琵琶湖一周サイクリング
※この記事は『新しい朝が来た』『ありがとう。』の続編です。
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初夏の風が吹くと、
40年前働いていた児童養護施設の調理室の勝手口から外に出た時、すーっと顔を撫でていく風の匂いが、故郷島根のそれと似ていて、故郷が恋しくなったもんだよなぁ、、、
とあの頃のことを思い出す。
児童養護施設では、子ども達と寝食を共にする24時間勤務で、食住代や光熱費も要らないとはいえ、お給料は7〜8万円だった。社会人になって両方のおばあちゃんに喜んで欲しくて、1万円ずつ送金していたので、手元には毎月5〜6万円残るだけ。でも、全く気にしていなかった。
アザを作りながら、子ども達と格闘する日々は、私にとって生きることそのもので、お金を貰うと言うより、ただ毎日を懸命に生きていると言うことだった。
あの思い出は、今となれば何にも代え難い、大切な大切な日々だった。
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当時、私は中高生の男子寮の担当だった。それと企画係で、イベントの企画をしていた。
相棒は、O先生。男子寮でも企画係でも一緒。
私達は、天然ボケ同士のなかなかの迷コンビだったけど、ある年、記念に残るビッグイベントを成し遂げた。
『琵琶湖一周サイクリング』
言い出したのは彼女。「夏休みに、自転車で琵琶湖を一周するってどうですか?」
話を聞いたのは私。「うん。いいね。やろやろ。」
私達二人に、見通し とか リスクマネジメント とかのワードを求めてはいけない。
天然コンビだから。
ところが、この企画、あっさり職員会議を通ってしまう。全員どっか天然なのかな。
でもやるとなったら、苦労とか言うワードも関係ないのが天然の強みだ。
なんせ男女中高生、30人くらいを無事に引率しなければならない。
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事前に、O先生と私は、男性指導員のM先生に運転して貰って、車で下見に出かけた。
スマホやGoogleマップのない時代。それはそれは地道な作業で、そして楽しい1日だった。
ストップウォッチと地図を持ち、車の距離メーターを細かく観察し、子どものペースでどれくらい進めて、どのあたりで休憩を取らせるか検討しながら、ゆっくり走った。
何より、どの道を選ぶか。極力脇道を探す。
湖北に入ると、避けては通れない長いトンネルがある。歩道はあるが、側をガンガントラックが通って行く。最大の難所になりそうだった。
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当日、晴天。真夏の日差しが焼けつく。
初日はまず琵琶湖沿いに出て、湖南から近江八幡へ。予定通り到着し、この日はキャンプだ。
2日目、湖北に入る。相変わらず太陽は照りつけるし、トンネルの恐怖もあるし、、、。
でも、湖岸道路からの景色は最高だった。湖面がキラキラして、日本なの?と思った。
来て良かったと、胸が熱くなる。水面の光と遠くの景色と、懸命にペダルを漕ぐ子ども達の背中をかわるがわる見ながら、「みんな見てるかい、この景色」と、心で問いかけた。
この夜は、宿の風呂に入り、全員身体を休めた。
3日目は、大津の方へ戻る。
最後の、子ども達へのサプライズとして私たちが用意していたのは、大津の街で外食をすること。これだけの人数で外食は、よっぽどでないとできない。
ナイフとフォークの洋食ランチをみんなで食べて、さあ、最後の道のりです。
山のてっぺんにある園の坂を、登って行く。最後の力を振り絞って。
ゴールをすると、お留守番の先生方が園庭で手を振って迎えてくれた。
やんちゃ高校生も、全員ハイタッチで出迎えの中を通って行く。
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このブログの読者様、当時中学生のMと、高校生のMも一緒にママチャリで走ったよね。
もう二人ともアラフィフ、でっかい娘達。
一人のMは医療系の管理職、一人のMは保育園の園長先生をしている。立派になったね。
みんなに出会えて、懸命に生きた日々があるから今の私があると思う。本当にありがとう。
コロナの後で、必ず会おうね。
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この後、一緒に下見に行ってくださったM先生に事件が起こり、私の時々スーパーマンが本当に園にやって来ることとなる。