鬼コーチ!が居ない!

 

知り合いの60代の女性が、ここのところ激痩せして、それが尋常ではないので、ついに検査を受けることにしたと言うのです。

 

私はその報告を聞いても、直感的に彼女に大きな病が隠れているような胸騒ぎがなかったので、親しさもあり生年月日と生まれ時間を聞いて、四柱推命的に何か問題点がないか見させていただきました。

 

彼女の『命式』の八字は

    丙 己 壬 戊

    子 卯 戌 戌

という見慣れない文字になります。

この八字の持つ意味と、お互いの関係性から様々な情報を読み解いていきます。

 

さて、上の八字を簡単な絵にしてイメージすることができます。

山があって、ふもとには平原が広がり、大きな河が流れ、それを秋の穏やかな太陽が光を注いでいる様子になります。

綺麗な絵が想像できます。何も問題ないように思えます。

 

でも、この絵には鬼コーチがいない!

鬼コーチは山から降りて来るのでしょうか。。。いえいえ。

 

鬼コーチとは、『官星』と言って、自分を剋してくる要素です。

自分を色々な意味でコントロールしてくる、自分の中の要素です。

 

 

自分にとって、追い風ばかりでは発展しません。

 

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***

 

彼女自身の本質は、この絵の中の平原になります。

大地は母性の象徴です。受容し命を育てます。

 

お人好しと思えるくらいお友達のお願いに応えようとする彼女。

「そんなの断りなよ」と呆れ気味に言っても、「まあ出来ない程でもないし」と頑張ってしまいます。

 

お友達はこの絵の中の山です。

平原の彼女の側で大きく聳えます。

彼女は思わずへりくだってしまいます。

そのこと自体は良くも悪くもないのですが、必要なのは、この平原に植物が生える事だと私は考えました。

 

特に、樹木です。

樹木が平原に根を張れば、土が整います。

彼女にとって、樹木こそが、良き鬼コーチになります。

 

彼女の中で、〇〇するべきというルールや歯止めがないので、ついつい自分がやれば済むならそっちでいいか、と感じてしまい、優しさからグダグダになってしまう。

そして知らないうちに疲労やストレスを溜めてしまったのでは、と見ました。

 

***

 

この絵の中に、樹木を植えるのは、気持ちの持ちようや、精神論では叶いません。

時にあたる』のです。

 

この言葉、私大好きなのですが、また別の機会にお話しさせて下さい。

 

巡る時、巡る季節の中で、この絵に新しい物が加わったり、失われたりします。

その時を掴むのです。

 

***

 

土の人の場合、体重が増えたり、減ったりを繰り返しやすいと言います。

さらに、彼女の場合、元の八字の他に、『年運』という彼女自身の10年間のテーマで、この絵に山が増えてしまっていたのです。

 

 

結局、検査結果は大きな病気はなく、体質的な問題点が見つかり、投薬で改善されるとのことでした。

 

 

***

 

どんなエレメントも良い悪いはなく、関係性とバランスということになります。

 

次回もう少し、「鬼コーチ」についてまとめてみようと思います。

 

 

 

 

***

 

占いのアリーナイオンモール長久手店(愛知県)

毎月 第2、第4日曜日

白神江癸 しらかみみずき

占術: 四柱推命 周易 手相鑑定 易カウンセリング

 

で出演しております。お近くにお住まいでしたら、是非一度お立ち寄り下さい。

11月にオープンする『ジブリパーク』の近くのイオンモールです。

ついでに、会いに来て頂けた本当に嬉しいです。

 

占い師、卵から孵る。

 

久しぶりに自分のブログを読んでみて、60歳の自分に感心した。

61歳になってみたら、そんな人生の細部を思い出せる気がしない。

60歳の時書いて残して良かった。

 

でも、このわずか半年後に、人生の流れが大きく変わるとは、思ってもいなかった。

『この窓』から飛び出して、61歳にして『初めて見る景色』を体験している。

 

占い師をやっている。

 

***

 

島根の山の中、大きな自然を感じながら、ひたすらちっぽけな自分の内面と向き合った10代。

児童養護施設でヤンチャな高校生と格闘していた20代。

自分なりのやり方で学習塾を始めて、ずっと続いて25年。

そして61歳で占い師の道を歩き始める。

 

私の人生を語るならこの4つのストーリーが柱になる。

まさに、『四柱推命』だ。

 

自分で『四柱推命』の運命学を紐解けるようになって、自分の人生が『命式』という設計図通りにピッタリ生きて来たことにびっくりした。

 

 

 



一つ一つの経験が、全く新しい出会いのようでいて、でも何か伏線が引かれていて、導かれていたようにも思える。

 

 

この記事に書いているように、昨年の秋、夕陽と、山と川、空と雲が融合した自宅近くの景色に、無性に心惹かれるようになった。

 

tenebo.hatenablog.com

 

そして、夜空を見上げては、星が私に、何かを「感じなさい」と語りかけてくるのだ。

でも、何に気付けばいいのか、分からなかった。

 

 

この半月後の日曜日、まさに導かれるように、自宅から遠いイオンにある占いのブースに、高速に乗ってでも行きたいと感じ、そして手招きしてもらって入ったブースの占い師さんから「あなた占い師になりなさい」と言ってもらい、名刺をいただいた。

それは、四柱推命の4つ目の柱が動き出した瞬間だった

 

 

その後のデビューまでの猛勉強の中で、コンステレーション と言う言葉に出会った。

易的には、「運の向き」だそうだ。虫の知らせのような感覚が複数回起こり、それをつなげて、天からのメッセージに気付く、易者として大切な感覚だ。

 

コンステレーション 検索してみて、涙が出そうだった。

日本語訳は「星座」だった。

 

夜空の星たちが、私に「感じなさい」と訴えてくれていたことは、「この道を行きなさい」で間違いないんだ、とわかった。

 

一つ一つの星は、偶然を意味して、それを結んでみると、星座になる、メッセージになる、と言うことだ。

 

 

 

 

 

人は悩むと、その自分の弱さと向き合って、改善方法を模索する。

東洋思想の「陰陽」という言葉は、誰でも一度は見聞きしたことがお有りだろう。

この「陰陽」をしっかり学ぶと、悩みがちな方も、きっと心が楽になると思う。

 

悩みがちな人ほど真面目で、正しさを求めたり、優秀でなければ、と頑張ってしまう。

 

プラス言葉の対としてマイナス言葉がある。

いい例えではないけれど、陽気と陰気、賢いとおバカ、スマートとぷっちょ、働き者と怠け者などなど。真面目な人は、陽気で賢くてスマートで働き者であるべき、あるいは、そうあろうと努力しなければと思う。

 

それで、その自分の期待に反してしまうと自己嫌悪に陥ってしまう。

 

世の中には、どうしたら期待通りの自分になれるかの自己啓発的な情報がたくさんある。

でも、見聞きして成る程と感動しても、結局いつもの場所で撃沈している自分に「何も変われない」と否定感を持ってしまう。

 

陰陽」の考え方だと、まずプラス言葉ばかりをチョイスする時点で間違っていると気付ける。

満月と新月が繰り返されるように、陽が昇って沈むように、陽と陰は絡まりあってこそ発展できる。この事実は、あなたを励ますわけでも、奮い立たせ啓発するためでもなく、事実として言える事だ。

 

人自身も、人を取り巻く出来事も、陽ばかりでは発展しない。

 

この考え方に出会えあて、私自身がどんなに楽に生きられるようになったか。。。。

 

 

***

 

 

本当に久しぶりに書いてみたら、全く言葉が出て来ません。一日がかりでした。

今は、とにかく運命学の猛勉強中です。

自分が塾の子どもたちに「ここ覚えといてね」と、丸暗記で丸投げしない、分かりやすく理由を説明し納得してもらうこと、を信念にしているので、運命学も、原理原則、因果関係の筋が通らなければ、相談者様に暗記だけの吉凶をお伝えしたくない、という信念があります。

 

こんな私ですが、どれどれどんな感じ?と興味を持っていただければ、

 

占いのアリーナイオンモール長久手店(愛知県)

毎月 第2、第4日曜日

白神江癸 しらかみみずき

占術: 四柱推命 周易 手相鑑定 易カウンセリング

 

で出演しております。お近くにお住まいでしたら、是非一度お立ち寄り下さい。

11月にオープンする『ジブリパーク』の近くのイオンモールです。

ついでに、会いに来て頂けた本当に嬉しいです。

 

***

 

また、占いに関する気づきや、これまでのような内容のエッセイも書いてみようかなと思います。占い師の卵の成長過程を傍観する感じで、またお立ち寄り下さい。

 

 

 

『生まれ来る子ども達のために』

 

10月末は連休が取れるので、毎年島根の実家に両親の様子を見に帰る。

 

父が免許を返納してからは、姉が送り迎えをしてくれるので、都合良くいくように、姉の家の近くに宿をとることにしている。

 

その宿は、入った途端に大きな窓一面に日本海が広がっている。

荷物も下ろさず、ベランダに出る。

視界のまっすぐ先に水平線、その上に青い空と白い雲。

 

「海だー!」

気分は、映画『ホリデイ』でお金持ちのキャメロン・ディアスの家に足を踏み入れた時のケイト・ウィンスレットだ。

 

海ってなんでこんなにいいのかな。

 

以前『魔女の宅急便』の作者、角野栄子さんが、お気に入りの街鎌倉の海辺に立って、この疑問に自問自答して言っていた。

 
「遠くの方から運んでくるような気もするし、こっちの気持ちを持っていくような気もするし、、、」

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今回の島根は、ゆったり温泉に浸かることと、夕陽を見ることと、夜空の星を眺めることをとてもの楽しみにして2泊とった。
 
 
でも、父のコンデションが良くなくて、温泉は諦めた。
 
 
その上お天気も今一つで、夕焼けショーは期待外れ、星に関しては一つも光っていなかった。
夜ホテルから主人に電話をして「星がひとつもない」と言ったら、「え、それだけの用事?」と言われた。出発前、「きっと島根の星はもっと綺麗だぞ。」と気分を盛り上げさせたのはそっちじゃないか。
 
 
 
翌2日目は天気は少し回復した。
 
父も少し元気を出して、ランチを食べに出て、カフェへと梯子した。
そして、おしゃべり。それだけのことだけど、300kmを旅して来て良かったと感じるひと時。
 
 
父を送り届け、もう日暮れだ。
今日こそ「夕焼けショーin島根」だ、と姉の家へと車で急ぐ。
なんでも、姉もお気に入りの夕焼けスポットが近所にあると言う。白鳥もやってくる湖で、先日も来ていたから、と。
 
 
でもタイムアウト。「あっちの空綺麗だよ。」と言いながら、夕陽と競走したけれど、間に合わなかった。すっかり暗くなった湖の駐車場で、愛犬と白鳥が睨み合ってるその日の動画を見せてもらって、終わった。
 
 
 
 
夜の星は期待通り綺麗だよ。でも電話しない。口では言い表せないから。
波の音と漁火と、大きく光る星と細かく光る星。
やっぱりうちのベランダで見るのと違うよ。
 
いっぱい着込んでも海の夜風は冷たい。後5分、後3分、と、、、しみじみと見上げた。
 
 
 
***
 
 
9月2日。娘が出産した。女の子が生まれた。
 
2人は1ヶ月ほど、我が家で過ごした。
 
自分も2人の子どもを産んで育てたのだけれど、新鮮な不思議を感じさせてもらった。
 
 
1つ目は、私が産んだ娘が、子どもを産んだこと。
感慨深かった。ずっと先になるけど、娘もいつかこの不思議で感慨深い心境を味わう日が来るのだろうなと思う。
 
 
2つ目は、生命の不思議だ。生命が目の前で日々進化していく。脳がグングン発達していく。
と改めて感じるほどに、赤ちゃんって繊細で、逞しくて、不思議な存在だ。
 
 
3つ目は、愛の絆の力。
里帰りも終盤、娘は、私の勧めに後押しされる形で、2時間の予定で家をあけ、美容院に行った。うち合わせを万全にして。母乳なので、前日から哺乳瓶の練習をしたておいた。
 
赤ちゃんは、とても穏やかに寝てくれた。が、予定より早く目が覚め、おむつを変え、ウンチも出し、ミルクも100mlペロッと飲んで。
でも再び寝てくれる気配はなかった。抱っこして、なんとか2時間いけるかと、あやしながらも、私は少し焦る。
 
お腹が足りない様子で、少しむずがり出す。でも泣きはしない。
2時間を15分、30分と回っても帰って来ない。
 
さらにむずがり出したので、予定外だったけど、後20mlミルクを作った。
でも、さっきと違って舌で押し出す、「これではない」と、、、でも泣きはしない。
 
「お母さん、ごめんねー。」と玄関を開けると同時に娘が駆け込んで入って来た。その時だ、赤ちゃんが思いきり泣き出した。
 
 
娘の声が、ママの声が、生後1ヶ月もたたないこのか弱い存在に、「あの人だ」と理解させたのか。毎日、昼夜もなく、そばに寄り添う人との絆が結ばれているのだなと感動した。
 
 
***

 

 

多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も戻れない もう戻れない
あのひとがそのたびに許してきたように
僕はこの国の明日をまた想う

ひろい空よ僕らは今どこにいる
頼るもの何もない
あの頃へ帰りたい

ひろい空よ僕らは今どこにいる
生まれ来る子どもたちのために何を語ろう
何を語ろう

君よ愛するひとを守り給え
大きく手を拡げて
子どもたちを抱き給え

 

『生まれ来る子ども達のために』小田和正

 

 
 
3人の孫に出会えて、命に触れる時、この綺麗な地球を残していくのは私たちの使命だろうと、心から思う。
 
 
SDGsというと、申し訳ないけど、ピンとこない。
けど、孫達にも、その子ども達と一緒に、この星、この夕焼け、この海を見て欲しいと思う。
 
 
私たちだけが、便利で、私たちだけが良ければそれでいいというものではない、と、島根の夜空を見ながら、素直に、そして強く思えるのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

『私のやり方』

 

 

今日は日曜日。恒例の主人と出かけるコーヒータイムが、昨夜から何だか楽しみだった。「明日のカフェが楽しみだな。」と言う私に、主人は「また、なんで?」と、大き過ぎる期待は困るよ、と言った感じの返事をした。

 

しっかり朝寝坊して、昼にもなりそうな時間に家を出ると、素晴らしい空だ。急に肌寒くなった天気が関係するのか、青い空に色々な形の雲がずっと向こうまで、360度広がっている。

 

 

いつものスタバの後百貨店で買い物をして帰る。

4階駐車場は、私の撮影スポットでもある。特に雲が良い日。

 

ちょっと待って、と主人に告げて、ガラケーから変えたばかりのiPhone を空に向ける。

風が強くて携帯を持つ手が少し緊張する。

ならば、と主人が、車に乗り込んだ私をフェンス際まで乗せて行ってくれた。

 

ほんの数十メートルの移動に、私の気分は、旅行にでも来たように盛り上がる。

景色が変わったから。

遠景の山並みに、手前の街並み、駅でもあるこの建物から出て行く電車が真っ直ぐ山の方へ向かって行くように錯覚する。

 

その上では、大きな鱗を持つ龍が体をうねらせながら下界を眺めているような、そんな雲がゆっくり流れている。夢中になってフェンスいっぱいに右往左往しながら、この感動を何とかスマホに収めてもって帰りたい、と思う。

 

「なんか、観光地にいるみたいだね、私。」と車で待っていてくれた主人に、ありがとうの代わりに言うと、主人は返事の代わりに、今度は車を屋上駐車場に向けてくれた。小さな百貨店で、屋上まで行く必要など今までになかった。

 

車の頭が空を向いて上がって行く。

胸が熱くなって、涙が滲んでくる。

何故かわからない。

屋上に立つと、誰もいない。

ただ、少しおしゃれして着て来たワンピースの裾が風にはたはた言う音と、私の嗚咽する声しか聞こえない。

もう、全部吐き出して泣いた。拭っても拭っても涙が止まらない。

 

喜怒哀楽の感情の涙ではなく、自分ではコントロールすることができないまま、身体の中に溜め込んでしまう何かが、ついに一杯一杯になって、堰を切って流れ出して来たような液体だった。

 

主人はきっと驚いてしばらくは、やっぱり車の中から見ていたようだった。そして、降りてきて「どうしたの?」と答えを求めるでもなく言った後、ぐるりを囲む山々の説明をしてくれた。そして、「今日の夕陽もきっと綺麗だね。」と言ってやっと私の方を見た。

 

夕方4時半、「夕陽を見に行くんでしょ。」と、また車を出してくれた。

 

 

 

 

***

 

 

この歳になって、暮らすことへの心配もなく、人間関係の些細なことにクヨクヨするような出来事もなく、平穏な代わりに、体調が変わりやすい。

 

夏の終わりから、脳疲労が激しく、右の耳の低音の難聴が酷くなって、聞こえて来る音の不快さに付き纏われる日々がずっと続いていた。

 

そうしたら、何だか夕陽にものすごく心惹かれるようになった。

何だろう、身体が欲する。

 

出来る限りお休みの日は夕陽を見に、西へ向かってお散歩をする。

私の目下の趣味は、夕焼けショーを見ることだ。

 

 

 

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この日、この景色を独り占めだった。

必死にスマホをあっちに向けこっちに向けしながら「独り占めだよー」と声を上げた。

でも、追いつかない。本物の感動は、画面の中には収まらない。

 

この景色の中に、赤い2両編成の在来線の電車が入って来る。

 

 

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そして、この川沿いの田園風景を横切って歩いていくと、今度は新幹線が抜けて行く。

カッコイイ。

 

別の日だけど、燃える夕陽の中に新幹線が駆け抜けていった。

 

 

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走れメロス』は、この太陽と同じ太陽が燃えて沈んでいくのを見ながら、友のことを想い、ひたすら走った。

 

風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラは、この太陽と同じ太陽が燃えて沈んでいくのを背に「I'll  never be hungry again!」と神に誓って自分を奮い立たせた。

 

私は宇宙の歴史の中に生きている。壮大な気持ちに解き放たれて行く。

 

私の頭の中でも、♪タンタータターン、タンタータターンと『風と共に去りぬ』のテーマ曲がBGMとして流れるのだけれど、神に誓うほどの熱い気持ちは残念ながら探しても見当たらないので、とりあえずスマホにおさめてから、大きく深呼吸をする。

 

「この街が好き」と思う。

 

 

***

 

 

歳をとると花鳥風月に心惹かれるようになると聞くけど、それがよくわかる。

人に愛されたい、人を愛したい、と言うより、大きな存在に包まれたいと思う。それはいつか自分が戻って行く場所なのかもしれない。

 

 

少し前にもそんな事を感じた。

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***

 

 

そして、夜になると星を眺める。

Amazonで購入した、キャンプ用のリクライニングチェアをベランダに置いて、自分家の屋根や隣の家の屋根や、電線を避けて、やっとささやかな空間を見つけるのだけれど、寝そべって見る夜空は、それでも凄い。

 

星座のことも、天体のことも、全くわからないけれど、脳みその回路をすっ飛ばして、ただただ神秘的で畏敬の念に、逆に押しつぶされそうな、複雑な気分になる。

何かを「感じなさい」と天が言ってくる。「理解しなさい」と言ってくる。

川上ミネさんの『O  MEU CAMINO』というピアノ曲を聴きながら夜空を仰ぐと、それが何なのか、導いてもらえそうな温かい気持ちになるのだけれど、まだ時間がかかりそうだ。

 

何故この曲が、こんなに私に寄り添ってくるのか、この『O  MEU CAMINO』と言うポルトガル語の意味を調べてみた。

 

『私のやり方』と言う意味だった。

 

私が少しくらい傲慢でも、少しくらい柔らかくても、私が帰って行くのであろう大きな存在からしたら、ちっぽけなことなのかもしれない。

それなら、『私のやり方』で生きていきなさい、と言うことなのだろうか。

 

 

 

『はてなの街』に里帰り

 

 

私の学習塾がお盆休みに入ったので、故郷のようなはてなブログに帰省することにした。

手土産が何もないけれど。

 

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故郷島根に帰ると、必ずみんなで出かける蒜山高原岡山県

 

手土産がない上に、ネタ欠乏症だ。

 

今日の出来事で特記すべき何もないけれど、敢えて言うなら、

朝起きた時、身体中が痛くて、マットレスにへばり付く様に寝ていた身体を、なんとか、ゆっくり起こしてベッドを降りた。

 

あー、カズマの夢だった、と思った。

カズマは、大阪で一人暮らしをしている甥っ子。自閉症というハンディを持ちながら、逞しく生きている。

コロナで、全く会えない。今年もお盆に会うことができないな、と思ったからかな。相変わらず、日焼けした顔に大きめのメガネで、ニコニコしていた。

 

少し頭が起きてくると、なんでこんなに痛いんだ、と振ればカラカラ音を立てそうな脳みそで、昨日の一日をなんとか思い出してみる。

 

昨日は確かに大掃除はした。
でもなぁ、とそれ如きでか、と首を傾げた時思い出した。
Amazonで買ったハンガー掛けを組み立てた。高さがあって重かった。作りながら、汗だくになって、今日は人並みに1〜2ℓという汗をかいてるよこれ、と思いながら格闘した。

 

 

もともと、『組み立て』という作業は、最も苦手な仕事。

理由は2つあって、一つは力があまり強くない。

もう一つは、マニュアルを読むのが、とても苦手。面倒臭い。その通りにやるということが面倒臭い。読まずに、なんでも自分の感覚重視で進めてしまう。

 

 

読まずに感覚、というのは、一度こうだと思い込むと簡単に訂正できない、という欠点がついてくる。

 

昔、ナオトインティライミが世にでた時、その名前をきちんと読むのが面倒くさくて(一瞬面倒くさいのです)、感覚で読んでしまうのだ。タケシインテグラ。なんでそうなるのか、しかし私の中では、もうタケシインテグラになっている。

 

娘の前で、ペロっとタケシインテグラ、って言ったら爆笑されて、それはそれで、ちょっと失礼な、みたいな顔をしたら、娘が慌てて謝ってくれた。

 

アプリの『Pinterest』のことも、私はちゃんと読んだことがなく、『赤のP』とだけ認識している。先日娘と話していて、「アプリでさ、『ピンセット』とかあるじゃん」とうかつに言ってしまった。すると娘は「あっ、『ピンタレスト』ね」と言った後、一瞬笑いを飲み込んだ、私はそれを見逃さなかった。

 

 

***

 

 

そして、力が強くないと言えば、

これも昔、お昼ご飯に、『桃屋のチャント五目寿司のたね』という瓶の商品に悪戦苦闘したことがある。

主人は、徒歩3分のところに事務所があるので、昼ごはんに帰ってくる。私も学習塾をしているので、昼食を作って、食べて、はい授業、というこの時間帯は、とても慌ただしい。

その上、この日は美容院帰りだったので、さっと作ろうと、ご飯にこの寿司の素を混ぜて、お刺身を乗っけて、『なんちゃって海鮮丼』を予定していた。

 

が、瓶の蓋が開かない。固い。焦れば焦るほど開かない。調理台はしっちゃかめっちゃか。あの手この手を繰り出している。

 

もう電話する!

 

瓶裏のシールに書かれた電話番号に「おい、開かないじゃないか」と言ってやろうと思った。(でも、勘違いしないで頂きたいが、私は決してクレイマーキャラではありません。天然なところはあります)

意気込んで電話をすると、「それは、瓶の蓋を熱いお湯に数秒つけてから、開けてみてください。」と、よくある質問的に、冷静にサラリと返答をくれた。

勢いの収まり場所を失った私は「こういうお手軽な商品は、若いファミリー向けというより、リタイアした二人暮らし夫婦が、ターゲットじゃないんですか。だったら、年寄り向けに蓋も改良されたらどうですか。」と、勝手に喋った。すると「ありがとうございます。検討させていただきます。」との答え。

 

とにかく急がねばと言われた通りにやってみると、ものの15秒だ。魔法か。感心した。

おまけに、瓶裏の電話番号の近くに赤い字で、その開け方が書いてある。申し訳ないと思った私は、また瓶裏番号にかけて、「ありがとうございます。魔法のように開きました。」とお礼を言い、ここでまた10分ロスをした。

 

桃屋のチャント五目寿司のたね』は期待に反して、瓶の蓋がモデルチェンジされることはなかった。

 

***

 

毎昼帰ってくる主人はと言えば、ずっとロボットのゲームに取り憑かれている。

今日も帰って来て、うがい、手洗いをすると、そそくさとタブレットを持って座り込み、配膳する私をかすかに視界に入れているかどうか。

 

これまた昔、二人で運命論みたいなことを話していた時、私が、とても守られていると感じると感謝の意を伝えると、主人は「俺はbanchanの『円卓の騎士』だと思っている。」と言ってくれた。若かった。

ねえ、『円卓の騎士』じゃなくても、せめて『食卓の紳士』で、ゲーム片付けてね、なんちゃって。

 

 

 

***

 

 

今、書くことがとても楽しいです。前の記事でも書いたように、noteでも、書きっぱなしで呟いています。そうそう、前回記事の後、noteのあの記事をたくさんの皆さんに開けていただきました。はてなの皆さんが来てくださったんだなって、本当に感謝でいっぱいでした。

 

 

The Long And Winding Road

長く曲がりくねった道。人生100年時代と言われ、私たち還暦世代も、この先長い道のりだと思います。ただ、真っ直ぐに先が見えてしまうのは、逆に退屈です。曲がりくねって、何が起こるか、何が待っているか、わからない方がファイトが湧いてきます。

 

書くことで、もう一度何か起こしたいと夢を持ち始めました。

 

はてなブログは、私の故郷です。いつも、温かい励ましのコメント、スター、ブックマーク、本当にありがとうございます。

 

 

 

先日はnoteの方で、はてなブロガーのふーみんさんの記事をお借りして書いた記事が好評を頂きました。ふーみんさん、ありがとうございました。

 

 

note.com

ご近所に感謝の気持ちを

 

先日産休に入った娘と名古屋駅でお茶をした。
お互いの町から出てきて、駅のタリーズで待ち合わせ。

 

最近、ここのタリーズを気に入っている。

 

東京に行くと、私のスタバとは違う、スカイツリーの足元にあるスタバに連れて行ってもらう。初めて入った時は、大きな窓の外のスカイツリーをいっぱい写した。 こんなところにスタバがあるなんて、羨ましいと思った。

 

でも、この名古屋駅タリーズの景色は、カフェ窓好き、、カフェ窓から見える景色好きの私の、目頭を熱くさせる感動のファーストインパクトだった。ソラマチのスタバに負けていない。あくまで私の感性での基準だけれども。

 

 

昨年はコロナ禍で全く名古屋に出なかったし、今年に入ってからはブログに夢中になって、外出自体していなかった。

それでも物足りなさを感じなかったのは、家好きだし、ご近所にも名古屋にも愛着がなかったから。

 

 

名古屋は『何もない』で有名。

島根に里帰りしたときに入ったカフェで、お隣の二人組の女性が「この間名古屋行ったんだけど、ナーンにもなかった。」と話していた。生の声を聞いて流石に苦笑いだった。

 

確かに島根は、観光には素晴らしい。山の緑も、空や海の青さも、その深みが違う。呼吸をすると、体の中まで綺麗な空気が染み渡る。

お祭りにしたって、4〜500年の歴史ある出雲神楽に触れて育った私には、ご近所の商店街振興の秋祭りとか、ちゃんちゃらおかしいと、腹の底らへんで思っていた。

 

 

東京じゃなきゃ、島根じゃなきゃ、と思っていた。

 

そんな考えが、歳をとった自分を息苦しくさせていたことに気づき始めた。

自分の心のもつれが解け始め、少しずつ呼吸が楽になってきて、景色が輝き始めている今日このごろ。

 

 

 

娘とタリーズを出ると、しばらく歩いてみた。楽しいひとときだった。名古屋駅の人の流れは整然として、電車に乗る人、買い物をする人、街路樹を揺らす風、全ての動きが心地よかった。

 

帰宅してからは、ご近所を1時間ほど散歩に出かけた。

嫁いで32年。何故ちゃんとこの町を見てこなかったのか。

主人が生まれて育った町。初めて愛おしく思える。

 

主人が遊んだ川には、3羽の鴨が泳いでいた。主人が、幼馴染「ひこ」と待ち合わせた公園では、老夫婦がバケツで水を運んで、花壇に撒いてくださっていた。

 

 

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 ***

 

1ヶ月ほど前。

ブログを書き始めて、半年が過ぎた頃から、私はスランプに陥っていた。

『愛』がわからなくなっていた。

 

note.com

 

 noteに呟いてみた。

 

 

結局、根底にあるのは自分の傲慢さなのだと気づくのだけれど、

だからといってどうしたら日々を素直に見つめられるのかは分からず、素直に『愛』を感じられるものが見つからない。

この後も、迷走する気持ちのゴールを寝ても覚めても、何を食べても、ボーッと捜して、1ヶ月間もがいていた。

 

***

 

 

 

 

 

私に深呼吸をさせてくれたのはこの本だった。

 

私のような状態を、『哲学ゾンビ』というのだそうだ。

 

身体は習慣通り日常を営んでいるが、内面的に何も感じていない人間(意識に注目すべき対象がなく、なんの感覚も受け取っていない人間)

 

実際、子どもの頃、私たちにとって、人生に起こるあらゆる出来事は新鮮でした。それゆえ世界はくっきり見え、時間もゆっくりと流れていました。しかし、大人になり日常の出来事が新鮮さを失うにつれ、世界はぼんやりとしていき、時間が過ぎるのも早くなってしまいます。

 

全く納得だった。だからといって「日々スペシャルな体験をせよ」と言われては私の最も不得意分野だなと思いつつ読み進めた。

 

そうではなく、「普段見過ごされている体験に目を向け、その体験を味わって生きよ」という。そうか、以前記事にした、身体に障害のあるまりこちゃんみたいに、ゆっくり歩いて日々の変化を観察するのか、と思った。それとも少しだけ違う。

 

 

この本の最後に厚めの『体験のチェックリスト』がついている。大量のカテゴリーがあり、それらのカテゴリーに、更に大量の項目がある。体験のあるなしに良かった悪かったの感想を加えて、色分けしてチェックをつけていく。

 

例えば、スーパーに食材を買いに行って、肉、野菜、果物、いつもお馴染みのものを買って帰る。この時ちゃんと意識して見ると、食べたことのない果物や、食材があるはず。それを日々一つずつチャレンジしてご覧なさいというのだ。

 

服でも同じで、買うときはストレス解消でパッと買うのに、着る時はいつも無難な同じ格好になってしまう。人の目を気にせず、サングラスをかけてスカーフを巻く体験をすることが大事だそうだ。

 

 

 そして「この街が楽しくない」という問題の解決策があった。街を歩く時、例えば旅行で初めての街を歩いても、カフェや小物屋さんしか目に入っていない。そんな私にとって、自分の興味のない店は、無意識に壁や障害物と化しているという。確かに。

 

いつもの町でも、買わなくてもいいから「釣具屋さん」「キャンプ用品屋さん」にも入ってみて、そして体験を味わいなさい。こんなグッズ、こんな値段、と新しい発見が必ずあるはず、と励まされた気持ちになった。

それが即ち、日々の楽しみの見つけ方なのだと思った。

 

 

娘が「久屋大通も面白いよ。今度行こう。」と誘ってくれた。

 

久しぶりに 毎日に色が差していくような高揚感がある。

 

 

***

 

 

主人はこの町に根ざして生きている。

私も、この町で1000人近くの子ども達を卒塾、送り出させてもらった。

感謝の気持ちを込めて、この町を歩こう。子どものように、発見したり、体験したりしながら。

それが『愛』なのかもしれない。

 

 

  

おねがい!DJ!

 

 

はい、最初のお葉書はペンネーム『時の流れに浮く小舟』さんからです。

 

「こんにちは。私は出雲に暮らす高校生です。

先週、高校のバス遠足で大山に行きました。

牛を見たり、芝生で遊んだりしてとても気持ちよかったです。

みんなでお弁当広げてワイワイ食べました。

実はなんと、そこにNHKの人が取材に来たのです。

写りたいけど恥ずかしいと思いながら自然を装って過ごしました。

夕方のニュースで流れると聞いたのでチェックすると、写ってました、私!

でも、ちょうどカメラが来たその時、

坂になった芝生でスッテンコロリンと転がってました。

悲しいです。

 

オフコースの『少年のように』をお願いします。」

 

はい、『時の流れに浮く小舟さん』ありがとうございました。

そうでしたか、転んじゃいましたか。

しかし、大山、いいですね。気持ちのいい季節ですよね。

 

では『時の流れに浮く小舟』さんのリクエストで、オフコースの『少年のように』聴いてください。。。。。。。

 

 

これが、私にとって初めて自分の文章が公共の電波に乗った感激の瞬間でした。

普段から地元FMはよく聞いていて、DJはお兄さんのような存在でした。

『時の流れに浮く小舟』』という、なんとも微妙な、JKらしからぬ枯れたペンネームでしたが、その後も何度か読んでもらいました。

 

***

 

先日大きな娘Mから、「これ当たった!」ってラインが来まして。

見ると小田さんが参加するフェスのチケット。

それも、会場がうちから近い!

Mは県外なのに、私ノーマークだった。。。。

 

どっちにしても夏は夏期講習やらで行けないし、仕方ないか。

 

それにしても、小田さんはつくづく凄い。

もうすぐ74歳なのに、ファンの前で歌うことを諦めないし、歌うことや人生の価値感にブレがないと思うのです。

 

80歳になる前に、コロナ収束して、小田さんが全国ツアーできますように。

 

おねがい!DJ!

 

 

 

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小田さんは、我が家にとってフラッグなんです。

 

目印の旗

家宝の旗

そして

応援の旗

 


はい、では次のお葉書はペンネーム『ぽんちゃん』さん。

9月に出産を控えた、もうじきママさんですね。

 

「いつも小田さん(オフコース)の曲を聴くと『小さい頃の大好きな家族に守られて安心いっぱいで過ごしていた自分』がふわーっと湧き上がってくる。お母さんにとっての小田さんとは違う意味で私のルーツが詰まっているような存在。

 

そして私にとって家族は居場所であり、その時に自分が感じていたなんとも言えない幸せな気持ちが蘇ってくる。特にオフコースを聞いている時って、家族みんなで聞いたり歌ったりしてた記憶があるから、余計に幸せ感が大きいのかもしれない。

そんな場所があって育ってきた私は幸せです。」

 

 

このメッセージを読んだお母さんは、さぞかし嬉しかったでしょうね。

『ぽんちゃん』さんも、きっと素敵なママになります。

 

 

***

 

では、次のお葉書は、ペンネーム『ウルトラのママ』さんです。

 

「長男が4歳を過ぎた頃から、ふいに『ママ大好きだよー』っハグしてくれることが増えました。『急にどうしたの?何かあった?』と聞くと『ママのことが大好きだなぁと思って』との返事。妹が生まれて兄になった長男を、一段と愛おしく思った瞬間です。

 

厳しく叱られようが、怒られようが、いつも200%の愛をくれる長男。

一方で私は、同じ気持ちで向き合えてないと思い反省しました。

イライラが伝わるような声色で接したな、『ちょっと待っててね』って何回待たせたかな。

反省ばかりです。

 

『愛おしい我が子、誰よりも大切に思っている』と思っていましたが

子の親に対する無償の愛ほど大きく深くピュアなものはないと気付かされました。

子育てというけれど、子どもに育ててもらっている。親にさせてもらっている。

なんなら神様から預かった子どもを育てさせてもらっているという感覚にさえなりました。」

 

 

このママの義母さんは、素敵なお嫁に感謝したことでしょうね。

大切な息子に、宝物(ファミリー)をありがとうって。

 

 

 

 

***

 

 

最後のお葉書は、ペンネーム『カズマ』さんです。

『カズマ』さんは、自閉症という障害がありながら、自立して生活しているそうです。

 

 

「ぼくは、実は全国障がい者技能競技大会(全国アビリンピック)県内予選大会に出場しまして、ズバリ、1位を獲得しました!!

従って12月に東京で開催される全国大会へ出場することになりました。

引き続き練習を積み重ね、更なる上を目指すよう、頑張ります!」

 

 

私の甥っ子、カズマは、本当にいつも上を見ている人です。

毎年夏と冬の2回程しか会えないけれど、その度に逞しくなっています。

 

人混みでは集中が途切れないように耳栓をつけているし、コンビニで水1本買うにも、つい不要な挙動をしてしまう。それでも、一度も弱音を聞いたことがありません。

経済的にも節約に心がけ、身体づくりにも気をつけています。

 

自立して生きる覚悟を、しっかりと持っている人です。

 

 

***

 

私は、といえば、初めてリクエスト葉書を読まれた日のワクワクから、人生のいろいろな味付けを美味しく味わって、遠回りしたけれど、今、文章を書く、読んでもらうことへの努力と挑戦を楽しんでいます。

 

 

 

さあ、それぞれの場所で頑張るみんなに、応援の旗を振ろう。

目印はここだよって、いつも振り続けるよ。

疲れた時は、上を見るんだよ。澄み渡った空に、あの頃聴いた小田さんの歌が流れているよ。

 

 

 

元気にしてますか

 

※この記事は、『新しい朝が来た』『ありがとう。』『琵琶湖一周サイクリング』の続編になります。よかったらカテゴリー『新しい朝が来た』にまとめましたので、そちらからご覧ください。

 

 

tenebo.hatenablog.com

 

 

8年近く暮らした養護施設での思い出の中で、とても印象深い子がいる。

 

彼は、後に20年間くらい、頻繁に私の夢に出てきた。

夢の内容はよく覚えていないけど、彼がブランコに乗る背中を押してあげていたり。

彼との関係に、無意識に悔いが残っていたのだろうか。

 

その日々のことを今思い出すと、自分がいかに未熟だったか、情けないし懐かしい。

 

***

 

私が男子寮を担当していた時、彼は高校生だった。バリバリのツッパリだ。

時代が時代だったのでツッパリをしていたけれど、今高校生をしていたら、無口で人付き合いの苦手な、少し近寄り難い空気を醸し出す男子だったろうと思う。

 

彼とはよく衝突した。

いや、関わったのは、衝突したことだけかな。

私自身性格にあそびがなく、アイドルの話なんかくだらないとどっかで思ってたし、テレビも流行り物には飛びつかないと決めていた。まして下ネタ話なんて、口が裂けてもできない人間だった。全くの石頭だ。

 

社交下手の彼に輪をかけて社交下手な私。私達は要件のやりとりさえぎこちなかった。

そして、ルールに対して常に斜に構えて無視しようとする彼を、私のギチギチの正義感が追い詰めていたのかもしれない。

 

ある時も、食事の片付けを無視して行こうとする彼を追いかけて、「待ちなさい。片付けなさいよ。」と言ったことから、彼の感情が爆発し馬乗りになって殴られた。

怖いけど逃げたくない。逃げないことだけが私にできる精一杯のことだと信じていた。

 

 

***

 

それから、数年後ある児童福祉施設の職員の方から、私宛に電話があった。

「banchan先生ですか?〇〇の担当のものですが。この度彼が卒園を迎えまして、その前に彼が、そちらのbanchan先生に会って話したいと言っておりまして。」

 

この電話は、私のそれまで生きてきた中でベスト3に入る嬉しい出来事だった。

 

実は、彼は学年が上がるにつれ行動が荒れていった。彼の内側の声を聞いてあげられる存在がないまま、暴走を止めることがでなかった。

ある夜、彼は男性職員に怪我をさせてしまった。修羅場にかけつけても、私にできたことはしゃがみ込む男性職員に覆い被さり、守るだけだった。それは男性職員を、というより、興奮してなおも掴み掛かろうとする彼に、それ以上のことをさせないようにだった。

 

でも、無力の私には、彼を守りきれなかった。彼は違う施設へと変わることになり、何もできないまま別れの日が来てしまった。

電話はその施設の職員の方だった。

 

 

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 彼と再会したのは、喫茶店だった。

先に座っていた彼は、私が入っていくと起立してくれて。本当に、根が真面目だったのだろう。彼も私もガチガチに緊張していた。私の胸は『ありがとう』でいっぱいなのに、二人きりで、言葉が出てこない。彼が不器用に「お世話になりました。」と言ってくれて、自分が何を喋ったかは思い出せない。

 

***

 

その後、次に会ったのは、私が園で結婚し、長男を産んだ時だった。

新生児のお世話で昼夜逆転の日々を送っていた頃だ。私達が暮らす職員宿舎でピンポーンと。

ピンポーンでやって来る人など、滅多にない。

 

ボサボサ頭でどなたですかとドアを開けると、泣く子も黙る風貌の3人。

「おう!お前、子〜産んだんけ?」と。その筋の「映画の撮影ですか?」という感じだったけど、冗談なんて言えるわけが無い。私はこの嬉しい訪問者達にガチガチに緊張した。彼を含めて前後のリーダー3人が、揃ってきてくれた。なかなかレアな3ショットだ。オールスターだ。

「おう!お前ら子〜がおるからタバコはやめとけ!」と初代ボス。

「えっと、クリームパンしかないんだけど、食べる?」とテンパってる私。

最後に彼らは

「おう!コイツ(息子)も、しっかりMの剃り込み入れたれよ。」とアドバイスを残してあっという間に、3人で肩で風きって帰って行った。

 

 

***

 

あの頃の私は、彼らだから受け入れてもらえたのかもしれない。

私も、大人社会では生きづらい人間だったろう。

 

不器用で、純粋で、人の痛みのわかる彼らとの思い出に感謝しかない。

 

 

優しい人

 

 

私には、兄がいる。確か4歳違いの64歳。

子供の頃、両親から“ダイちゃん“と呼ばれていた兄は、成長とともに無口で、全く何を考えているのか謎すぎて、近寄り難い人になっていった。

 

きょうだいの3番目に生まれた私が物心つくまでの約10年間、極貧と社会性に欠けた両親の間で、兄と姉は壮絶な幼少期だったんだと、姉は今でも変なドヤ顔で語る。私も少しは覚えてはいるが、「それはそれは、、、」ご苦労様、お気の毒様、、、返答に困りつつ興味深く聞く。

 

その壮絶な幼少期のせいかどうかは知らないが(なんせゆっくり喋ったことがないから)小学生までは私達妹を連れて近所の子達とわんぱくに遊んでくれた兄が、中学生になるとパタリと殻にこもってしまった。

 

何を聞いても「おっ」か「しらん」か「あほか」しか言わない。いつしか、私達は一応愛情を込めて、陰で“フランケン"と呼ぶようになった。

 

 

中学生になると、兄だけ二階に一人部屋が与えられた。私達は5人で、二本の“川の字“が合流するように、一部屋でぎゅうぎゅうで寝ていたのに。両親も兄の取り扱い方がわからず、とにかく特別に大事にしていた。

 

兄は、野球中継と『巨人の星』を見る以外は、ずっと自室にこもっていた。「お兄ちゃん、ご飯」「お兄ちゃん、電話」「お兄ちゃん、お風呂沸いた」と下から叫ぶのは私の役目。

 

そして、帰宅後、週末は、決まってアース・ウィンド&ファイアーボズ・スキャグスの洋楽が聞こえてくる。歌謡曲しか知らなかった私の好奇心がそそられる。「なんだろう、あの曲」音楽に心が高鳴り、兄の部屋への羨望と好奇心がマックスになった時、そのチャンスが訪れた。

 

兄が修学旅行で留守になった。

その夜「今夜お兄ちゃんの部屋で寝ていい」と母に言って、パジャマ 姿で恐る恐る階段を登り、誰も居ない兄の部屋に入る。こっそりと。「ひとりだー」と心で叫び、兄の万年床に潜り込む。

「クサっ!」「クーサ〜〜〜〜」。なんの匂いか、脳が自己防衛反応でデリートしてしまっているけど、およそこの世の何かに例えられる匂いではなかった。

それでも私は、一人で寝る優越感を放棄する気にはなれず、目と鼻を閉じて寝た。しかし夜中気持ち悪くなって目を覚まし、思わず二階の窓から吐いてしまった。そして、“合流川の字”の自分の布団へと戻った。

 

***

 

成長した兄は、ずっと無口だったけど、頑固なほどに『芯のある人』と感じることがよくあった。

 

兄は結婚して、隣町に住んでいる。両親の要望通り、国学院大学で修行し神職の免許を取り、神主の後を継いだり、経済的に親を援助したり、やっぱり筋の通ったことをする人だった。でも、コミュニケーションは取らず、家族はすっかり兄に苦手意識を持っていた。

 

そこで立ち上がったのは、この私。気楽な真ん中っ子だ。

お互い50代の時だった。「今度帰省した時、ゴルフしよう」と持ちかけた。何年ぶりの会話で、初の電話で、兄の部屋にこっそり入った時くらいドキドキした。最初誰かもわかってもらえなかったけど、電話の声に、ジーンとする程優しさを感じた。

 

私は兄に、勝つまで毎年やりたいと宣言した。最初の年は「えーと、何打だったか分からない」と言った私に「おー、天文学的数字だ」と兄が言う程、差があったけど、私は3年目に勝ってしまった。「私が勝ったから、記念撮影して」と兄に言うと、優しくカメラを見てくれた。その画像を家族に見せたら、みんな口々に「おー」と、まるで行方不明者を見つけたように目を細めた。

 

私と主人と兄、3人のゴルフ決戦は、それで途絶えてしまったけど、実は主人は、初めて会った時から兄の優しさをよく知っていた。主人をうちの家族に紹介するため、食事会をした時のことだ。みんなの前では、タバコを吸って何も喋らない兄が、トイレに立った主人の後からやって来て「妹を幸せにしてやってください。」とボソッと言ったそうだ。お酒も入っていた主人はトイレで号泣したらしい。

 

 ***

 

私が大学に受かり実家を出る時、 もう戻ることはないだろうと心のどこかで決めていた。だから、家族の思い出の写真を失敬した。極貧で、いびつながら両親の愛が滲み出ている東京時代のモノクロの写真。島根で写した家族の記念写真。なんだかんだ、私はやっぱり家族が大好きだ。

 

 

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島根県 松江城

 

 

 

今の兄は、毎週実家にやって来て、老いた両親に「何か欲しいものはないか?」とぶっきらぼうに言ってから、必ず裏山に入り、古墳のような代々の墓をずっと掃除しているそうだ。相変わらず謎だ。

 

そして、真ん中っ子の私が、両親の状況を連絡し合うようにきょうだいのグループラインを設定したが、未だに兄が、既読以外のリアクションをとったことはない。

 

東京でりんごの木箱をひっくり返して食卓にしていたと言う若者二人が、懸命に生きた。

そして今、兄の長男で、眼科医になっている孫に、「おじいちゃんの目は僕が治すよ」と診察室で言ってもらったそうだ。そんな未来を誰が想像できただろう。

 

人生って素敵だ。

 

***

 

長くなってしまった記事を最後までお読みいただき本当にありがとうございます。

私は「この窓から」自分の愛する人や思い出を、アウトプットしてみることの、自分にとっての必要性を痛感する今日この頃です。

また、自分の好きだけでなく、色々な方々の好きを共有させて頂くことで、偏りのない柔軟な心のおばあちゃんになれるかな、と思う次第です。

なので、ブログは宝物です。

そのスタンスで、ブログに費やせる時間の中で、できる限り皆様との交流を喜びにしてまいりたいと思います。スターのお返しなど、失礼が多々あるかと思いますが、これからもよろしくお願い致します。

 

  

「終わりのない歌」

 

 

先日、小学生のブロガーさんの記事に、「お互い頑張りましょう」と言うコメントを残してしまった。

 

もちろん大人なら、何も目くじらを立てる人はいないだろうし、私自身気合が入ってくると「頑張るぞ」と発する。

 

でも確実に年齢的に上、下、ができてしまう子どもに対して、安易に「頑張れ」と放たないよう心がけているつもりだった。塾の生徒さんは来てくれてるだけでも一頑張りしているので、私の自己満足的な「頑張ってね」ではなく、なるべく具体的なことを示そうと信念を持っている。

 

ついコメント欄の制約の中で使ってしまって、後日気になった。

翌日彼女は「頑張りによって人が救えるなら、頑張るかもしれない」と書いていらっしゃる。

 

今日は、「頑張る」を考えてみようと思う。

 

とりあえず、「怠ける」の反対語としての「頑張る」ではなく、一所懸命の姿が他者に共鳴して、何かの動機付けを与えられるかも、と言う意味での「頑張る」を取り上げてみたい。

 

***

 

2019年5月6日放送、NHK逆転人生〜伝説のロックシンガー 復活の歌〜

で取り上げられた、奥野敦士さんの物語を紹介したい。

 

彼は1985年デビューしたロックバンド ROGUE のボーカリストだった。

そのパワフルで伸びやかな歌声と音楽性で、当時500はあったと言われる、ロックバンドの中から抜きん出るのにさほど時間を要しなかった。

 

1987年「終わりのない歌」のヒットで1989年には日本武道館単独ライブを成し遂げる。

奥野は、憧れのロックスターの夢を叶えるが、もっとビッグになりたいと言う野心が、仲間との関係に亀裂を生み、1990年一方的に「もう終わりにしよう」と仲間に告げ、人気絶頂の中解散してしまう。

 

しかしながら、その後の奥野の人生は転落していく。

 

ヒットは出ず、酒浸りの暮らしが10年以上続いたある日、喧嘩別れのままだったバンドメンバーの一人から、「再結成の誘い」の電話がかかる。

それが彼を奮い立たせた。酒浸りから抜け出し、緩み切ったから身体を鍛えるため解体業のアルバイトに精を出し。。。。。身も心も絶好調のはずだった。

 

ところが2008年9月、更なる試練が奥野に降りかかる。

 

解体する工場の屋根から落下。一命は取りとめるが、頸髄を損傷し下半身を動かすことができなくなる。生活の一挙一動まで介護が必要な状態になる。ここが奥野の人生のどん底だったと言う。

 

しかし、逆転があるのだ。

 

事故から1年半、1枚のDVDが届く。

かつてのバンドメンバーやファンからの応援メッセージだった。「復活を待っています」の言葉が溢れ出していた。

 

背中を押された奥野は、リハビリ担当の作業療法士さんに「歌が唄えるようになりたい」と気持ちは伝えるが、腹筋を全く動かすことができないので、歌声は出せないし、音程も取れない。

 

しかし、神様が用意してくれていたのか、その堅い堅い扉が開く日が訪れる。

 

その歌声がこれ。女性の声は作業療法士さん。魂の歌声を聴いて頂きたい。

 

 


www.youtube.com

 

 

この話には、更なる感動のエピソードがある。

 

ある日、この動画を観たという人物が、群馬のこの病室に訪ねてくる。

 

 

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その人物はMr.Children桜井和寿だった。

中高生の時からROGUEを聴いていたという桜井は、自分の野外フェスで歌ってほしいと話した。

 

この申し出は、体調のことがあり実現しなかったが、本当にカッコイイと思った。

 

2013年10月、ついに、支えてくれた仲間の力添えで、地元の"グリーンドーム"で、23年ぶりの復活コンサートが行われる。なんと4000人のファンが駆けつけ声援を送った。

 

その時の「終わりのない歌」

 


www.youtube.com

 

 

「腹から声が出なくても、心から声が出る。伝えたい気持ちが伝わればいい。」と語っていた。

 

 

 

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以前通っていた美容室に、いつも手を真っ赤に腫らしながらも、一所懸命シャンプーをしてくれる男の子が居た。その子にシャンプーして欲しくて、電車に乗って出かけた。

その帰り道、必ず「私もあの男の子のような気持ちで、授業するぞ。」と思えた。

 

頑張る気持ちは、共鳴し合うと思う。

 

***

 

暗く、寂しい夜道を、一人うなだれて歩く帰り道。

ふと顔を上げると、夜空には満点の星の子たち。どれだけ元気と勇気をもらえることだろう