「ニョロ金」の思い出

 

  

私は一浪した。

 

予備校へは電車で松江まで通った。

毎日一人で松江の街に通えるのは、結構幸せだった。

 

朝な夕なに、宍道湖と、宍道湖に浮かぶ嫁が島を

宍道湖大橋から眺めて歩くのは、贅沢な気分だった。

 

 

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予備校は、木造二階建てで

上手く改造すれば、レトロが売りのカフェになる、

と言う感じはあったけど。

 

まあ朝ドラの舞台になりそうな

古びた建物だった。

 

 

 

少人数の1クラスのみで、

年齢も様々な人達で、

むしろ夜間学校みたいだった。

楽しかった。

 

なんと言っても、同じ高校の同級生で

女子に圧倒的に人気があり、球技大会のヒーロー

私なんか絶対近寄れない足立くんを

そのクラスに見かけた時は

 

まさに「マジで!」

受験の敗北者のくせに、同級生の女子に

自慢したくなった。

 

 

 

担任というかお世話役の先生は、「金田先生」と言った。

 

40代なのかなぁ。

絶対独身で、格好を構わず、

顔には無精髭というより

ニョロニョロ、ひょろひょろ、とした長い髭が下がっていた。

 

そのニョロニョロ髭の金田先生が、

ある日、模試の告知と注意事項の説明の中で

「模試に遅刻した生徒は、

静かに後ろのドアからニョロっと入って来るように」

 

と言ったものだから、その日から先生のあだ名は

「ニョロ金」になった。

 

 

 

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3つ受けた学校を全て落ちた時は、

ショックというより、

家族の心配がひしひしと伝わってきた。

 

当時、岡田侑紀子というアイドルが自殺し

若者の後追い自殺が多発しワイドショーをざわつかせていたから、

よけいに。

 

 

けれど、神様は、経験して無駄なことは与えない。

 

本当に楽しかった。

体育の授業まであり、

年齢も違う男女がソフトボールで遊んだ。

卓球台もあり、キャーキャー言ってはしゃいだ。

 

何故か東京芸大志望の女の子がいて、

さらにグランドピアノがあり、

彼女がピアノを弾きながらアメージングな

歌声を披露してくれた。

 

まるで異空間にはまり込んだような世界だった。

 

親友もできた。

彼女は日本福祉大学を狙っていた。

受験の時にお母さんを病気で亡くし、

2、3年はおじいさんのお世話をしていたそうだ。

 

柔らかな空気をまとったお姉さんだった。

一緒にお弁当を食べコンビニスィーツをデザートにして、いろいろ話した。

 

彼女が

「私の夢は、しなる竹のような強さを持った人になること。

大樹は太くても、嵐に折れてしまうけど、竹はしなって強い風もかわすことができる」

 

と教えてくれた。

ずっと忘れない。

 

 

「ニョロ金」も嫌いじゃなかったけど、

受付の女性は、知的障害者の施設で働いていた人で

女子生徒は、その人を囲んで経験談を聞くのが好きだった。

 

 

1回目の受験はコピーライターになりたくて

文化系狙いだったけど、

その1年の出会いで、児童福祉系に希望進路を変えた。

 

 

そして、今の自分がある。