

 

日本海の海岸に立つカフェ。全面ガラスで波の音が聞こえてきそう。

波の高さと同じ目線で、波を感じて珈琲を飲む。

 

どれも1度しか行ったことがない。また行きたいけど、同じ感動を味わえるかは分からない。

空の青さ、風の温度、自分の気分。。。そんなものが全部うまく揃ったこともあったのだろうから。

 

 

f:id:Tenebo:20210504232954j:plain

 

一期一会、ウィキペディアで調べてみた。

 

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉。

 

ブログも一期一会だと感じる。

今回いろいろ読ませていただいた皆さんの記事で、そうだ、そう考えれば良いんだと思えてきた。

 

 

自分は、それなりに「よし!」と思って記事を出す。でも、思ったほどの反響がない。何が悪かったんだろうと、考えても答えのないことに気持ちを持っていかれる。

 

 結局、自分が書いたことが読み手のどなたかにフィットする内容であること。

そしてゆっくり読んでくださる時間的余裕があること。

受け止めてくださる気持ち的余裕があること。

それらが揃った時、はじめて記事は複数の人に本当に共有して頂ける。

 

一期一会だ。

一期一会的ブログ、私はそれを目指したい。

 

コメントに、愛がある内容だった、とお褒めの言葉をいただき、本当にありがたい。

そして、気づかせて頂いた、私が愛を感じることだからこそ私は書けるのかも、と。

 

私が無理に吐き出すのも違うし、皆さんに無理に振り向むいてもらおうと思うのも違う。

 皆さんに読んで頂きたくて、自分なりに右往左往してきた。それが違う。

 

一期一会なんだ。

 

珈琲を感動しながら味わえるのは、幸せなことだ。かと言って、「さあこれで感動して」と言いつつ出されても困る。

 

 

空の青さと、風の温度と、誰かの求めてくださる気持ちが揃った時、

私の記事が、ちょっと幸せな気持ちを届けることができたら

冥利に尽きる。

 

私のブログのスタンスはそれで良いのかな、と5ヶ月目に入り思うのです。

 

 

 

新しい朝がきた

 

 

主人と休みの朝恒例のスタバへ行った。

 

日曜日とはいえ毎週末一緒に過ごせるわけではない。

主人は本当に走り回ってる人だ。

 

何ヶ月に一度、今朝のようなひと時が訪れる。

二人で、力まずに、けれど普段は話さないようなお互いの想いを語り合う。

 

私は、自分の学習塾で行き詰まってることや、逆に考えが開けてきたことなんか、、、話し出して頷きながら聞いてもらえると泣けてくる。やっぱり一番の理解者でサポーターだから。

私は、よっぽどでなければ人に相談するのが苦手。でも、ふとこの流れになる日曜日の朝のひと時が好きだ。用意して作れる空気ではない。

 

 

今朝は主人の仕事の話だった。

 

主人は、親族で経営している会社を継いだ。おじいさんがカリスマ的人物だったそうで、一代で立ち上げ成功させた人だった。

「自分はそれを継ぐために育てられただけ」と若い頃から投げやりな感じで、私にこぼしていた。

その気持ちに寄り添うことはできても、埋めることができるのは私ではないと思って聞いていた。

 

会社の経営自体が難しい時代、長男ということで、やりたいことへの夢も見ないようにしてここまでやってきた主人の心のうちの、何十分の一でも私は知ってあげてるのだろうか。

 

苦労を口にせず、一人葛藤してきた主人の成長ぶりは尊敬に値する。

向いの席でコーヒーを飲む顔は、私の10年、20年よりずっと深く様々なことを刻んでいる。

 

 

f:id:Tenebo:20210502140354j:plain

 

 

私達は、19歳の時障害児ボランティアのサークルで知り合った。

私の自転車で、二人乗りで活動へ出かける。

途中、交番があると、私がサッと降りて何くわぬ顔をしておまわりさんの前を通りすぎると、またちゃっかり乗る。

 

茶店に入るお金はない。タカラブネのシュークリームを買って帰って下宿で食べる。

晴れた日は、彼のYAMAHAのバイクで城巡りをする。私は背中にしがみついて走るが、それも結構疲れる。

そのうち一緒に暮らしだす。

お金はないし、風呂もない。銭湯で彼が待ちすぎて風邪をひかないように、出る前に咳2回を合図にする。

 

息ができずに死んじゃうかと思う程、二人で笑った。

お鍋をすれば、糸蒟蒻の取り合いで揉めた。

 

あの頃のことを思い出すと、8mmフイルムのように頭の中でカタカタと音を立てて、情景が流れていく。

 

***

 

40年前のあの貧乏な学生に、今の私達は決して想像できない。

 

お互いに自分の城を構えて、それなりに戦っている。

二人のかけがえのない子ども達を授かり懸命に育てた。

可愛い孫もできた。

 

 

主人の業種は、終わりの時代を迎えている。

主人は、前向きにこの先20年の会社のたたみ方のビジョンを、今朝私に語ってくれた。

力強く、そこには「継ぐためだけに育てられた」とこぼしていた青年の顔はない。「これが俺の使命」と語る姿はしっかり前を向いていた。

そして、「貴方が自立して仕事をしてくれてることは、いろいろな意味で俺の支えになっている」と言ってくれた時、本当に嬉しくて。

 

シュークリーム食べながら、屈託なく笑ってたあの2人の若者に伝えてやりたい。

 

新しい朝がきた 希望の朝だ

 と。。。。

 

言葉にできない

今週のお題「おうち時間2021」

 

 

せつない嘘をついては

言い訳をのみこんで

果たせぬあの頃の 夢はもう消えた

 

誰のせいでもない

自分が小さすぎるから

それが悔しくて 言葉にできない

       小田和正 『言葉にできない』

 

心の中に コップがある

コップの中 冷たくて清らかな水で満たされていれば 心は満たされている

 

日々 何かちょっとしたことにつまずく

すると 急にコップが大きくなる

水位が下がる

 

もっと注いで もっと注いで と声がする

渇いてるよ と水を求める

 

水って、どこにあるの? どうして減っちゃったの?

自分が 自分で コップを大きくしたくせに

 

***

 

今日の気分の降下に理由はなく

「疲れた顔してるね」と不意に言われたくないように

いっそ潜っておこうと思った

 

言葉にできない日だってある

でも、そこを出してみよう

あなたに会えて本当によかった  ブログにあえて本当によかった

と言えるように

 

 

f:id:Tenebo:20210430210847j:plain

 

 

GW  もう1年も経つのだなと思う。

去年の今頃、就職ー子育てー塾経営、でいうなら40年ぶりの長期の休業となり、大切に過ごそうと思い、エクセルで1日のスケジュール兼日記を作って、その日読んだ本やYouTubeで学んだことを書き記した。

 

それを引っ張り出してみた。

 

2020年5月15日(金)

『からだの声を聞きなさい』

人間は、脳で400億ビットの情報を受けとっているが、潜在意識でフィルターにかけて2000ビットまで情報量を減らしている。そうでなければ、脳がオーバーヒートだ。

だから、起こること=気分 は自分が無意識に選んでいるわけだ。

 

この話、この間鍼の先生としたな。先生が先日ドライブしてて撮った花畑の画像を差し出して

「banchan、ほら綺麗な花でしょ。初めてみたわ。」

「先生、これ蓮華ですよ。子どもの頃なんか普通にそこら中にありましたよ。」

「女房にも言われた。びっくりされたよ。」

「先生、子どもの頃見てなかっただけですね。目に入ってなかった。」

「そう。この間、銀行の偉いさんが患者さんで見えて。銀行強盗が入ったら、窓口の女の子は犯人を見る箇所の担当が決まってる、って話された。人は見てるようで見れてないんだね。」

 

 

私たちは、いつも他者を裁いている。なぜなら他者に『期待』をしているから。

相手に「〜して欲しい」と思った瞬間に、すでに自分の価値観というフィルターを通して頭が相手や状況について判断をしている。◯✖️、善悪、幸不幸、正義不正義、、、

 

判断したらゲームオーバー

幸せの道を知っているのは『考え』ではなく『身体』である。

 

 

 

***

 

 

少しスッキリしてきたぞ。

確かに、小田さんを聴きながら、一人コンサートするだけでコップに水がまた満ちていくのがわかる。

幸せの道は身体が知っているんだな。

 

2020年の自粛期間にインプットしたことを、2021年にアウトプットしていこう。

アウトプットしてこそ学びは身につく。

 

 

***

 

 

小田さんは、もう73歳。2021年にもツアーできなかったら、どうなっちゃうんだ。

会いたいよ。。。。

 

 

 

 

 

 

字のないはがき

 

 

 

この絵本はすでにご存知の方も多いのでしょうか。

私は先日、孫とライン電話をする時に、何か読んでやれる絵本がないかと物色している時に見つけました。

 

「なにこの豪華なオールスター絵本!」表紙でびっくり。

内容にもグッときて、即家に買って帰りました。

 

 

 

f:id:Tenebo:20210428235809j:plain

https://www.ehonnavi.net/img/cover/500/500_Ehon_124056.jpg

 

 

戦争が激しくなって疎開していく子ども達。

4人きょうだいの末の妹も、食べるものも手に入らなくなり、とうとう疎開させるしかなくなりました。まだ幼く字の書けない妹に、父はたくさんの葉書を用意し、全てに自宅の宛名を書いて渡します。「元気な日には、葉書に◯を書いてポストに入れなさい」と。

初めての葉書こそ大きな大きな赤鉛筆の◯だったのですが、次の日から急に黒鉛筆の小さな◯になり、日毎に◯は小さくなります。そして遂には✖️になり、やがて✖️のハガキも来なくなってしまいます。

 

 

この後、家族の小さな妹へ向けた愛のお話になっていきます。

 

***

 

この3人の作家についてあげるなら、私なら、西加奈子の『サラバ』になる。彼女のほぼ自伝で、5年を費やしたとあったと記憶する。登場人物に善人も悪人もなく、全ての人物に憑依しているのではないかと思うほど、性格や生き様から生まれる人の感覚の違いを見事に語り分けている。

 

この人、こんなにいろいろな人間をわかって俯瞰できるなら、きっと悩みないだろうなぁと感心した。

 

***

 

小説が臨場感。一方、絵本というのは、小説とは目線が違う。

自分が登場人物達の織りなす世界を俯瞰している。

 

小さな妹の気持ちも辛く切ないし、家で心配する家族の気持ちも胸に突き刺さる。

 

妹に言ってあげたい。「みんな、毎日あなたのことばかり思っているんだよ。決して一人じゃないよ」って。絵本の世界観は、自分も入っていけそうなふんわりとした設定で、手を差し伸べられそうで届かないファンタジーだ。

 

 

f:id:Tenebo:20210429011244j:plain

 

 

老いた私の父が、最近弱気になった時、ぽつりぽつりと母親(私の大好きだったおばあちゃん)のことを語っていた。そんなことは今までなかったので、電話越しに、ちょっと姿勢を正して耳を傾けた。

 

戦後、父親が病死し、母親は何事も自分は我慢し、自分たち子ども達のために生きてくれた人。と話す反面、ずっと心に引っかかる気持ちを持ち続けていたらしい。

 

自分は愛されていたのか。

亡くなる間際の父への言葉が『(脚の悪い姉)S子のことを頼む』だけだったと。

 

父も私と一緒だったんだ。なんだ、一緒だったんだ。

 

小説の世界のように、人の心を描写してもらえたらいい。

絵本の世界のように、人の心を、ふわふわ浮かぶ雲から眺めるように、手にとるように見えたらいい。

 

でも、そうはいかないから苦しい。

 

***

 

後日、父からおばあちゃんの生年月日を確認して、少しかじった占いでおばあちゃんを見てみた。

「おばあちゃんはね、海のように広くて、穏やかで、それでいて自由な心の人だったと思うよ。おばあちゃんの愛は、そんなおばちゃんの脚のことでいっぱいになっちゃうほど、小さくない。お父さんのこともいっぱい思ってたんだよ」

と、偉そうに言っちゃったら、父は納得したのか否か

「そうか」

と、ひとこと言った。

 

 

 

 

 

冬の夜のお弁当作り 〜その2〜

今週のお題「お弁当」

 

※その1  の続きです。

 良かったら、その1からお読み下さい。

 

気を取り直し、私とK先生はそこから急いでおかずを作って、無事全員に弁当を持たせた。

 

 

 

その夜。また私たち二人は調理場に集合し、つつがなく、粛々とおかずを作り終えたのだった。

問題は、ねずみ対策だ。その夜は、昨夜のザルだけでは不安だったので、これまた業務用のまな板 30cm✖️50cm 厚さ5cmをその上から乗せて、これでよしと解散した。

 

。。。。

翌朝、まさにデジャブのように。。。。ザルとおかずが飛び散っている。昨日と違うのはでっかいまな板が、どけられている、さらなる恐怖だ

 

 

 

その夜も、私たち二人はめげずにおかずを作って、ザルをした。そしてその夜は、まな板を一気に3枚乗せる事にした。

  

しかし。。。。

私達は負けた。その得体の知れない、もはや小動物と言えるのかもわからないねずみに。。。。

 翌朝もおかず達は無惨に飛び散っていた。まな板3枚と一緒に。

調理台に足跡を残して、ニヒヒとほくそ笑む、巨大な小動物

 

 

もう私達の手には負えないと思い、上司のO先生に一部始終を話して指示を仰いだ。

O先生は「よし、今夜俺が見張っておく」と言ってくださった。

 

***

 

翌朝、久しぶりに10人分のお弁当のおかずの平和が守られた。

 

O先生は、刑事物に出てくるときの舘ひろしみたいな笑みを浮かべて私たちに言った。

「犯人わかったで」

「えっ、まさか子どものいたずらですか?」

「いや、猫だった。排水のところにほんのちょっと打ちつけが壊れた箇所があって、そこから体を細〜くして入ってきよった。」

 

と言うことだった。

ドヤ顔で話す時のO先生は、少年のように嬉しそうで嫌いじゃなかった。

 

 

 

f:id:Tenebo:20210426145649j:plain

 

 

あの頃、スポーツイベントとかあると、女子職員は夜明けとともに調理場集合で、大量におにぎりを作った。数時間前まで当日分の洗濯を終えて、仮眠程度に寝る。それが雨天順延とかつづくと、調理場では全員えへらえへらとつまらない事にも笑えてくる変な人になりながら、黙々とおにぎりを握った。

 

 

先日アマゾンプライム篠原涼子の『今日も嫌がらせ弁当』を見た。

年頃の子には、確かに口で会話するより、お腹、舌、かも知れない。

お弁当が、綺麗に空になって戻ってきたら、顔でふてくされてても、今日もオールオッケーの返事なのかも知れない。

 

 

私は、まさにヤンキー男の子ばかり相手にしていたので、何も言わなくても、外で一緒におにぎりをガツガツ食べる姿は、母代わり冥利に尽きると言うものだった。

 

***

 

読者様のM様、子ども達に美味しい弁当作るんだぞ、なんちゃって。