この窓から見える景色

~ 目指すぞ!エッセイスト 60からの挑戦の道 ~

ありがとう。

 

※この記事は、『新しい朝がきた』の続編になります。

 

tenebo.hatenablog.com

 

 

1980年代、空前の好景気バブル時代に入るちょっと手前。

私達はそれぞれの道に就職した。

 

主人は家業を継ぐ時の修行にと、関連する業種の営業職に就いた。

私は、学生時代に全力を注いだ児童福祉の道しか考えられず、児童養護施設に就職した。

 

二人の距離は県を跨いだ。遠距離となった。車で3時間。

 

 

***

 

その頃の日本は、ぐいぐい動いていた。

多くの人が、恐れることなく自分を主張していた。

ネットという監視がまだなかったからだろうか。

好きなファッションで、自分らしさをアピールする。

 

私が担当した中高生の男子達は、そんな時代のツッパリくん達だった。

 

私は、と言うと。

中学ブラスバンド部、高校帰宅部、、、窓際で友達の様子を眺めているタイプ。

決して、ヤンクミ ではない。

 

***

 

事件はしょっちゅう起こっていた。

私に彼らをまとめる力量はない。でも、がむしゃらに頑張ってしまう。衝突する。

その繰り返し。

 

40年も前の養護施設には、「作業の時間」があった。

日曜日の午前中、各寮毎に施設の手入れをする。

私には、ダルがる彼らを動かせない。

 

でも、私は負けたくない、弱音なんか絶対吐きたくない、「私一人だってやってやる!」

草刈りの日は、電動草刈り機を担いだ。

肥え汲みの日は、二つの桶を天秤で担いで何往復もした。

 

 

ルールを守らせようとするたびに衝突し、殴られアザが絶えなかった。

回り道をして、わかってくれる日を待つ、というスキルを持ち合わせていなかった。

他の人はもっと遠巻きに距離をとって人と付き合っているんだ、と知ったのは、その30年も後のことか。

 

ただ、両親のさまざまな事情でこの暮らしを強いられている子ども達に、「大人はみんなずるい、信用できない」と思って欲しくなかった。不器用かもしれないし、彼らに良い方法ではなかったろうけど、ずるくない大人がいること、信用して欲しいと言ってる大人がここに居ることを全力で示したかった。

 

時々、「あれ、俺のパジャマ洗濯してくれたんけ!」とか「お前だけやぞ、朝からニコニコしとんの」と自分こそニコニコと言ってくれたりすると、「よし!」と心でガッツポーズ。

 

彼らは、卒園後、社会人になって嬉しいサプライズをくれた。

それなりに、私の体当たりな関係作りは、彼らの心に届き、時と共に熟していったのかもしれない。純粋な子たちだった。

 

 

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その事件は、日曜日の夜起こった。

 

テレビは10時に終了という決まりだった。

もちろんYouTubeもないこの時代、日曜日10時のテレビを見なければ学校で話題についていけない。見るなと言うのは酷な話だ。

消しに行けば猛反発を喰らう。だから職員は日曜日の10時、職員室に集まってしまう。

 

辛い、怖い、、、葛藤の中でも、突撃してしまうのだ、私と言うやつは。

 

案の定、全員がテレビの部屋に集まって、テレビに注目している。

「10時だよ。テレビ消すよ。」

「うるせえ」「帰れ」「あっち行け」「ボケか」「ぶっ殺すぞ」罵声と共にそこらじゅうのものが飛んでくる。

 

負けない。

「そんなに見たいなら、園長先生に自分たちからきちんと話つけなさいよ。こそこそしないで」

と、踏み込んだ瞬間。

ボスのYが、首を振った。(やっちまえ)

全員が馬乗りになってきた。私はヤンクミではない。終わったと思った。

 

Yの「やめろ」の低い声で、全員部屋に戻った。

私は、恐怖でワナワナしながら、訳もなく誰もいない真っ暗な学習室に入り、掃除用具入れの影で声を殺して泣いた。

でも、呼吸を整え、「おやすみ」を言いに戻っていく。どこまでも負けず嫌い。

 

辛い。辛い。。。何が正しいか、もうわからない。。。。

 

 

 

その時、呼び出しの放送が入った。

「banchan先生、お電話です。banchan先生、お電話です。」

 

職員室へ行き、電話を取ると

「あー、俺。あのさ、園の坂を下まで降りてきて。」

 

行くとそこに、彼の車のテールランプが光っている。

駆け寄って乗り込むと

「お誕生日、おめでとう」

のサプライズの言葉。

ポットから注がれたコーヒーの香り。

ショートケーキの上で、1本だけのろうそくの小さな光が、暗闇の中で揺れていた。

 

片道3時間だ。

彼は時々スーパーマンだった。

 

スーパーマンは、私に起こったことを察したのか「よし!俺もここで働く」と宣言を残して、明日の仕事のために、3時間の道のりを帰って行った。