私の娘の話

 

 

 

今日、娘が結婚記念の写真を撮る。

入籍は昨年11月で、コロナもあり、両家両親と2人の6人で食事をして祝った。

 

今日の撮影会も、コロナで2人以外はお断りとのこと。

 

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娘がまだ3歳の頃の印象的な一コマがある。

 

主人、息子、4人でファミレスで日曜日のモーニングを食べに行った時のこと。

私と息子が隣り合い、主人と娘が向かいの席に座った。

主人は若い頃、短気だった。渋滞とか列並びとか大嫌い。お出かけしても、橋の手前などで流れが悪くなり迂回のきかない橋の上でピタリと流れが止まったりすると、車内に重苦しい空気が漂ったものだ。日曜朝のファミレスやハンバーガー屋さんもそのリスクが高い。

 

その日曜日も、やっと席に通された時には、主人は“日曜の楽しい朝食“的な雰囲気ではなくなっている。本人はそんなつもりはないだろうけど、3歳と5歳の兄妹は空気を読んでいる。

主人のボヤキに、私が「でもさー」と言いかけた瞬間、若くて大きな主人の隣でちょこんと座っていた3歳児が、向かいの席の私に強い視線をよこす。

そして、主人の体に隠れるようにしながら、私に合図を送る。唇の前に人差し指を立てている。

 

『反論しないで』『ここはそっとしとけ』『それ火に油だぞ』『自然鎮火を待て』

 

3歳にして恐るべき司令塔。

それ以降、50年余り、娘は主人語とわたし語の通訳師であった。

私は真っ直ぐからしか見れないので、大好きな旦那さんが、私と違う角度から物事を見ているとは思ってもいない。そこを、娘がいつも通訳してくれた。

 

 

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娘は、いつも周囲のために、最適解を必死に探す性分がある。

なので、周囲から信頼も得るし愛される。そして、頂いた信頼を裏切ることはできない。

自分の身体の反応は騙してでも、最適解に向けて努力をする。

 

天然な私は「好きか嫌いかで選べば良いんだよ」と言い続けたが、そのように反応しない、できないから、娘の戦いがあったのだと思う。また、簡単にそう言い切ってくる母親に、複雑で追いつかない感情があったのかもしれない。

 

娘は、きっと、初めて、「好きか嫌い」で、彼を選んだ、選ぶことができた。

彼とともに歩む中で、「頑張ってるよね自分、みんなのために」って最適解を求めて努力し続ける自分の性分を、めっちゃ好きになれると祈っている。

親が与えられるものと、彼が与えてくれるものは、違うからね。

 

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『相手の視野から物事を見る』のが信念の娘。3歳の頃から、周りをキョロキョロ気にしながら顔のパーツを真ん中に寄せて、何か一生懸命考えてるような仕草は、そのためだったのかな。

 

天然な私はいつも、言い切って喋ってたけれど、あなたの思考に寄り添って理解することが、何よりあなたへの感謝の、お返しですね。

 

 

キレイな花嫁姿の写真待ってますよ。

 

 

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