「終わりのない歌」
先日、小学生のブロガーさんの記事に、「お互い頑張りましょう」と言うコメントを残してしまった。
もちろん大人なら、何も目くじらを立てる人はいないだろうし、私自身気合が入ってくると「頑張るぞ」と発する。
でも確実に年齢的に上、下、ができてしまう子どもに対して、安易に「頑張れ」と放たないよう心がけているつもりだった。塾の生徒さんは来てくれてるだけでも一頑張りしているので、私の自己満足的な「頑張ってね」ではなく、なるべく具体的なことを示そうと信念を持っている。
ついコメント欄の制約の中で使ってしまって、後日気になった。
翌日彼女は「頑張りによって人が救えるなら、頑張るかもしれない」と書いていらっしゃる。
今日は、「頑張る」を考えてみようと思う。
とりあえず、「怠ける」の反対語としての「頑張る」ではなく、一所懸命の姿が他者に共鳴して、何かの動機付けを与えられるかも、と言う意味での「頑張る」を取り上げてみたい。
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2019年5月6日放送、NHK『逆転人生〜伝説のロックシンガー 復活の歌〜』
で取り上げられた、奥野敦士さんの物語を紹介したい。
彼は1985年デビューしたロックバンド ROGUE のボーカリストだった。
そのパワフルで伸びやかな歌声と音楽性で、当時500はあったと言われる、ロックバンドの中から抜きん出るのにさほど時間を要しなかった。
1987年「終わりのない歌」のヒットで1989年には日本武道館単独ライブを成し遂げる。
奥野は、憧れのロックスターの夢を叶えるが、もっとビッグになりたいと言う野心が、仲間との関係に亀裂を生み、1990年一方的に「もう終わりにしよう」と仲間に告げ、人気絶頂の中解散してしまう。
しかしながら、その後の奥野の人生は転落していく。
ヒットは出ず、酒浸りの暮らしが10年以上続いたある日、喧嘩別れのままだったバンドメンバーの一人から、「再結成の誘い」の電話がかかる。
それが彼を奮い立たせた。酒浸りから抜け出し、緩み切ったから身体を鍛えるため解体業のアルバイトに精を出し。。。。。身も心も絶好調のはずだった。
ところが2008年9月、更なる試練が奥野に降りかかる。
解体する工場の屋根から落下。一命は取りとめるが、頸髄を損傷し下半身を動かすことができなくなる。生活の一挙一動まで介護が必要な状態になる。ここが奥野の人生のどん底だったと言う。
しかし、逆転があるのだ。
事故から1年半、1枚のDVDが届く。
かつてのバンドメンバーやファンからの応援メッセージだった。「復活を待っています」の言葉が溢れ出していた。
背中を押された奥野は、リハビリ担当の作業療法士さんに「歌が唄えるようになりたい」と気持ちは伝えるが、腹筋を全く動かすことができないので、歌声は出せないし、音程も取れない。
しかし、神様が用意してくれていたのか、その堅い堅い扉が開く日が訪れる。
その歌声がこれ。女性の声は作業療法士さん。魂の歌声を聴いて頂きたい。
この話には、更なる感動のエピソードがある。
ある日、この動画を観たという人物が、群馬のこの病室に訪ねてくる。
その人物はMr.Childrenの桜井和寿だった。
中高生の時からROGUEを聴いていたという桜井は、自分の野外フェスで歌ってほしいと話した。
この申し出は、体調のことがあり実現しなかったが、本当にカッコイイと思った。
2013年10月、ついに、支えてくれた仲間の力添えで、地元の"グリーンドーム"で、23年ぶりの復活コンサートが行われる。なんと4000人のファンが駆けつけ声援を送った。
その時の「終わりのない歌」
「腹から声が出なくても、心から声が出る。伝えたい気持ちが伝わればいい。」と語っていた。
以前通っていた美容室に、いつも手を真っ赤に腫らしながらも、一所懸命シャンプーをしてくれる男の子が居た。その子にシャンプーして欲しくて、電車に乗って出かけた。
その帰り道、必ず「私もあの男の子のような気持ちで、授業するぞ。」と思えた。
頑張る気持ちは、共鳴し合うと思う。
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暗く、寂しい夜道を、一人うなだれて歩く帰り道。
ふと顔を上げると、夜空には満点の星の子たち。どれだけ元気と勇気をもらえることだろう。