手をたずさえて
最近主人が忙しすぎて、身体が心配。
帰宅が連日日付を跨いでいる。
なのに、ご飯を食べたら、ひとしきりゲームをしなければいけないらしく、もう口出しもしないけど、明け方に就寝することがしばしばあるらしい。
「俺はショートスリーパーだから、4時間寝たら充分」と自信たっぷりの60歳。
確かに、身体について気になるのは花粉症くらいだ。
病気じゃないのに、病院で聞けないし、この不安を払拭するために、私は占ってもらうことにした。
占いに関して、私は当たる人か当たらない人か、逆に当てる自信がある。根拠のない自信は私の得意とするところ。
イオンの占いブースの前で、「よし、この人は良いぞ」と感じてお願いしたのは、四柱推命の占い師さんだった。四柱推命は勉強したことがあるけど、この方の鑑定方法はとても分かり易く、感動した。
それによると、主人は『身体はとてもタフだけど、ストレスを溜めやすいのでガス抜きが必要。120%で頑張らないと納得できない人。スピーチが上手。』
拍手喝采。ドンピシャです。主人のガス抜きゲームは、寝るより大事ということが、私の中でも納得なこととなった。
さらに、『運気の低迷期がない人』だそうだ。そりゃ年中忙しいはず。
そして、『お二人の相性は、とても良い』と言ってくださった。
実はそれは知っていた。自分で占った時も、奇跡的に良いらしかった。
私がこの家に嫁いで数年経った頃、全く何気なく、「そういえば、、」と聞かされた話がある。
主人が高校生の時のこと。
彼は修学旅行で出雲大社を訪れたそうだ。その旅行で、少年は自分への記念品など何も買わなかったのに、なぜか出雲大社のお札だけ買って帰った。家に持って帰ると、「縁結びの神様のお札なんか買って帰って、出雲みたいな遠いところからお嫁さん来ちゃったらどうするの」と家族にブーブー言われた。それを可哀想に思っておばあさんが、神棚に貼ってくれたとの話。
そのお札の力か否か、10年の時を経て、私が出雲の神社から嫁いできた。600キロの距離を跨いで。お互い初恋だった。私はこの地に、何か為すべきことがあって呼ばれたのか。
そのお札は、今でも煤けながらも、同じ場所にいらっしゃる。
自分が生きている人生は、いつでも『我』を軸とした時間の流れだ。
本質的な『我』という軸は変わることはなくても、まとっている要素が時に『我』を後押ししてくれたり、あしかせになったりする。それが運気というものか。
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人生って長い長い列車旅のように思うことがある。
一番後ろの車両が、赤ちゃん。二両目は10代。。。。
一番前の車両に移る時には、次には人生列車を降りる準備が必要だ。
年齢が上がるとともに、違う車両に移れば顔ぶれが変わる。価値観が変われば、求める人間関係のあり方が変わる。
車窓を流れる時代という景色は、どの車両からも どの世代からも 同じものなのだけれど、ワクワクや、不安や、達観した感じ。それぞれに違う。
今私は、前から何番目の車両にいるのかな。やりたいことをやってこれたし、主人と手を携えて残りの旅を楽しめるように、健康でいなければ。