新しい朝がきた
主人と休みの朝恒例のスタバへ行った。
日曜日とはいえ毎週末一緒に過ごせるわけではない。
主人は本当に走り回ってる人だ。
何ヶ月に一度、今朝のようなひと時が訪れる。
二人で、力まずに、けれど普段は話さないようなお互いの想いを語り合う。
私は、自分の学習塾で行き詰まってることや、逆に考えが開けてきたことなんか、、、話し出して頷きながら聞いてもらえると泣けてくる。やっぱり一番の理解者でサポーターだから。
私は、よっぽどでなければ人に相談するのが苦手。でも、ふとこの流れになる日曜日の朝のひと時が好きだ。用意して作れる空気ではない。
今朝は主人の仕事の話だった。
主人は、親族で経営している会社を継いだ。おじいさんがカリスマ的人物だったそうで、一代で立ち上げ成功させた人だった。
「自分はそれを継ぐために育てられただけ」と若い頃から投げやりな感じで、私にこぼしていた。
その気持ちに寄り添うことはできても、埋めることができるのは私ではないと思って聞いていた。
会社の経営自体が難しい時代、長男ということで、やりたいことへの夢も見ないようにしてここまでやってきた主人の心のうちの、何十分の一でも私は知ってあげてるのだろうか。
苦労を口にせず、一人葛藤してきた主人の成長ぶりは尊敬に値する。
向いの席でコーヒーを飲む顔は、私の10年、20年よりずっと深く様々なことを刻んでいる。
私達は、19歳の時障害児ボランティアのサークルで知り合った。
私の自転車で、二人乗りで活動へ出かける。
途中、交番があると、私がサッと降りて何くわぬ顔をしておまわりさんの前を通りすぎると、またちゃっかり乗る。
喫茶店に入るお金はない。タカラブネのシュークリームを買って帰って下宿で食べる。
晴れた日は、彼のYAMAHAのバイクで城巡りをする。私は背中にしがみついて走るが、それも結構疲れる。
そのうち一緒に暮らしだす。
お金はないし、風呂もない。銭湯で彼が待ちすぎて風邪をひかないように、出る前に咳2回を合図にする。
息ができずに死んじゃうかと思う程、二人で笑った。
お鍋をすれば、糸蒟蒻の取り合いで揉めた。
あの頃のことを思い出すと、8mmフイルムのように頭の中でカタカタと音を立てて、情景が流れていく。
***
40年前のあの貧乏な学生に、今の私達は決して想像できない。
お互いに自分の城を構えて、それなりに戦っている。
二人のかけがえのない子ども達を授かり懸命に育てた。
可愛い孫もできた。
主人の業種は、終わりの時代を迎えている。
主人は、前向きにこの先20年の会社のたたみ方のビジョンを、今朝私に語ってくれた。
力強く、そこには「継ぐためだけに育てられた」とこぼしていた青年の顔はない。「これが俺の使命」と語る姿はしっかり前を向いていた。
そして、「貴方が自立して仕事をしてくれてることは、いろいろな意味で俺の支えになっている」と言ってくれた時、本当に嬉しくて。
シュークリーム食べながら、屈託なく笑ってたあの2人の若者に伝えてやりたい。
新しい朝がきた 希望の朝だ
と。。。。