土曜の午後のひとりごと

 

 

土曜日の昼下がり、

年度替わりの作業的な仕事をしながら

撮り溜めたテレビの録画を見た。

 

まず、長瀬智也の「俺の家の話」に号泣。

私にタイムリーなお話だった。

 

 

前向きなお話が好きだ。

背中を押して貰えるような。

よっぽど “フレー フレー“ と言って欲しいのか。

 

それは否めないかな。

午前中のスタッフミーティングで

新年度のスタート時生徒数が伸びない話をした。

 

「いや、私も60歳だし、一旦休息ってことかな。

あるいは、私のやり方が時代遅れなのかもしれない。

けど、方向転換する気はないし。

また、私のやり方が重宝がられる時代が来るまで

待つよ。」

 

なんて、スタッフに話した。

嘘でも強がりでもない。

でも、清々しいわけでもない。

 

 

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それから、短いドキュメントを見た。

8歳の男の子が、父親に野球がしたいと話す。

 

運動音痴な男の子と、それを応援する父親の

7年間の記録だ。

 

劇的なラストがあったわけではなく、

 

不器用な普通の男の子が、中3になり、

最後の試合で、

夢だった初めてのホームランを打つのだが

 

そのありふれたホームランで

感動を与えられたのは

8歳から二人三脚で頑張ってきた父親だけ

だったかもしれない。

 

全米が涙するようなお話ではない。

 

 

人気ってなんだろう。

人から支持されるってなんだろう。

 

親子は誰も知らないところで

淡々と毎朝休まず練習を続けた。

 

それは、多くの人に感動を与えるためではなく

目の前の大切な人のためだけに向けられた

何かのために。

 

期待に応える、でもない。

あえて、言葉にさえしない。

淡々と。

 

 

 

私もこの親子のように

仕事をして来たんだと思う。

 

学習塾の生徒数が増えようが減ろうが

多くの人に支持されようが、

そうでなかろうが

 

最終的には

頑張る私の背中を、2人の子ども達に見せていたい。

 

自分の好きな仕事に信念を持って

時には落ち込みながらも

やっぱり自分のやり方で諦めようとしない

 

私の背中が、子ども達にそう映っていて欲しい

それさえあれば頑張れる。

 

 

 

野球の親子を7年間頑張らせたものも

信頼の絆だったのだと思う。

 

諦めるんじゃないぞ

諦めないよ

 

二人を支えたのは、野球選手になる夢でも

最後にホームランを打つことでさえなかっただろう。