はてなブログの“はてな” は 人生の“はてな“

 

 

4月1日。私がブログを始めて3ヶ月。

 

キリのいいところで、アイコンを変えようと思い、1日になったので変更しようとするのだけれど、プロフィール画像を変えても、他のアイコンが一緒に変わってくれない。

 

焦って検索してみた。

ドンピシャの検索結果で、無事変更完了した。本当にお陰様です。それはブロガーさんの2年前の記事だったけど、感謝の意を伝えたく、ログインして訪問して、スターを5つ残させていただいた。

 

その作業に胸を撫で下ろし、そうか、「はてなブログ」ってはてなに答えてくれるから、はてなブログだったんだ!と興奮冷めやらず、一人で感心したものの、それが正解かは知らない。

 

思えば、ブログをやるようになって、60歳にして初めてネット検索のカラクリがわかった。

タブレットを持ち歩くようになった頃の私は、自販機の中に人がいるのでは?と疑うヤツは今時アマゾンの奥地まで探してもおらんだろうが、しかしそれに近かった。

 

具体的にどう思っていた訳ではないけど、すごいものだねーとは思っていた。少なくとも、知って検索している人とは、シリコンバレーとアマゾン熱帯雨林の差くらいあったと思う。

 

家族で高速道路を、夜走っていた時、義母が「このクルクル回っているものは何かね」と分離帯を指して言った。

待っててねー、と言わんばかりに、すぐさまタブレットを開けて、「ラミパスラミパスルルルルルー、高速道路で回っているものは何?」と聞いた。出てくるじゃん。「お母さん、それはですねー」と自分で言って酔いしれている。

 

もう止まらない。「いもとようこの顔が今日腫れて見えるんだけど?」と尋ねると、やまびこ程の即レスで、尚且つオウム返しじゃない。「それは、歯痛のせいです」。「今日MCさんがチェンジしてるのは何故?」とか。

茶店の暇人のトークの傍に置いておけば、即話題完結でトークが弾まなくなってしまう。

 

 

それくらい、ネット検索を神格化していたので、ブログを始めて、何か検索した時、私が読者登録をしている人の記事だったときは、びっくり仰天。自分がついにあのネット検索の世界に、足の小指だけ入った偉業を遂げた気がした。

 

 

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はてなブログを始めてから、私の胸に何回はてなが点灯しただろう。

ブログは承認欲求なのか、スターや読者登録して頂くため、ウケる記事が書きたいのか、逆にブログで誰かのお役に立つスキルが私に何かあるのか。。。まあ同じ問いを周期的に繰り返すスランプ周期がある。

 

 

でも、今日思ったんだ。それも はてなブログの、はてな なんじゃないかって。

永遠に問い続ける。何故ブログを書くのか。

心が身体が、書くことを求めるのは、間違いない。では、何故?

 

流石に、これはネット検索で出てくる答えが正解ではないし、ブロガーの数だけの回答があるんだろう。

 

人である以上、正解のない問いを考え続けることは、生きる醍醐味だ。

ネット検索の即レスでは味わえない、さまざまな感情が滲み出てくる。

 

時には、泣きたくなるくらい苦しいかもしれないし、途方に暮れるかもしれない。

でも、答えのない はてな こそが人を成長させてくれることには間違いはない。