そっと、子どもの背中を押す言葉

 

新学期が始まった。

 

寒い日の寒くなる夕方から子ども達が集まって来る。

お正月の間、毎日ステイホームでのんびり過ごしていたであろう子ども達に、

学校からの帰宅後に再びお勉強をするよと言って

高いモチベーションで臨む子ども達には、私の方が感心する。

もちろんそうでない子も多い。

 

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ここ数年、塾は最盛期を過ぎて下り坂にあり、迷っていた時期がある。

このまま本当に落ちぶれてしまいたくない。

その前に見切りをつけようかと。

しかし「私の塾」は、呼吸をしている生命体のように、

25年、どんな時も私と共にあった。

 

 

 

実際”最近の子”がわからなくなることはしょっちゅうだ。

「勉強って辛いだけのものだと思うの?

確かに回りは楽しいことで満たされているものね。」

私は彼らに”勉強がわかる”という喜びを与えられているのか。

シンプルに「私はあなたの役に立ってるのか」と聞きたくなる。

 

 

1月最初の小4の授業の時のことだった。

気分屋さんが多く、乗ると目を見張る程の理解力を示すが、

やる気がない時は締まらないというカラーのクラスだ。

この日は締まらない方だった。私も焦る。追い立ててしまう。

そのうち女の子がボソッと言った

「早く帰りたい。早く帰ってゲームしたい。」

 

それを聞いて、私はよくやることだが、素を出してみた。

「ねえ、みんな先生の悩み聞いてくれる。人生相談。」

全員が身を乗り出して来た。そうゆう子達だ。

「先生さあ、誰かのためになりたくてこの仕事してるんだけど、

結局ゲームなのかな?

この世の中みんなを幸せにするのはゲームなのかな?」

それは違うよ、と口々に言い出した。

「じゃあ、みんなは何をしたら人の役に立つと思う?」

これはマジな質問だ。聞かせて欲しい。

 

先ず、野球少年が口をきった。

「野球やスポーツでいいプレイをして、みんなを感激させる」

次に真剣な顔で「ゲームクリエイターになる」と男の子が言った。

「それももちろんいいよね」と私が言うと、

最初の女の子が「けど、ゲームが増えるとお母さんが悲しむ」と挟んだ。

大きなウェイブが起こったのは、部屋の隅の方から

「コロナをやっつける」と別の男の子が言った時だった。

みんなが口々に声を上げだした。

医療崩壊とか細菌の研究とか聞こえた。

「よし、わかった。ありがとう。参考になったよ。じゃあ続きやろうか。」

と促すと、見違えるほどにピカピカだ。

やる気を出した。

 

 

 

 

一度真剣に塾をしめようと思った時がある。

投げやりではなく、潮時だと感じた。

お休みの日の教室にひとり座ってそう思った時、

「私の塾」の呼吸が聞こえた。

それが「私の塾」が生きていると感じた瞬間だった。

何故か胸が熱くなるほど感謝の気持ちが湧いてきた。

一緒に歳をとって来たねと思った。

私を育ててくれてありがとうと思った。

「簡単にやめちゃダメだね」と「私の塾」に、心で言った。

 

 

私がこの仕事をするのは、やりたいことをやっていたいからだ。

子ども達に、やるべきことのレールを引くのではなく、

やりたいことへ勇気をもって進めるよう、

そっと背中を押す言葉をかけてあげられれば、冥利に尽きる。

そこに喜びが見出せなくなったら、それが潮時だ。