美しい景色のように年を重ねる
※命に関する記事です。気分を害されるようでしたら、ごめんなさい。
島根で二人で暮らす両親。
父、90歳。母、84歳。
実家から離れて暮らす私が両親に出来ることは、こまめに電話して声を聴くことと思っている。
特に6月に入り、骨粗鬆症の母が入院したので、家に一人になり、父は考え込んでは弱気になってしまうのだろう。
先日の電話では、開口一番「人間はなぁ、生まれる時も裸、死ぬ時も裸。どんなに金を持っていてもみんな一緒、裸で死ぬんだよ」と。。。。どうした?「なのに延命だの、なんだの騒ぎ立てる。静かに死なせてくれたらいいのに、あれは周りの人間のエゴだ。」
私は、とりあえず「そうだね。裸で生まれて、裸で死ぬのは万人に平等だから、どんな人生で、どんな旅をして、そこに帰って来たかってだけのことになるんだね。」と答えた。
ゆっくり、いろいろ話すうちに、心の絡みがほどける様に、胸の内を吐露してくれる父。
父は、70〜80年も前から、ハイリーセンシティブパーソンだ。
どうやら、要介護2の父の為に支援の手を差し出してもらうことにプライドが傷つくらしい。
実家は神主の家で、戦前は大きな家だったらしい。27代前からの家系図が残っていたり、隠岐に島流しになった後鳥羽上皇から頂いた短刀が家宝と言われたり、とにかくプライドの高い家だったらしい。
それが戦後の混乱の中で、建物も土地も失い、父親(私の祖父)が病死し、母(私の祖母)が、女手一つで裁縫仕事で、足の悪い姉と自分を育て上げる上で、手のひらを返したような周囲の仕打ちに、少年だった父は、嫌と言うほど現実を突きつけられたのではないだろうか。
「昔なぁ、仙台に旅行に行った時、バスが来るのを待っていたら、『乗車する人は並んでくれ』って言うだ。わしはそれが嫌でのー。」
並べなかった、という父に「それはさー、心理学的に言うと、、、、」と理屈を並べる私に、父はあっさり、「そうだな、トラウマだな。戦後、配給とか、一つ一つならばされるのが嫌だった。食べ物貰うために並ぶことは、できない、と自分の無意識が選んでいたんだろうな。」
戦中戦後の混乱の中、生き抜いて来た少年少女が、人生の終盤にさしかかっている。
言葉にはできないいろいろな思いを、それぞれのお年寄りが、胸の中に秘めていらっしゃることだろう。
父が言っていたことと同じ内容があった。
番組中に流れたことの、私の記憶です。
愛猫が余命一週間と宣告され、見守るお話。
最初は食べさせれば奇跡的に回復するのではと信じ、キャットフードをスプーンに一杯二杯と勧めるが、義理で口に運ぶ様子に、もう見守ろうと決める。
とにかくじっと目をつぶって丸くなるだけの姿に、なんて偉いんだろう、と感心する。
そのうち、風呂場のタイルの上にうずくまるようになる。
熱があってひんやりするのがいいのか、暗くて落ち着くのか。
一ヶ月くらい経ったある日、オゲッ と言う声に死んでしまったかと思い駆け寄ると、
もう一度 オゲッ と言って亡くなった。
この猫は、最後まで荒れも騒ぎもせず、その時であることを受け入れて死んでいった。
しかし、人間は大騒ぎだ。延命だの、なんだのと。
いや、太古の人間は、こうして動物と同じように静かに死んでいったのかもしれない。
そう言って、佐野さんは締めていた。
***
私の人生の最終目標は、ピアニスト川上ミネさんの
このアルバムの2曲目のような人になること。
自然の景色のような。
金持ちとか、正義とか、人間が作った価値観を取り払って、優しくそこに居たい。
美しい景色に癒されるのに、理由なんてない。
偉大なわけでもない、むしろ何もないから癒される。
そんなお年寄りになりたい。
かわいい大人の女性であるために
今週のお題「わたしのプレイリスト」
私は、女性として『かわいい』と言われたいか『綺麗』と言われたいか、なら『かわいい』と言われたい。
人生で過去最高に嬉しかった『かわいい』は。。。
数年前、温泉の脱衣所での出来事。
私と同じタイミングで浴室から出てきた母娘があった。
体を拭いていると、先にママに拭いてもらって自由になった2〜3歳くらいの女の子だ、私のところにやって来て、じっと私を見て「ママ、ママ、見てかわいいよ」と。
私の後ろに美人の背後霊でも見えたか。私はもうすぐ60歳。あなたこそまるで天使だよ。
連れ戻しに来たママが、また素敵。「失礼しましたぁ、ごめんなさーい」ではなく、
「そう、よかったね。じゃあサイン貰っておく?」と。洒落ている。
***
大人になった原田知世が、素敵なボサノバ風のアルバムを出していることを知った。
ある時、小物屋さんで、かわいい小物達を買うとは無しに眺めていたら、店内に流れる曲がアルバムだと気づいた。日本語だけど、英語の歌も混ざってくる。とても軽くて、かわいい小物達によくフィットしてる。
思わず店員さんに誰のアルバムなのか尋ねて、その時知った。
大人の女性ボーカルなら、竹内まりあとか今井美樹も好きだけど、原田知世は聞くと言うより、いつまでも浸っていられる。海辺のカフェだったりしたら、ずーーっと聞いていられる。
***
大人のかわいい女性ってどんなだろうと考えた。
自然体、素直に愛せる、、、、
いつまでも、かわいいと言われたいけど、やはり、70歳になっても80歳になっても、主人のことを素直に愛せている自分が理想のかわいいかもしれない。
主人と私は、学生時代からの恋愛で結婚した。
結婚して子ども達が生まれ家庭を築くと、私達は神様の思し召し通り、ツガイとしてさらに結束を強めた。
お互い、何より家庭を大事にし、私にとって家族は宝物で、それ以外何もいらなかった。
けれども、時が経ち。
子ども達はそれぞれの道に巣立っていった。
二人だけになった我が家。
もうツガイである絶対の必要性がない。神様の御用を無事成し遂げることができた。
私の少しばかりの喪失感と同時に、主人は、家庭から仕事へと重心を移した。
社長職を継ぎ、地元に根ざした会社であるために、土日返上で地元にご奉仕する日々となった。
私は、覚悟を決めなければいけなかった。いつまでも寂しさにメソメソしていてはダメだ。
一人の女性として、また生き方を見つけなければ。
二人のツガイとしての関係を、一旦解く時、ギシギシと音がした。
繋がりがとても強かっただけに、解く時の痛みも強く、時間もかかった。
何度も「この人、誰?」とまで思うほど、溝が広がった時期もあった。
***
先週末のことだった。
主人は、外せない要件で東京へ一泊の出張に出かけた。
翌日昼
私はいつもの駅のスタバで本を読み、食材を買い終えた時、携帯が鳴った。
「あー、俺。今駅まで帰ってきたよ。」
「えっ、駅なの?わたしも居るよ。お昼食べて帰ろうよ。」
「どこで?」
「ほら、新しくできたラーメン屋さん。行ってみようよ。」
電話を切って、いっぱい食材を抱えてラーメン屋さんに急いだ。
二人とも同じものを注文し、駅の店にありがちな小さめのテーブルでラーメンを啜った。
主人は、宿を取った銀座の街で迷子になりそうになったことを嬉々として話した。
顔が近いし、なんか恥ずかしくて、私はラーメンに目線を落とした。
主人は脳内で地図を描くことに、絶対の自信を持っている人だし、プライドも高い。
その主人が
「でさ、仕方なくコンビニで水買って、道きいたよ。」
と、ニコニコと話す。ラーメンから顔をあげ、私もニコニコしてしまう。
「やっぱり、スマホじゃなきゃダメって話だね。」
「それなんだよなー。実はさ、帰りの新幹線ホームで『回送列車が参ります』って言うじゃん。新幹線の回送?って不思議に思ったら、案の定、目の前を、ドクターイエローが通り過ぎたのよ。みんな、さっとスマホで撮ってたけど、ガラケーじゃあなぁ」
ラーメンの丼が空になると、午後の仕事に向けて、それぞれの車で帰った。
いつもの様に、何も言わず、大きな買い物袋を引き受けて歩いて行く主人の背中に年齢を感じた。
お互い歳を取ったね。
***
学生時代、街の本屋さんの店先に、彼のYAMAHAのバイクを見つけると、「あっ、居るんだ。」と思ってドキドキしたものだった。
大丈夫。今でもあのワクワクは忘れていない。70歳でも80歳でも、きっと忘れない。
街で偶然会えでもしたら、わーって手を振って走っていくよ。
琵琶湖一周サイクリング
※この記事は『新しい朝が来た』『ありがとう。』の続編です。
よかったらこちらからご覧ください。
初夏の風が吹くと、
40年前働いていた児童養護施設の調理室の勝手口から外に出た時、すーっと顔を撫でていく風の匂いが、故郷島根のそれと似ていて、故郷が恋しくなったもんだよなぁ、、、
とあの頃のことを思い出す。
児童養護施設では、子ども達と寝食を共にする24時間勤務で、食住代や光熱費も要らないとはいえ、お給料は7〜8万円だった。社会人になって両方のおばあちゃんに喜んで欲しくて、1万円ずつ送金していたので、手元には毎月5〜6万円残るだけ。でも、全く気にしていなかった。
アザを作りながら、子ども達と格闘する日々は、私にとって生きることそのもので、お金を貰うと言うより、ただ毎日を懸命に生きていると言うことだった。
あの思い出は、今となれば何にも代え難い、大切な大切な日々だった。
***
当時、私は中高生の男子寮の担当だった。それと企画係で、イベントの企画をしていた。
相棒は、O先生。男子寮でも企画係でも一緒。
私達は、天然ボケ同士のなかなかの迷コンビだったけど、ある年、記念に残るビッグイベントを成し遂げた。
『琵琶湖一周サイクリング』
言い出したのは彼女。「夏休みに、自転車で琵琶湖を一周するってどうですか?」
話を聞いたのは私。「うん。いいね。やろやろ。」
私達二人に、見通し とか リスクマネジメント とかのワードを求めてはいけない。
天然コンビだから。
ところが、この企画、あっさり職員会議を通ってしまう。全員どっか天然なのかな。
でもやるとなったら、苦労とか言うワードも関係ないのが天然の強みだ。
なんせ男女中高生、30人くらいを無事に引率しなければならない。
***
事前に、O先生と私は、男性指導員のM先生に運転して貰って、車で下見に出かけた。
スマホやGoogleマップのない時代。それはそれは地道な作業で、そして楽しい1日だった。
ストップウォッチと地図を持ち、車の距離メーターを細かく観察し、子どものペースでどれくらい進めて、どのあたりで休憩を取らせるか検討しながら、ゆっくり走った。
何より、どの道を選ぶか。極力脇道を探す。
湖北に入ると、避けては通れない長いトンネルがある。歩道はあるが、側をガンガントラックが通って行く。最大の難所になりそうだった。
***
当日、晴天。真夏の日差しが焼けつく。
初日はまず琵琶湖沿いに出て、湖南から近江八幡へ。予定通り到着し、この日はキャンプだ。
2日目、湖北に入る。相変わらず太陽は照りつけるし、トンネルの恐怖もあるし、、、。
でも、湖岸道路からの景色は最高だった。湖面がキラキラして、日本なの?と思った。
来て良かったと、胸が熱くなる。水面の光と遠くの景色と、懸命にペダルを漕ぐ子ども達の背中をかわるがわる見ながら、「みんな見てるかい、この景色」と、心で問いかけた。
この夜は、宿の風呂に入り、全員身体を休めた。
3日目は、大津の方へ戻る。
最後の、子ども達へのサプライズとして私たちが用意していたのは、大津の街で外食をすること。これだけの人数で外食は、よっぽどでないとできない。
ナイフとフォークの洋食ランチをみんなで食べて、さあ、最後の道のりです。
山のてっぺんにある園の坂を、登って行く。最後の力を振り絞って。
ゴールをすると、お留守番の先生方が園庭で手を振って迎えてくれた。
やんちゃ高校生も、全員ハイタッチで出迎えの中を通って行く。
***
このブログの読者様、当時中学生のMと、高校生のMも一緒にママチャリで走ったよね。
もう二人ともアラフィフ、でっかい娘達。
一人のMは医療系の管理職、一人のMは保育園の園長先生をしている。立派になったね。
みんなに出会えて、懸命に生きた日々があるから今の私があると思う。本当にありがとう。
コロナの後で、必ず会おうね。
***
この後、一緒に下見に行ってくださったM先生に事件が起こり、私の時々スーパーマンが本当に園にやって来ることとなる。
「これで元気もらいました」特集
今週のお題「雨の日の過ごし方」
今日も雨。肌寒いくらい。
みんなどうしてるかな。
高齢の島根の父・母。孫は雨の中幼稚園行ったよね。仕事を持つ妊婦の娘。。。
こんな日は、『私はこれで元気もらいました』を集めてみよう。
***
まずは、『太田光のつぶやき英語』で取り上げられていたエピソードを紹介したい。
とりあえず、この10歳の少女のドラムを見て欲しい。“超絶 the 無心“だから。
そして、この子は動画の中で、大好きなロックバンドフーファイターズのドラマーに挑戦状を向ける。「私の夢は、いつかデイヴ・グロールやテイラー・ホーキンス、フーファイターズのみんなとジャムすること!ミスター・グロール、あなたとドラムバトルをしたいな。“Everlong"が大好きなの。早くて演奏するのは本当に難しいけど、すごく楽しい!」
当のドラマーデイヴ・グロールの元に、世界中から100を超える「少女が君にドラムの勝負を望んでいるぞ。さあどうする。」と言うメールが届いたそうだ。
いい人で知られるこのドラマーは、挑戦を受けた動画を配信すると共に、更に少女に挑戦状を送り返す。その動画を目にした少女は、夢のような現実に仰天しながらも、デイヴの動画のスティック捌きまで真似て、動画を撮って再びあげる。それがこれ。。。。
彼は、少女の演奏を讃え「インスピレーションをありがとう」と感謝の気持ちも伝えた。そして彼女の為に曲を作り娘が歌い、プレゼントしたそうだ。
少し前、ブログ疲れらしきものが出た頃、ブログとの付き合い方を、図書館なんだと捉えようと思った。作者にこだわらず、閲覧しながらタイトルを見て面白そうな本を手に取ってみるように。ブロガーさんとのやり取りに注力するより、色々な記事を読んで回ればいいのかと。
でも、低迷の中書いた記事に、いつもの皆さんからコメントをいただくと、本当に嬉しい。泣きながら読んでいたら、主人がタオルをよこしてくれた。
次は、子育てママさんの記事。
皆さん、お忙しいとは思いますが、子育てに孤軍奮闘するママの声をちょっと聞いて下さい。
ふーみんさんの記事です。
特に、『元気を出して』のPVの引用がとてもマッチしている。鳥肌がたった。
この歌は不思議だ。切なくもなるし、前向きにもなる。一旦辛い、切ないを受け入れた方が元気になれるのかもしれない。創作って、本当に間接的に誰かを応援できるんだと感じた。
もう一つはテンテコママさんの記事です。
子育てには、一人一人の温かいストーリーがあると思う。
お二人だけではなく、多くの子育てママブロガーさんの記事を読むと、「ありがとう」と感じる。
子育てに限らず、動物たちや、お庭の花や、、、誰かが誰かに愛を注いでいる記事はやはり読んでいて、 人にパワーを与えると思う。愛されたい、と言うのは、共感を与えるだろうが、愛することは、多くの人に力を与えると思う。
ブロガーさん達に力を頂き、自分も誰かを応援したい。一周回って結局、ブログ仲間はいいなに戻って来る。
***
最後に、この記事をオススメしたい。無断でお借りすることをお許し下さい。
kohakunodaradara.hatenablog.com
難しい哲学的な考え方を、スーッとわかりやすく入って来るように書いてらっしゃる。
***
次回は、私も誰かを元気にできるような文章書いてみようと思います。
またご訪問ください。
タコはタコでも
なんだかやる気が出ない。
これを五月病というのかな?いつもなら楽しみに読ませてもらう人のブログを開けても、文字を追う根気が出ず、そのままスクロールしてしまう。きちんと読ませて頂きたいので、トップページは開けるけど、スターを残さず閉じてしまう。なので、自分も創作意欲が湧いて来ず、グダグダだ。
無心。
昔、近所に大きな河があるので、そこに子ども達を連れて行った時のこと。キラキラと輝く水面でたくさんの大人達が、水と風と一緒に遊んでいた。ウィンドサーフィンの色鮮やかな帆があちらこちらで揺れていた。中でも、初心者と思われる若いカップルが、何度も水に落ちてははい上がり、チャレンジし続けていた。「いいなぁ。無心で。」と眩しく見ていた。
主人は、無心が得意だ。仕事がキツい分、スパッとオンとオフを切り替える。睡眠時間を割いてでも楽しみにのめり込める。そして、あれこれではなく、極めたい派だ。大学時代付き合っていた頃、よくギターを弾いてくれた。実家にいた時、歌うま弟と、サイモンとガーファンクルのギター弾き語りで、ハモリの練習にのめり込んだそうだ。
これを、ほぼ完璧に聞かせてくれた。私も実家で、少しギターやってたので、これがどれくらい凄いかわかる。ところで、愛読ブロガーさんの記事で、ギタータコができるまでは、とりあえず練習する、と書かれていて。主人とひとしきりギタータコの話になる。「私、タコ取れて指紋無くなったよ。」と言うと、「指紋無くなるのと、タコできるのは、また違うでしょ。」と主人。そして、指を差し出して、「ほら、これでしょ。」と。「えーーー!まだ残ってんの?」とまさにギタータコを見せられ驚く私に、「これ、ゲームタコ。ホラ、ロボット操作、、、、、」なんでもええわい、ゲームかい!昨夜も、私が寝る時、必死でそのロボットに「チゲーわ〜」とか言ってやってた60歳。そして、目がさめたら、隣のベットに寝た気配なし。オールでゲームして早朝から趣味の空手の大会へ出かけたらしい。凄い生命力。
金曜日の夜、中3生のお母様から、「やる気が見られず、喧嘩になってしまう。先生から話して欲しい。」とお電話を頂く。早速昨夜彼女に残ってもらい話をした。「勉強やってないわけじゃないのに、ママはやってないところを見て怒ってくるから喧嘩になる」と状況説明。そして自分としては「自信とやる気の関係だと思う。」と。すごーい!ピンポンピンポン!
やる気というのは、無心でできるわけではないことに対して使うので、それは面倒くさいも伴うことで。勉強をする時に、やる気が不要になれば、アインシュタインレベル、最強になる。それは、好きになること。彼女のみならず、多くの子が自信がつけば、好きになる。好きになれば、やる気はいらないということだ。彼女は他者と比較してはダメなことも十分わかっていた。ただ、ただ、ママに認めて欲しいのだ。
「頭ではわかってんだよねー」と小学生の女子のように声を合わせて、話は終わりにした。だって私がそうだもの。
ヒーローになりたい
今週のお題「やる気が出ない」
※この記事は以前も書いた、息子と仕事のお話です。
先日、寝苦しく明け方まで寝付けなかった。
諦めてタブレットとイヤホンを取って来て、横で寝ている主人を起こさないように、そっと川上ミネさんのピアノを聴く。
途端に頭の蓋がカパっと開いて脳が解放されていく。
寝苦しさの中で、どんなに頭と身体が萎縮していたかがわかる。
すると、日中送られて来た息子一家の動画が空に流れ出す。
幸せな風が、脳の中を抜けていく。
その動画は、
長男4歳が、部屋の隅の方からスタンバイしてカメラに向かってくる。
ママに抱っこされた長女5ヶ月が、キャッキャっと興奮する。
ママが「パパの方向いて」と優しく促すと
長男が、真剣そのものにキレッキレッの、ウルトラマン決めポーズを次々繰り出す。
もう、見なくても頭の中で再生される。笑えて、癒されて、脳の中がジーンと温まる。
***
例えば誰か一人の命と 引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ
Mr.Children 『HERO』より
3人を黙って映す息子は、ウルトラマンになり損ねている。
平凡なパパだ。
長男は何よりウルトラマンにキラキラの眼差しを向けるけれど、残念ながらパパはウルトラマンではない。
世界の平和より、この3人を全力で守ることだけだ。
この歌詞を聞くと、息子が幸せであることがイメージとなって、私は勝手に感動してしまう。
主人が父となった時の気持ちは、簡単には想像できなかったけれど、ずっと見てきた息子が父となり、私達と似た喜びを味わっているんだと思うと、ジンとする。
小学5年生の後期、息子は生徒会長に立候補した。
立候補者は二人だけの一騎討ちとなり、事実上人気投票のようになった。
息子は負けた。
けれど、自分の心には負けていなかった。
次の6年前期、再び立候補する。
ポスター書きも小物作りも「手伝おうか」という申し出は受け入れず、一人でやりきり、当選した。
高校の陸上競技生活。
雨の中のラストランも、ストップモーションのようにゆっくり流れているようだった。
努力にご褒美をくれる神様はどこにいるんだというくらい本番に力を見せつけられない。
いつもヒーローにはなれない。
けれど、簡単に報われることのない努力が、息子にとことん努力の仕方を学ばせた。
そんな姿を、私は人として尊敬している。
***
けれど努力の虫は、社会人になり、努力する理由を失い、バランスを崩してしまった。
人の上に立ちたいわけではなく、何かで成功したいわけでもない。
当時、やる気を失っていた息子に「好きなことを仕事にすれば良いんじゃない」と何度か言った。
でも、息子は「そうだね」とは決して言わなかった。
息子が求めていた生きる力の泉は、自分が好きなことを貫いたからといって得られるわけではない気がしていたのだろう。
今も息子は、ヒーローではない。
つまらないことに腹を立てるだろうし
ソファーで口を開けて寝てることもあるだろうし
上司の期待に応えようと、必死だろうし
頭を下げなきゃいけないことも、たくさんあるだろう。
僕の手を握る少し小さな手
スッと胸の澱みを溶かしていくんだ
***
でもヒーローになりたい ただ一人君にとっての
つまずいたり転んだりするようなら、
そっと手を差し伸べるよ
昼間、長男とウルトラマンごっこをして、徹夜で仕事して出勤する。
世界の平和どころじゃないけど、
かっこいいと思うよ。
そして息子が、子どもたちを見つめる優しい眼差し。それを与えてくれたお嫁さんに、いつも心から感謝しています。
ありがとう。
※この記事は、『新しい朝がきた』の続編になります。
1980年代、空前の好景気バブル時代に入るちょっと手前。
私達はそれぞれの道に就職した。
主人は家業を継ぐ時の修行にと、関連する業種の営業職に就いた。
私は、学生時代に全力を注いだ児童福祉の道しか考えられず、児童養護施設に就職した。
二人の距離は県を跨いだ。遠距離となった。車で3時間。
***
その頃の日本は、ぐいぐい動いていた。
多くの人が、恐れることなく自分を主張していた。
ネットという監視がまだなかったからだろうか。
好きなファッションで、自分らしさをアピールする。
私が担当した中高生の男子達は、そんな時代のツッパリくん達だった。
私は、と言うと。
中学ブラスバンド部、高校帰宅部、、、窓際で友達の様子を眺めているタイプ。
決して、ヤンクミ ではない。
***
事件はしょっちゅう起こっていた。
私に彼らをまとめる力量はない。でも、がむしゃらに頑張ってしまう。衝突する。
その繰り返し。
40年も前の養護施設には、「作業の時間」があった。
日曜日の午前中、各寮毎に施設の手入れをする。
私には、ダルがる彼らを動かせない。
でも、私は負けたくない、弱音なんか絶対吐きたくない、「私一人だってやってやる!」
草刈りの日は、電動草刈り機を担いだ。
肥え汲みの日は、二つの桶を天秤で担いで何往復もした。
ルールを守らせようとするたびに衝突し、殴られアザが絶えなかった。
回り道をして、わかってくれる日を待つ、というスキルを持ち合わせていなかった。
他の人はもっと遠巻きに距離をとって人と付き合っているんだ、と知ったのは、その30年も後のことか。
ただ、両親のさまざまな事情でこの暮らしを強いられている子ども達に、「大人はみんなずるい、信用できない」と思って欲しくなかった。不器用かもしれないし、彼らに良い方法ではなかったろうけど、ずるくない大人がいること、信用して欲しいと言ってる大人がここに居ることを全力で示したかった。
時々、「あれ、俺のパジャマ洗濯してくれたんけ!」とか「お前だけやぞ、朝からニコニコしとんの」と自分こそニコニコと言ってくれたりすると、「よし!」と心でガッツポーズ。
彼らは、卒園後、社会人になって嬉しいサプライズをくれた。
それなりに、私の体当たりな関係作りは、彼らの心に届き、時と共に熟していったのかもしれない。純粋な子たちだった。
その事件は、日曜日の夜起こった。
テレビは10時に終了という決まりだった。
もちろんYouTubeもないこの時代、日曜日10時のテレビを見なければ学校で話題についていけない。見るなと言うのは酷な話だ。
消しに行けば猛反発を喰らう。だから職員は日曜日の10時、職員室に集まってしまう。
辛い、怖い、、、葛藤の中でも、突撃してしまうのだ、私と言うやつは。
案の定、全員がテレビの部屋に集まって、テレビに注目している。
「10時だよ。テレビ消すよ。」
「うるせえ」「帰れ」「あっち行け」「ボケか」「ぶっ殺すぞ」罵声と共にそこらじゅうのものが飛んでくる。
負けない。
「そんなに見たいなら、園長先生に自分たちからきちんと話つけなさいよ。こそこそしないで」
と、踏み込んだ瞬間。
ボスのYが、首を振った。(やっちまえ)
全員が馬乗りになってきた。私はヤンクミではない。終わったと思った。
Yの「やめろ」の低い声で、全員部屋に戻った。
私は、恐怖でワナワナしながら、訳もなく誰もいない真っ暗な学習室に入り、掃除用具入れの影で声を殺して泣いた。
でも、呼吸を整え、「おやすみ」を言いに戻っていく。どこまでも負けず嫌い。
辛い。辛い。。。何が正しいか、もうわからない。。。。
その時、呼び出しの放送が入った。
「banchan先生、お電話です。banchan先生、お電話です。」
職員室へ行き、電話を取ると
「あー、俺。あのさ、園の坂を下まで降りてきて。」
行くとそこに、彼の車のテールランプが光っている。
駆け寄って乗り込むと
「お誕生日、おめでとう」
のサプライズの言葉。
ポットから注がれたコーヒーの香り。
ショートケーキの上で、1本だけのろうそくの小さな光が、暗闇の中で揺れていた。
片道3時間だ。
彼は時々スーパーマンだった。
スーパーマンは、私に起こったことを察したのか「よし!俺もここで働く」と宣言を残して、明日の仕事のために、3時間の道のりを帰って行った。
昨日・今日・明日
先日録画しておいた『日曜日の初耳学』を見た。
「インタビュアー林修」のコーナーが好き。ローラと対談する回だった。
先に、対談を終えた林修さんが語っていた感想を紹介したい。
「ちょっと眩しいと、悪く言いたくなる人もいるかもしれないが、この生き方ができるのは本当に素晴らしいこと。。」
はい、それ私。タレントとして日本で活躍していた頃は、「この子おちゃらけてるけど、賢い子だな」と、嫌いではなかった。でも、渡米し引き締まった身体をSNSなどにアップする様子には、冷めて引きで見ていた。
でも対談が終わった時、思わずテレビの画面に(それも録画)スタンディングオベーションしていた。
ローラが対談の締めに語ったこと。
自分は言霊を信じている。ネガティブなことを言えば自分に返ってくる。
結局は自分が選択したことで人生は成り立っている。。。と
「。。。嫌なことがあっても考えないようにすると、脳的にも勝手に考えちゃったりする。だから全部受け入れること『今日カッコ悪いこと言っちゃた』とか『傷つけたこと言っちゃた』とかいう時、『自分ってダメな人間だ』って言うんじゃなくて、『そういうことしちゃったけど大丈夫。学んだんだ、次から絶対良くなる』って言い聞かせるとよいことになる。。。」
それを受けて林さんが
「嫌なことやっちゃったけど、それから逃げるんじゃなくて認めた上で次へ進む。」
ローラは、とてもよく学び、自分のものにできているなと感心した。
素晴らしい教訓や思想も、自分が悩んで苦しんだところに降り注がれなければ、かすってもこない。彼女が何かから、力強く立ち上がってきたであろうことに、思わず拍手していた。
私が、キラキラしたローラに“鼻につく”感じを抱いていたのは、彼女の努力の賜物の引き締まった身体を見せつけられ、アメリカでの何らかの目標に突き進んでいく姿に、『自分はこのヌルいカンファタブルゾーン(居心地のいい場所)から抜け出したくない』ことへの、無意識の言い訳のようなものだったかもしれない。
逆にローラの生き方を称賛できたのは、ローラ的アクティブな生き方への嫉妬を手放し、自分なりの生き方を認めることができたということかもしれない。人は人、自分は自分。
案外、人に対して、妬みや僻みの感覚を持ったら、そこに自分理解のヒントがあるかもしれない。
昨日、小6の授業で、Aちゃんの様子がおかしかった。明らかに元気がなく小さく見える。
授業後、Aちゃんに声をかけた。
「どうかした?」と言いつつ、すぐに言葉にできることでないのはわかっているし、長年の勘で大体察しはついている。
ちょっとのやりとりの後、自分の口から理由を話し出したら涙になってしまった。
ヨシヨシと頭を撫でて、得意なことがあって苦手なこともある、全然心配することじゃないと勉強面の話をした後、ローラのことを思い出し
「朝四葉のクローバー見つけました、ラッキー。給食は好きなものではありませんでした、普通。友達に少しだけ嫌なことを言われました、ショック。
Aちゃんにとって、今日は四葉のクローバー見つけた日!と思えたらハッピー。今日は友達に嫌なこと言われた日、と思ったらアンハッピー。
今日という日をね、晩ご飯と一緒に食べちゃって、それでトイレで出しちゃて、水で流しちゃうの。栄養として残すところは、ちゃんと知らぬ間にAちゃんの成長になっているからね。」
Aちゃんの顔にハッピーの笑顔を取り戻して見送ることはできなかった。
自分の力不足にため息。
アリもキリギリスも
主人とドライブをしながら、小田さんのDVDを見た。ゲストで出てきた財津和夫さんの名曲『不思議な黄色い靴』を二人でハモっていた。
休憩で入ったカフェで、「あの曲聴くと高校の文化祭思い出すんだよね。」と、主人がしみじみ話し出した。
文化祭のクラスの出し物を何にするか、話し合いが煮詰まっていた。彼は助け舟のつもりで、自分が趣味で取り組んでいた、コンピューターのプログラミングで『テトリス』っぽいゲームを作っているから展示したらどうか、と提案した。43年前だ。プログラミングなどできるのはほんの一部の“オタク”だけだったが、全員一致で、彼の案に決定した。
最初こそ数人は手伝ってくれたが、提案者の彼はB紙に説明文を書いたりで、連日徹夜で文化祭になんとか間に合わせた。
ところが彼のクラスの展示は蓋を開けたら人気度最下位。票は『魔法の黄色い靴』を歌ったバンドチームに持って行かれた。それどころか、クラスメートも展示そっちのけでライブの方に行っていた。
最後は自分一人で展示物の撤収作業をした。苦い思い出だった。
「俺って、どこ行ってもそういう役まわりなんだよな。」
この地域は、毎年2月の寒い時に、大鏡餅を奉納する。地域で役を持っている主人は、世話役になる。餅をつくことが一種のお祭りで、1日がかりだ。片付けの頃には日も沈み、全員がお疲れさんでお酒が回っている。
そんななか、主人は一人冷たい水で道具を洗う。。。。容易に想像がつく。
主人は、イソップ童話の『アリとキリギリス』でいうなら、アリの中のアリ、という人だ。
***
ドラマ『コントが始まる』を楽しみに見ている。
第3話 「奇跡の水」の有村架純の演技が素晴らしかった。
有村演じる里穂子が、妹と、解散が決まっているうだつの上がらないお笑い芸人『マクベス』の3人と一緒にたこ焼きを食べながらおしゃべりをしている。
ふと、里穂子が、精神的に追い込まれた1年半前の自分の状況を語り出す。言われたことは一生懸命やるタイプと自認する彼女に、理不尽な出来事が重なって、何がなんだかわからなくなったと。。。。
「。。。今でも、頑張るのが怖くて手を抜けるところは抜いてるんです。頑張って傷つくのが怖くて。。。でも何かを頑張ろうとする気持ちを恐れる日が来るなんて思ってもいなかったし、頑張らなくてもいい方を選択したこともなかったんで。。。」
イソップ童話『アリとキリギリス』では、勤勉であることを美徳としている。
冬に備えて懸命に働いたアリに対して、夏の間勝手気ままに過ごしたキリギリスは、冬に何も備えがなく、餓死という末路を辿る。
うだつの上がらない芸人『マクベス』の3人は、親達からしたら、キリギリスのようで将来が心配でたまらないだろう。本人達もそこに揺れ動く、微妙なアラサー世代だ。
イソップ童話では、キリギリス的生き方を真っ向から否定し、勤勉でないことを悪であるかのように子ども達に教え込むことに、今や違和感を感じる。
そのことは資本主義的価値観が見直され始め、新しい時代が来ていることの証だろうか。
逆に、
じゃあアリは、いつ楽しむの?と問いかけている本を読んだ。『DIE WITH ZERO』(持ち金を使い果たして死ぬ)経済学の本。
私は、これにも違和感を感じる。アリ的生き方だって、そんな単純なものではない。
ただ下だけ向いて餌を運んでいるわけではない。
哲学者 ミッシェル・フーコーが言った。
なぜ絵画や建物が芸術作品と言われ、私たちの人生はそうではないのでしょうか
個人の人生は、1つ1つ異なっていて美しく、いわば1個の芸術作品ではないでしょうか
誰の生き方も美しい。
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お礼
いつも、ブログにご訪問頂き、スター、ブックマーク、ありがとうございます。心から感謝いたします。この度おかげさまで300人以上の皆様に読者登録をいただきました。(因みに300人目娘が母の日のプレゼントに登録してくれました😅)
これからは、身体のことも考えながらのペースで、細くても長く、先輩方のペースを見習って進めていこうと思います。
これからも、ブログを学びの場として、またピースの合う仲間を探す旅として、愛していきたいと思います。
ありがとうございます。
「素敵」はなぜ「敵」なのか
皆さんの記事のコメントに「素敵な〜ですね」と書くことがよくあり、ふと思った。
「あれ、漢字間違えてないかな、褒め言葉なのに『敵』でよかったかな?」これも一種のゲシュタルト崩壊というのか。
偶然それに答えをくれる本と出会えた。
少し前に、ある人の記事で紹介されていて、早速買ってみた。ところが、どなたのブログだったか思い出せない。私は、いいなぁと思うとスターだけ残されて頂き、即オーディブルやアマゾンのサイトに飛んでしまう。この記事だけで2冊も買ったのに、どなただったか思い出せない。申し訳ありません。
この本の著者の一人、ひすいこたろうさんはコピーライターだけあって、短い言葉で、キャッチコピーの様に、上手く伝えたいことを表現されている。
ベースの考えが人は関係性の中で生きている、と言うもの。
『素敵』が『敵』と言うのは、賞賛と逆風が50%ずつの方が、天狗にならず努力するので、『敵』は必要。『陰』と『陽』の均衡が必要、とのこと。
ひすいさんは、欠点ばかりの自分のことが嫌いだった。「凹ばかりの自分じゃダメだ。もっと凸ばかりになる様に成長しよう。」と自分を責め頑張って生きてきた。
のちに、その考えの落とし穴に気づく。
でも、自分じゃないカタチになると、周りの人たちと繋がれなくなり、人生というパズルが完成されなくなる。
ありのままのカタチを受け入れるほどに、周りの人達と繋がり、自分という一つのピースが、実はパズルという全体の一部だったことに目覚めていく。
私達が周囲と繋がることで「他人の可能性」がそのまま「自分の可能性」になる。
※少し省略して抜き出してみました。
小学4年生の時だった。
東京から島根県に転校してきた私は、人付き合いが苦手というのもあり、いつまでも自分は浮いていると思っていた。学校は苦手だった。ことあるごとにクヨクヨして、教室の隅に居た。
そんな自分を励ますために、子どもなりにこんなイメージを持ってみた。
『人生には、困難が壁のように目の前に立ち塞がる。
私はなんとか努力してその壁を乗り越える。そして一段高いところに私は上がる。
しかしじきに、また次の壁が現れる。またなんとかそれを登り、一段高いところに上がる。
そうやって、人生には繰り返し壁が現れ、それを超える毎に高いところへ行ける。
高いところに行けば、あたりを見渡せる。誰が頑張っていて、誰が困っているのか、よく見える。私のいくべき場所が見えてくる。
一方、その壁は回避して前へ進むことができる。
でも回避した人は低いままだ。大人になっても視点が低く、視野が狭い。自分の目先しか見えない。自分、自分と言っている。』
いつも、一人物思いにふけっている少女だった。
でも、これは小4から最近まで、私の考え方のベースとして変わっていなかった。
でも、『パズる』という生き方もおもしろそう。
高い志より自分をありのままのカタチで受け入れること。
周りの人たちの中で、その自分を活かしていくこと。
一人で『考える』より『意見を出し合う』こと。
さあ、60歳からでも遅くはない、ピースがはまる仲間を探しに旅に出るか!