愛のストローク

ストロークは、心理学で「存在を認める働きかけ」です。

 

今日も1000文字ほど、お付き合い下さい。

 

私は人付き合いは苦手だけれど、どうも人が好きらしい。

 

若い頃から、社会性はないくせに、やるとなると真っ向からぶつかって

悪くすると玉砕、撃沈、という精神状態を辿ることになっていた。

 

 

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実家近くの大好きなカフェ

 

 

学生生活は障害児ボランティアに「全てを捧げた」

当時流行りの、トレーナー裏返しに着てタグ見せたりなんかして(流行りとは

往々にして意味のわからないものだ)どこへでも出かけた。

 

夏は障害児キャンプ、週末は作業所の皆さんとイベント、平日は自閉症の子

の家庭訪問(お母さんに休んで頂くための子もり)。この子は強烈だった。

 

まーるく太ったO君は、ひとたび散歩に連れ出すと、体型から想像もつかない

スピードでいきなり走り出し、商店街に向かう。目当ての店の目当ての食べ物

の前まで来るとはたりと止まり、やっと追いついた私をチラッと見て、パクリ

無銭飲食!

財布を出し、お金を払い、ひら謝りをしている私を尻目にまたダッシュ

次の犯行現場へと向かう。

この日の終着点は、花見客いっぱいのお城だった。

桜の下で盛り上がっている人の輪に突撃して、お弁当をパクリ。

私は、最後は走りながヘラヘラ笑っていた。

O君にいつも、してやられていた。

 

 

 

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夕方になると、沖の方にイルカの群れが来るという

 

 

学校を出ると、児童養護施設で働いた。

二十歳そこそこで、高校生のツッパリ男子達の母代わりなどおこがましいが

そこを何も疑わず、一生懸命正面突破しようとするのが若さだ。

当時のツッパリはハンパない。

横浜銀蝿だのなめネコだの、若い方には申し訳ない、

とにかく“ビバツッパリ”の時代だった。

アザだらけで格闘した日々を、また改めて振り返ってみたい。

 

 

 

私は4人兄弟の3番目。同じ境遇の人と知ると話が合う。

 

子どもの頃、自分がどんな子か、気になってしょうがなかった。

自分で自分は見えないから、必死に人から自分へのストロークに集中していた。

特に、両親の言動に。

名前を呼んでも、他の3人を呼んで、必ず私は最後だとか。

すき焼きをしても、肉の分配が私は少ないだとか。

 

親や周りの人の自分に対する言動を、自分で解釈し、

それが他者からの自分への評価で、

すなわち自分はそういう子なんだ、と結論付けていた。

 

 

正直いうと、今もそれは根底にあると思う。

人が好きで愛されたいから突っ込む。自分流に。

しかし上手くいかず、手痛いストロークをもらい、撃沈して、

自信を失い、人付き合いを避ける、という構図だ。

 

 

 

そんな私が、ブログを始めるなんて。

PV だの、読者数だの、数字による、残酷にも良い悪いの前に

「ない、ストロークが」を目の当たりにしなければならない。

 

でも、楽しい。なぜだろう。

ずっと続ければわかるだろうか。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。