悪く思ってごめんなさい。

 

先日アントニオ猪木さんの訃報が報じられた時、鍼の先生を思いました。先生は鍼治療と一緒に、温かいトークで心もほぐしてくださいます。

少し前に行った時に、まさにアントニオ猪木さんのお話を聞いたところでした。

 

先生は元プロの競輪選手で、全国を転戦していたそうです。デビューと同時に連勝していた中野浩一選手に土をつけて話題になったこともあると聞きました。

 

そんな頃移動の新幹線で、同じく試合会場の移動途中のアントニオ猪木さんと同じ号車になったことがあるそうです。思わず声をかけてしまった競輪選手達に対する猪木さんの態度を、身振り手振りを真似て語る先生は、その時本当に猪木さんに感動したんだなって伝わってきました。

握手を求めると嫌な顔ひとつせず、あえて左手を出してこられた猪木さんの右手に包帯が巻かれていることに気づき、先生が慌ててお邪魔したことを謝ると、競輪のプロ選手と知って逆にエールを送ってくださったそうです。

 

アントニオ猪木さんがバリバリの『燃える闘魂』だった頃のお話でした。

 

 



以前、『鬼コーチ』というタイトルで記事を書きました。

 

 

tenebo.hatenablog.com

 

猪木さんはまさに『鬼コーチ』と共に生きた方なのではないでしょうか。

 

猪木さんの『命式』です。

   ○        甲  癸

   ○      酉  寅  未

 

○は生まれ時間が不明ということです。

色をつけた漢字が日主と言って、本人の位置になります。

(つちのと)は、大地の意味です。猪木さんは大地が本質であるということです。

 

大地はさまざまな命を育みますが、特に植物との関係は相互に大事な関係になります。植物は土と水がなければ生きられませんし、土にとっては、植物の根が張っていることで安定します。

 

にとって=大樹や=草花を官星と言います。これを『鬼コーチ』と表現しました。

『鬼コーチ』は、地位、権利、義務、など堅いイメージの存在です。まず命式の中に『鬼コーチ』が存在するか、から始まって、自分との相性はどうなのか、その影響力の強さはどうなのか、それによって個性に関わってきます。

 

“〜すべき“に囚われやすい人は、この官星の存在が大きくのしかかっていたり、逆に地味な仕事でもコツコツ頑張れたりする場合は、官星との相性が良いのでしょう。自分に厳しかったり、自分を誇示しようとしたり、そういった個性の部分を官星が担っています。

 

猪木さんの『命式』に戻ると、で柱になっています。この部分でより自分に近い社会、仕事や人間関係を見ます。は大樹、はまさにの分身のようなエネルギータンクです。太いの柱は、の猪木さんにとって太い官星の柱になります。

 

を求めています。猪木さんが自分に厳しく、社会的な役割を全うすることに価値感を持っていたことがわかります。特に仕事面で発揮されるので、『燃える闘魂』を演じきることが仕事であり、自分の社会的役割だと強く思っていらしたのでしょう。

 

 

***

 

 

さて、今回は『鬼コーチ』について、他のパターンにも触れてみます。

前回の記事で、ジャンケンの例え話をしてみました。

ジャンケンは勝つ相手と負ける相手があるから成り立ちます。

 

自分を鍛えるという意味では、負けではありませんが、勝つとわかってる立場からでは意味がないように思います。鍛錬とか、やたら金へんの漢字ですね。

五行では、金には(かのえ)=鉄、と(かのと)=宝石があります。これらが日主=自分の本質の人の場合、官星は火になります。火には(ひのえ)と(ひのと)があります。は太陽、は炎です。特にの人にとっての良い『鬼コーチ』は=炎です。鍛錬されそうですよね。=太陽では、暑くて無駄に鉄が変形するだけのようです。

 

他にも、=大樹の人にとって官星は、ですが、は斧みたいにスパッと木を切って材木にして社会の役に立つ素材に変えてくれそうです。でもだとそうは行かず、無駄に木の表面を傷つけられそうです。

 

四柱推命は、まずこの五行の10ある干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)の相互関係をとことん覚えるところから始めていくんです。ジャンケンで言うなら、自分はグー、チョキ、パー、の何なのかをまず知って、自分がグーなら、パーはどれとどれか、チョキはどれとどれか、みたいに。そして、勝つ相手が良くて、負ける相手が悪い訳ではないのです。

関係性を知ってから、関係性の質を探っていくところへと進めていきます。

 

まず日主を剋してくる官星との関係性の良し悪しを知ることは大事になってきます。

 

ブースに来られる相談者様でも、仕事にまつわる場合は、必ず官星が関わっています。

 

 

***

 

 

最近、夢中で四柱推命を勉強していた時期から、ちょっと一段落して、なんだか少しイライラしてしまうのです。占い師的には、あくまで運気の流れで判断したいところですが、そんなに冷静になれない時もありで。

 

逆に苛立つ相手(主人ですが)の命式を覚えているので「そういうところよ。。だから日主己の食神ばっかの、マイペースの。。。」と、頭の中で呪文が巡るのです。

私は主人に対して不満を持つと黙り込みタイプの妻なのですが、60歳にもなって全無視も大人気ない(まず大人じゃないですけど)と思い、ちょっと返事すると、それがまた返って「私被害者です感」に油を注ぐのですね。

 

ベランダで洗濯を取り込みながら、秋の綺麗な夕日に思うのです。

人はいかに、自分の感情で判断して、怒りや悲しみを勝手に自分で作っているかと。

心理学にABC理論というのがあります。Aは事象でCは沸き起こる感情です。Cの感情を作っているのはBの判断である、という理論ですポジティブに受け止めるか、ネガティブに受け止めるかで、事象の意味が変わってしまいます。

 

『命式』は事象です。勝手に判断を加えて、感情を動かしてはいけません。

いや、ここまでの人生、散々Bでネガティブな判断をしてしまいがちで、Cで苦しむ人間だったので、確かなAを、真実のAを、AだけのAを、知りたいと探し求めて、四柱推命に辿り着いたのです。

 

雲の切間に神秘的な光を放つお月様と側で格別に輝くお星様を見上げて、ため息ひとつ「お父さん、悪く思ってごめんなさい」と呟く私でした。

 

 

 

種を蒔くとき

 

占いのブースに入った時、手相はコミニュケーションツールとしても素晴らしく使えるツールです。

 

塾の先生としての私も、伝えたいことの100%を語りきろうとして熱くなり過ぎて、子ども達を置いてけぼりにしてしまっていたことに気づき、熱弁の授業の後に疲労と反省で撃沈することが多々あるのですが。

 

占い師としての私も、四柱推命で見えてきたことの結論だけでなく、何故それが言えるかまでわかってもらいたくなり、目の前のご相談者様の渋〜い顔にハタと気づき、四柱推命トークを一旦止めて、「すみません。手のひらをみせていただけますか。」というのです。

 

手相は、線そのものが説明書になり得ます。「この線がここからこのよう出ていると、こういうことが言えるのです。」とお伝えすれば、納得の表情です。

 

先日も、四柱推命で「学問で開運されますよ」とお伝えしても、ノーリアクションだったので手のひらを見せて頂き、その瞬間に、両手にしっかりと現れていた線から「教育関係の方ですね?」とお尋ねすると、「高校の教師です。」とおっしゃられ、話がスムーズに流れ出しました。その後、再び四柱推命に戻して、ご相談内容について運気の流れを絡めてご説明する、という手法が上手く納得してもらえるパターンになっています。

 

手相というのは、不思議なほどにその人物を物語っています。

 

手のひらはピンク色でふわふわとふくよかな方が良い状態です。

 

5本の指の付け根は、それぞれの持つパワーのエネルギーの源になります。

指の付け根の膨らみは、いわばエネルギータンクのようなものです。

 

人差し指の付け根は、向上心や独立心、努力、といった自己の強さを表し、そこからリーダーシップや指導力などのエネルギータンクだといえます。

 

中指の付け根は、忍耐、勤勉、研究心などの、物事に取り組む時の適応力、継続力を表すことから、社会性、仕事運などのエネルギータンクといえます。

 

薬指の付け根は、自己表現能力のエネルギータンクで、社交性、芸術性、人気、成功、といった意味を持ちます。

 

小指の付け根は、交渉力、商才、知的能力のエネルギータンクで、即ち財運に関わる情報が眠っているといえます。

 

親指の付け根は、愛情、健康、体力、といった自分から湧き出すパワーのエネルギータンクです。人生を楽しむ、芸術的な事を生み出すと言ったことに繋がります。

 

・各指の付け根以外にも、手のひらの中央部や、親指の反対側(小指の付け根より下)の盛り上がり、手首に近いあたりの盛り上がりなどがありますね。それらも大事なエネルギーのタンクになっています。(今回は長くなるので、割愛します)

 

そして大事なことは、基本的にそのタンク(付け根)に縦の線が入っていることです。縦線がそのエネルギーを享受できていることを表しているのです。(親指の付け根は横筋が入っていることが、愛情が旺盛を示します)

 

例えば、薬指の付け根の縦線があれば、それはどこから伸びてきていても、成功や夢の実現、自営業の人には嬉しい『太陽線』と呼ばれる線になります。

小指の付け根の縦線は、『財運線』と呼ばれ、金運に関する情報になり、出発点でどうやってお金を得るのか、また線の状態で、お金の使い様がわかるのです。

 

 

 



 

四柱推命も似たようなことが言えます。

 

四柱推命は生まれた年月日時間で『命式』を作って、その人の持つエネルギーの流れを見ていきます。

 

『命式』は八字の漢字でできています。

     壬 甲 丁 庚

     申 辰 亥 子

 

例えばこのように表されます。

下の四字は、十二支でお馴染みの漢字です。十二の種類の中から、生まれた瞬間に四字が選ばれて決まります。

 

この四字が、その人のエネルギータンクになります。

一つの文字で一つの種類のエネルギーを蓄える大きなタンクもあれば、一つの文字で小ぶりながらも三種類のタンクを持つものもあります。

 

これも手相の縦線と同じように、エネルギータンクがあるだけでは、その力を表に出すことができません。

表に出す、プレイヤーが上の四字です。

 

ただし、このプレイヤー達とマッチするエネルギーの入ったタンクが必ずしも下の四字にあるとは限りません。

なんせ、生まれた瞬間に、十種類あるプレイヤーの中から四種類だけが選ばれ、十二種類あるエネルギータンクから四種類だけが選ばれたのですから。

 

大きなタンクのエネルギーとマッチするプレイヤーは大きな力を発揮し、マッチするエネルギータンクが全くないプレイヤーは弱く控えめになります。

 

***

 

 

四柱推命が深くて、面白いところはここから始まります。

 

自分自身を表すプレイヤーとその他のプレイヤーとの力関係。強ければ良いわけでもない時があったり、弱いからこそいい働きをしてくれる場合があったり。

そもそも、プレイヤーと仮に例えた四つの「天干」自体に、様々な個性や関係性があります。

 

 

***

 

 

プレイヤーと例えた「天干」同士の関係性や、エネルギータンクと例えた「地支」の供給が、その道にピッタリ!という人物が天才と言われ非凡な道を行くことになるようです。

 

それでも、「天干」には十文字中の四字、「地支」には十二文字中の四字しか用いられないのです。完璧な組み合わせ、完璧な『命式』、完璧に用意された人生などないということです。

 

何かの不足は、逆に言えば、それこそがその人の個性なのです。

自分を知り、自分にとっての「種を蒔くべき春」がいつなのかを把握する。

自分にとっての冬がいつなのかを把握し、受け入れて足掻く事をせず、春まで待つ。

 

というのは、持って生まれた『命式』の中に、欲しいエネルギータンクが無くても、ご存知の通り、毎年やって来る干支が欲しいエネルギーを持ったタンクとして巡って来るのです。

 

また、『命式』の中でふさわしいプレイヤーがなくて、しっかり使われていないエネルギータンクがあるとしても、ふさわしいプレイヤーが巡って来る年があるのです。

 

 

他人と自分とは、プレイヤーのタイプが全然違うし、季節の流れ方(良い時、悪い時)も違う、比べようがない事を知れば、根性論ではなく、最適な人生があると思うのです。

 

 

 

 

 

 

それはある日突然

 

私が四柱推命の師匠と仰いでいる人は、ご自身で「私はカウンセラーじゃないので、悩み事の相談は違う所に行ってください。」と明言される程、学術的なアプローチで四柱推命を長年研究されてる方です。

 

指導方法も、「この『命式』の特徴を述べなさい」という感じで出題され、回答すると、その『命式』は孫文だったり、蒋介石だったり、西太后だったり、するのです。

とても面白い(ここは、funnyではなくinteresting で)のですが、難しい。

 

四柱推命がわかる人同士の話を聞いていると、助詞以外、全部何喋っているかわからない言語のようです。

 

実際師匠のブログを読んでいると、途中で頭から煙が出てくるか、眠くなって強制シャットダウンです。

 

 

私も四柱推命の凄さがわかってくる程に、人に伝えたいと思うのです。

 

でも、私の挑戦は、四柱推命自体には興味がなくても、あなたの悩みの根底にはこんな理由があるのかもしれませんよ、とか、人はこんな大きな仕組みに包まれて生きてるらしいですよ、とか、普通の会話の中で伝えられないのか、ということです。

 

例えば、コンピューターとか拒否反応しかない私に、用語を使わず説明するのは至難の業だろうし、喩えばかりを使っていたら、私は正しく理解していないのに、わかったつもりになるかもしれません。

 

それでも、志を持って、試行錯誤しながら、私なりの四柱推命の伝え方に挑戦していきたいと思います。もちろん師匠のブログがノンストレスで読めるエキスパートにならなきゃですが。

 

 

***

 

 

そこで、私の今日のお題は、『耳鳴りが止んだ理由と五行論』です。

 

 

 

 

忘れもしない2019年8月9日、耳に違和感を感じた日から私の『耳鳴り』との付き合いが始まりました。

 

当時、プロになるつもりもなく四柱推命の勉強を始めており、師匠に『耳鳴り』がすることを相談しました。その時師匠は「断易」を使って鑑定してくださいました。その結果がおそろしかった。

 

ひょっとして、水回りをいじりましたか?水の神様が行ってしまいました。

 

その通り前年に、ハウジング業者に勧められるままに、風呂とトイレと洗面所を改修して、様々な理由で2018年はさんざんな年でした。

 

恐るべし師匠と思ったのですが、『耳鳴り』が酷く、私の四柱推命の勉強はこの時中断することになり、むしろ私の中では、これで終わりと思っていました。

 

 

そしてこの度、ヒョンなことから、占い師さんから占い師になるよう勧めていただき、封印していた勉強道具を段ボール箱から取り出して、猛勉強の末に、「この『耳鳴り』が終わる時」を読み解いたのは、自分自身でした。嬉しい!!!

 

8月になったらきっと良くなると主人に公言していたのですが、なかなかその日は来ず、ひとつ前の記事でも『耳鳴り』が酷いと書いています。

 

その時は本当に突然にやってきました。

8月も末の24日、買い物中は、相変わらずスーパーの騒音が耳の中で響いていたのに、帰りの車の中でいつものようにCDが鳴り出した時、普通に聞こえたのです。まる3年ぶりだったのに、出てきた独り言は「何? 来た?」でした。

 

 

***

 

 

では私流説明にチャレンジしてみます。

例えばジャンケン「石」と「ハサミ」と「紙」の三者はそれぞれ、勝つ相手と負ける相手がいますが、この三者に強めてくれる相手と、強めてあげる相手、二者を加えて五者にします。

 

「石」は土性、「ハサミ」は金性、「紙」は木性になります。さらに、火が「紙」によって強く燃え、「紙」(木性)は、水を与えられることで育ちます。

 

万物がこの五者🟰五行(木、火、土、金、水)の関係性を持って、成り立っているというのが五行論です。

四柱推命は、人間社会もこの五行の関係性で存在しているとするところから始まります。

 

 

***

 

 

私が耳に不調を持った原因は、いろいろな観点から、この水性が関係しているのは間違えないと思っていました。私の『命式』には、この五つの要素の中で、水が極端に多いのです。

 

水が多いことと身体への影響と言えば、単純に冷え性とか、腎臓に負担かかるでしょ、とか想像できますが、実はそれで間違っていません。東洋医学的なことなど、まだまだひよっこに語れる内容ではありませんが。

身体の臓器を五行に置き換えた時、耳は(臓器ではありませんが)水性に属すことはわかっていました。水の多さをコントロールできた時、耳も改善すると思っていました。

 

なぜ、私の『命式』に水が多いと言えるのか、なぜ今年の8月に水の量をコントロールできると思ったのか。

 

これらを学んで理解したインプットより、理解してもらうアウトプットの難しさを痛感します。

 

 

これからが私の挑戦です。

ブログに向かう理由、ハードルが高層ビルのように高く感じますが、学びを深めて逃げずに挑戦していきます。

 

自己満足的な内容になるかもしれませんが、よかったらまたお立ち寄りください。

 

***

占いのアリーナイオンモール長久手店(愛知県)

毎月 第2、第4日曜日

白神江癸 しらかみみずき

占術: 四柱推命 周易 手相鑑定 易カウンセリング

で出演しております。お近くにお住まいでしたら、是非一度お立ち寄り下さい。11月にオープンする『ジブリパーク』の近くのイオンモールです。ついでに、会いに来て頂けた本当に嬉しいです。

 

 

 

はじめてのお客様

 

 

というわけで、(ここが書き出しです。とにかく書き始めてみました。)私が占い師としてブースに入らせていただくようになって、まだ半年も経たないわけですが、もう果てしなくドロドロと勉強ばかりしている気がします。

 

10年20年とプロとして活躍されている方々も、ゴールの無い勉強をされているのだろうから、61歳でのデビューは無謀なのかもしれません。

 

元々の耳鳴りに加えて、偏頭痛まで始まって、眼精疲労もとんでもなく深刻なようです。

以前の記事に数回登場していただいた鍼の先生も、悲鳴をあげている私の身体をケアしてくださりながら「チャレンジャーだねー。そういうところ感心するよー。」と言ってくださいます。

 

自分では、そのチャレンジ。。。リスクが伴うかもしれない壁にあえて挑む。。。的な感覚は全くわからないのです。

なんせ、一般的な同世代の人の平均的な感覚、というものが分かりません。

 

直感的にやりたいことをやって、やりたくないことは避けて生きて来ました。

やりたいことに対しては、結構計画的に根気強く頑張れるのですが、やりたくないことは、世間の人はそれでも頑張っているんだ!みたいなことでもあっさり背を向けて逃げてしまいます。

 

みなさんご自分の手のひらをちょっとご覧になってください。

左右どちらでもいいです。

親指の付け根の上から、手首に向かって、きっとよくご存知の『生命線』がありますよね。

その『生命線』と同じところ、あるいは若干上から、手のひらの中央に向かって『知能線』が伸びていると思います。

 

みなさん、この2本の線のスタート地点が重なっていますか?離れていますか?

重なっている人は、常識的で社会的に自分を周囲に合わせることができる人です。

 

因みに今まで私がブースで出会った方々は、皆さん重なっていました。

 

。。。。が、私とんでもなく離れています。

空気を読まずに生きる、マイペース人間です。(同じく離れている方、失礼しました。言い方ですよね。)

 

この度の61歳のデビューも、私的には、普通に有り、でした。

 

 



そうして、半年近く猛勉強して、事前のテストや面接などもクリアーできて、いよいよデビュー本番が近づいくと、ドキドキを通り越して、ワクワクして来ました。

 

最初のお客さんはどんな人だろうと思うのです。

それは、妊娠してお腹がどんどん大きくなって、少しずつ出産の現実味が湧いてくる時の気持ちと似ていました。明日は出産予定日という前夜、今は誰もいないベビーベットに、そこに赤ちゃんが寝ている時が来るんだ、と不思議に思ったものでした。

 

自分の学習塾ではずっと前から、生徒さんに占いを交えておしゃべりをしていたので、中学生だったりしたら緊張せずに話せるなー、とか。

どんな人なんだろう、記念すべき第一号のお客さま。

 

 

その人に会えたのは、私が初めての出店準備をして間も無く、まだ落ち着かないうちでした。

すっと入ってくると、「自分の会社の今後の見通しについて」という内容でいきなり、5500円分をオーダーしてくれました。

 

。。。それは、やっぱり私のスーパーマンでした。

初めて「いらっしゃいませ」と、言った相手は主人でした。

色んな意味で「ありがとうございました」と去っていく主人に深く頭を下げて見送りました。

 

 

***

 

 

私は家族が大好きで、家族にも守られて、ここまでマイペース人間を貫いて来れたと感謝しています。

 

もし良かったら、再び手のひらをご覧になってください。

『感情線』という小指の下の方から人差し指方向に伸びる線がありますね。

 

これが人差し指と中指の付け根の間までしっかり伸びている人は、家族など、身近な人への想いが強い人です。

短い人は、感情的にはクールで(冷たいわけでは決してありません)人に対しても深追いはしないし、自分もそうして欲しいタイプの人です。

 

私はひたすら『感情線』が長かったのですが、最近途中から二股に枝線が出て来ました。

これは、身近な人に限らず、広く人を愛せるせるようになった証らしいです。

 

ブースで色々な方とお話しして、この仕事をしてなかったら出会えないような人のお悩みをお聞きし、晴れやかな顔で出て行かれるのを見送りながら、心から良かったと思うのです。

『この窓』から出てみて良かった、と。

 

 

因みに、主人の後の初のご相談者様は、なんと中学生の2人組の女の子達でした。

神様に感謝しました。

 

***

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鬼コーチ!が居ない!

 

知り合いの60代の女性が、ここのところ激痩せして、それが尋常ではないので、ついに検査を受けることにしたと言うのです。

 

私はその報告を聞いても、直感的に彼女に大きな病が隠れているような胸騒ぎがなかったので、親しさもあり生年月日と生まれ時間を聞いて、四柱推命的に何か問題点がないか見させていただきました。

 

彼女の『命式』の八字は

    丙 己 壬 戊

    子 卯 戌 戌

という見慣れない文字になります。

この八字の持つ意味と、お互いの関係性から様々な情報を読み解いていきます。

 

さて、上の八字を簡単な絵にしてイメージすることができます。

山があって、ふもとには平原が広がり、大きな河が流れ、それを秋の穏やかな太陽が光を注いでいる様子になります。

綺麗な絵が想像できます。何も問題ないように思えます。

 

でも、この絵には鬼コーチがいない!

鬼コーチは山から降りて来るのでしょうか。。。いえいえ。

 

鬼コーチとは、『官星』と言って、自分を剋してくる要素です。

自分を色々な意味でコントロールしてくる、自分の中の要素です。

 

 

自分にとって、追い風ばかりでは発展しません。

 

tenebo.hatenablog.com

 

***

 

彼女自身の本質は、この絵の中の平原になります。

大地は母性の象徴です。受容し命を育てます。

 

お人好しと思えるくらいお友達のお願いに応えようとする彼女。

「そんなの断りなよ」と呆れ気味に言っても、「まあ出来ない程でもないし」と頑張ってしまいます。

 

お友達はこの絵の中の山です。

平原の彼女の側で大きく聳えます。

彼女は思わずへりくだってしまいます。

そのこと自体は良くも悪くもないのですが、必要なのは、この平原に植物が生える事だと私は考えました。

 

特に、樹木です。

樹木が平原に根を張れば、土が整います。

彼女にとって、樹木こそが、良き鬼コーチになります。

 

彼女の中で、〇〇するべきというルールや歯止めがないので、ついつい自分がやれば済むならそっちでいいか、と感じてしまい、優しさからグダグダになってしまう。

そして知らないうちに疲労やストレスを溜めてしまったのでは、と見ました。

 

***

 

この絵の中に、樹木を植えるのは、気持ちの持ちようや、精神論では叶いません。

時にあたる』のです。

 

この言葉、私大好きなのですが、また別の機会にお話しさせて下さい。

 

巡る時、巡る季節の中で、この絵に新しい物が加わったり、失われたりします。

その時を掴むのです。

 

***

 

土の人の場合、体重が増えたり、減ったりを繰り返しやすいと言います。

さらに、彼女の場合、元の八字の他に、『年運』という彼女自身の10年間のテーマで、この絵に山が増えてしまっていたのです。

 

 

結局、検査結果は大きな病気はなく、体質的な問題点が見つかり、投薬で改善されるとのことでした。

 

 

***

 

どんなエレメントも良い悪いはなく、関係性とバランスということになります。

 

次回もう少し、「鬼コーチ」についてまとめてみようと思います。

 

 

 

 

***

 

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占い師、卵から孵る。

 

久しぶりに自分のブログを読んでみて、60歳の自分に感心した。

61歳になってみたら、そんな人生の細部を思い出せる気がしない。

60歳の時書いて残して良かった。

 

でも、このわずか半年後に、人生の流れが大きく変わるとは、思ってもいなかった。

『この窓』から飛び出して、61歳にして『初めて見る景色』を体験している。

 

占い師をやっている。

 

***

 

島根の山の中、大きな自然を感じながら、ひたすらちっぽけな自分の内面と向き合った10代。

児童養護施設でヤンチャな高校生と格闘していた20代。

自分なりのやり方で学習塾を始めて、ずっと続いて25年。

そして61歳で占い師の道を歩き始める。

 

私の人生を語るならこの4つのストーリーが柱になる。

まさに、『四柱推命』だ。

 

自分で『四柱推命』の運命学を紐解けるようになって、自分の人生が『命式』という設計図通りにピッタリ生きて来たことにびっくりした。

 

 

 



一つ一つの経験が、全く新しい出会いのようでいて、でも何か伏線が引かれていて、導かれていたようにも思える。

 

 

この記事に書いているように、昨年の秋、夕陽と、山と川、空と雲が融合した自宅近くの景色に、無性に心惹かれるようになった。

 

tenebo.hatenablog.com

 

そして、夜空を見上げては、星が私に、何かを「感じなさい」と語りかけてくるのだ。

でも、何に気付けばいいのか、分からなかった。

 

 

この半月後の日曜日、まさに導かれるように、自宅から遠いイオンにある占いのブースに、高速に乗ってでも行きたいと感じ、そして手招きしてもらって入ったブースの占い師さんから「あなた占い師になりなさい」と言ってもらい、名刺をいただいた。

それは、四柱推命の4つ目の柱が動き出した瞬間だった

 

 

その後のデビューまでの猛勉強の中で、コンステレーション と言う言葉に出会った。

易的には、「運の向き」だそうだ。虫の知らせのような感覚が複数回起こり、それをつなげて、天からのメッセージに気付く、易者として大切な感覚だ。

 

コンステレーション 検索してみて、涙が出そうだった。

日本語訳は「星座」だった。

 

夜空の星たちが、私に「感じなさい」と訴えてくれていたことは、「この道を行きなさい」で間違いないんだ、とわかった。

 

一つ一つの星は、偶然を意味して、それを結んでみると、星座になる、メッセージになる、と言うことだ。

 

 

 

 

 

人は悩むと、その自分の弱さと向き合って、改善方法を模索する。

東洋思想の「陰陽」という言葉は、誰でも一度は見聞きしたことがお有りだろう。

この「陰陽」をしっかり学ぶと、悩みがちな方も、きっと心が楽になると思う。

 

悩みがちな人ほど真面目で、正しさを求めたり、優秀でなければ、と頑張ってしまう。

 

プラス言葉の対としてマイナス言葉がある。

いい例えではないけれど、陽気と陰気、賢いとおバカ、スマートとぷっちょ、働き者と怠け者などなど。真面目な人は、陽気で賢くてスマートで働き者であるべき、あるいは、そうあろうと努力しなければと思う。

 

それで、その自分の期待に反してしまうと自己嫌悪に陥ってしまう。

 

世の中には、どうしたら期待通りの自分になれるかの自己啓発的な情報がたくさんある。

でも、見聞きして成る程と感動しても、結局いつもの場所で撃沈している自分に「何も変われない」と否定感を持ってしまう。

 

陰陽」の考え方だと、まずプラス言葉ばかりをチョイスする時点で間違っていると気付ける。

満月と新月が繰り返されるように、陽が昇って沈むように、陽と陰は絡まりあってこそ発展できる。この事実は、あなたを励ますわけでも、奮い立たせ啓発するためでもなく、事実として言える事だ。

 

人自身も、人を取り巻く出来事も、陽ばかりでは発展しない。

 

この考え方に出会えあて、私自身がどんなに楽に生きられるようになったか。。。。

 

 

***

 

 

本当に久しぶりに書いてみたら、全く言葉が出て来ません。一日がかりでした。

今は、とにかく運命学の猛勉強中です。

自分が塾の子どもたちに「ここ覚えといてね」と、丸暗記で丸投げしない、分かりやすく理由を説明し納得してもらうこと、を信念にしているので、運命学も、原理原則、因果関係の筋が通らなければ、相談者様に暗記だけの吉凶をお伝えしたくない、という信念があります。

 

こんな私ですが、どれどれどんな感じ?と興味を持っていただければ、

 

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11月にオープンする『ジブリパーク』の近くのイオンモールです。

ついでに、会いに来て頂けた本当に嬉しいです。

 

***

 

また、占いに関する気づきや、これまでのような内容のエッセイも書いてみようかなと思います。占い師の卵の成長過程を傍観する感じで、またお立ち寄り下さい。

 

 

 

『生まれ来る子ども達のために』

 

10月末は連休が取れるので、毎年島根の実家に両親の様子を見に帰る。

 

父が免許を返納してからは、姉が送り迎えをしてくれるので、都合良くいくように、姉の家の近くに宿をとることにしている。

 

その宿は、入った途端に大きな窓一面に日本海が広がっている。

荷物も下ろさず、ベランダに出る。

視界のまっすぐ先に水平線、その上に青い空と白い雲。

 

「海だー!」

気分は、映画『ホリデイ』でお金持ちのキャメロン・ディアスの家に足を踏み入れた時のケイト・ウィンスレットだ。

 

海ってなんでこんなにいいのかな。

 

以前『魔女の宅急便』の作者、角野栄子さんが、お気に入りの街鎌倉の海辺に立って、この疑問に自問自答して言っていた。

 
「遠くの方から運んでくるような気もするし、こっちの気持ちを持っていくような気もするし、、、」

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今回の島根は、ゆったり温泉に浸かることと、夕陽を見ることと、夜空の星を眺めることをとてもの楽しみにして2泊とった。
 
 
でも、父のコンデションが良くなくて、温泉は諦めた。
 
 
その上お天気も今一つで、夕焼けショーは期待外れ、星に関しては一つも光っていなかった。
夜ホテルから主人に電話をして「星がひとつもない」と言ったら、「え、それだけの用事?」と言われた。出発前、「きっと島根の星はもっと綺麗だぞ。」と気分を盛り上げさせたのはそっちじゃないか。
 
 
 
翌2日目は天気は少し回復した。
 
父も少し元気を出して、ランチを食べに出て、カフェへと梯子した。
そして、おしゃべり。それだけのことだけど、300kmを旅して来て良かったと感じるひと時。
 
 
父を送り届け、もう日暮れだ。
今日こそ「夕焼けショーin島根」だ、と姉の家へと車で急ぐ。
なんでも、姉もお気に入りの夕焼けスポットが近所にあると言う。白鳥もやってくる湖で、先日も来ていたから、と。
 
 
でもタイムアウト。「あっちの空綺麗だよ。」と言いながら、夕陽と競走したけれど、間に合わなかった。すっかり暗くなった湖の駐車場で、愛犬と白鳥が睨み合ってるその日の動画を見せてもらって、終わった。
 
 
 
 
夜の星は期待通り綺麗だよ。でも電話しない。口では言い表せないから。
波の音と漁火と、大きく光る星と細かく光る星。
やっぱりうちのベランダで見るのと違うよ。
 
いっぱい着込んでも海の夜風は冷たい。後5分、後3分、と、、、しみじみと見上げた。
 
 
 
***
 
 
9月2日。娘が出産した。女の子が生まれた。
 
2人は1ヶ月ほど、我が家で過ごした。
 
自分も2人の子どもを産んで育てたのだけれど、新鮮な不思議を感じさせてもらった。
 
 
1つ目は、私が産んだ娘が、子どもを産んだこと。
感慨深かった。ずっと先になるけど、娘もいつかこの不思議で感慨深い心境を味わう日が来るのだろうなと思う。
 
 
2つ目は、生命の不思議だ。生命が目の前で日々進化していく。脳がグングン発達していく。
と改めて感じるほどに、赤ちゃんって繊細で、逞しくて、不思議な存在だ。
 
 
3つ目は、愛の絆の力。
里帰りも終盤、娘は、私の勧めに後押しされる形で、2時間の予定で家をあけ、美容院に行った。うち合わせを万全にして。母乳なので、前日から哺乳瓶の練習をしたておいた。
 
赤ちゃんは、とても穏やかに寝てくれた。が、予定より早く目が覚め、おむつを変え、ウンチも出し、ミルクも100mlペロッと飲んで。
でも再び寝てくれる気配はなかった。抱っこして、なんとか2時間いけるかと、あやしながらも、私は少し焦る。
 
お腹が足りない様子で、少しむずがり出す。でも泣きはしない。
2時間を15分、30分と回っても帰って来ない。
 
さらにむずがり出したので、予定外だったけど、後20mlミルクを作った。
でも、さっきと違って舌で押し出す、「これではない」と、、、でも泣きはしない。
 
「お母さん、ごめんねー。」と玄関を開けると同時に娘が駆け込んで入って来た。その時だ、赤ちゃんが思いきり泣き出した。
 
 
娘の声が、ママの声が、生後1ヶ月もたたないこのか弱い存在に、「あの人だ」と理解させたのか。毎日、昼夜もなく、そばに寄り添う人との絆が結ばれているのだなと感動した。
 
 
***

 

 

多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も戻れない もう戻れない
あのひとがそのたびに許してきたように
僕はこの国の明日をまた想う

ひろい空よ僕らは今どこにいる
頼るもの何もない
あの頃へ帰りたい

ひろい空よ僕らは今どこにいる
生まれ来る子どもたちのために何を語ろう
何を語ろう

君よ愛するひとを守り給え
大きく手を拡げて
子どもたちを抱き給え

 

『生まれ来る子ども達のために』小田和正

 

 
 
3人の孫に出会えて、命に触れる時、この綺麗な地球を残していくのは私たちの使命だろうと、心から思う。
 
 
SDGsというと、申し訳ないけど、ピンとこない。
けど、孫達にも、その子ども達と一緒に、この星、この夕焼け、この海を見て欲しいと思う。
 
 
私たちだけが、便利で、私たちだけが良ければそれでいいというものではない、と、島根の夜空を見ながら、素直に、そして強く思えるのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

『私のやり方』

 

 

今日は日曜日。恒例の主人と出かけるコーヒータイムが、昨夜から何だか楽しみだった。「明日のカフェが楽しみだな。」と言う私に、主人は「また、なんで?」と、大き過ぎる期待は困るよ、と言った感じの返事をした。

 

しっかり朝寝坊して、昼にもなりそうな時間に家を出ると、素晴らしい空だ。急に肌寒くなった天気が関係するのか、青い空に色々な形の雲がずっと向こうまで、360度広がっている。

 

 

いつものスタバの後百貨店で買い物をして帰る。

4階駐車場は、私の撮影スポットでもある。特に雲が良い日。

 

ちょっと待って、と主人に告げて、ガラケーから変えたばかりのiPhone を空に向ける。

風が強くて携帯を持つ手が少し緊張する。

ならば、と主人が、車に乗り込んだ私をフェンス際まで乗せて行ってくれた。

 

ほんの数十メートルの移動に、私の気分は、旅行にでも来たように盛り上がる。

景色が変わったから。

遠景の山並みに、手前の街並み、駅でもあるこの建物から出て行く電車が真っ直ぐ山の方へ向かって行くように錯覚する。

 

その上では、大きな鱗を持つ龍が体をうねらせながら下界を眺めているような、そんな雲がゆっくり流れている。夢中になってフェンスいっぱいに右往左往しながら、この感動を何とかスマホに収めてもって帰りたい、と思う。

 

「なんか、観光地にいるみたいだね、私。」と車で待っていてくれた主人に、ありがとうの代わりに言うと、主人は返事の代わりに、今度は車を屋上駐車場に向けてくれた。小さな百貨店で、屋上まで行く必要など今までになかった。

 

車の頭が空を向いて上がって行く。

胸が熱くなって、涙が滲んでくる。

何故かわからない。

屋上に立つと、誰もいない。

ただ、少しおしゃれして着て来たワンピースの裾が風にはたはた言う音と、私の嗚咽する声しか聞こえない。

もう、全部吐き出して泣いた。拭っても拭っても涙が止まらない。

 

喜怒哀楽の感情の涙ではなく、自分ではコントロールすることができないまま、身体の中に溜め込んでしまう何かが、ついに一杯一杯になって、堰を切って流れ出して来たような液体だった。

 

主人はきっと驚いてしばらくは、やっぱり車の中から見ていたようだった。そして、降りてきて「どうしたの?」と答えを求めるでもなく言った後、ぐるりを囲む山々の説明をしてくれた。そして、「今日の夕陽もきっと綺麗だね。」と言ってやっと私の方を見た。

 

夕方4時半、「夕陽を見に行くんでしょ。」と、また車を出してくれた。

 

 

 

 

***

 

 

この歳になって、暮らすことへの心配もなく、人間関係の些細なことにクヨクヨするような出来事もなく、平穏な代わりに、体調が変わりやすい。

 

夏の終わりから、脳疲労が激しく、右の耳の低音の難聴が酷くなって、聞こえて来る音の不快さに付き纏われる日々がずっと続いていた。

 

そうしたら、何だか夕陽にものすごく心惹かれるようになった。

何だろう、身体が欲する。

 

出来る限りお休みの日は夕陽を見に、西へ向かってお散歩をする。

私の目下の趣味は、夕焼けショーを見ることだ。

 

 

 

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この日、この景色を独り占めだった。

必死にスマホをあっちに向けこっちに向けしながら「独り占めだよー」と声を上げた。

でも、追いつかない。本物の感動は、画面の中には収まらない。

 

この景色の中に、赤い2両編成の在来線の電車が入って来る。

 

 

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そして、この川沿いの田園風景を横切って歩いていくと、今度は新幹線が抜けて行く。

カッコイイ。

 

別の日だけど、燃える夕陽の中に新幹線が駆け抜けていった。

 

 

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走れメロス』は、この太陽と同じ太陽が燃えて沈んでいくのを見ながら、友のことを想い、ひたすら走った。

 

風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラは、この太陽と同じ太陽が燃えて沈んでいくのを背に「I'll  never be hungry again!」と神に誓って自分を奮い立たせた。

 

私は宇宙の歴史の中に生きている。壮大な気持ちに解き放たれて行く。

 

私の頭の中でも、♪タンタータターン、タンタータターンと『風と共に去りぬ』のテーマ曲がBGMとして流れるのだけれど、神に誓うほどの熱い気持ちは残念ながら探しても見当たらないので、とりあえずスマホにおさめてから、大きく深呼吸をする。

 

「この街が好き」と思う。

 

 

***

 

 

歳をとると花鳥風月に心惹かれるようになると聞くけど、それがよくわかる。

人に愛されたい、人を愛したい、と言うより、大きな存在に包まれたいと思う。それはいつか自分が戻って行く場所なのかもしれない。

 

 

少し前にもそんな事を感じた。

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***

 

 

そして、夜になると星を眺める。

Amazonで購入した、キャンプ用のリクライニングチェアをベランダに置いて、自分家の屋根や隣の家の屋根や、電線を避けて、やっとささやかな空間を見つけるのだけれど、寝そべって見る夜空は、それでも凄い。

 

星座のことも、天体のことも、全くわからないけれど、脳みその回路をすっ飛ばして、ただただ神秘的で畏敬の念に、逆に押しつぶされそうな、複雑な気分になる。

何かを「感じなさい」と天が言ってくる。「理解しなさい」と言ってくる。

川上ミネさんの『O  MEU CAMINO』というピアノ曲を聴きながら夜空を仰ぐと、それが何なのか、導いてもらえそうな温かい気持ちになるのだけれど、まだ時間がかかりそうだ。

 

何故この曲が、こんなに私に寄り添ってくるのか、この『O  MEU CAMINO』と言うポルトガル語の意味を調べてみた。

 

『私のやり方』と言う意味だった。

 

私が少しくらい傲慢でも、少しくらい柔らかくても、私が帰って行くのであろう大きな存在からしたら、ちっぽけなことなのかもしれない。

それなら、『私のやり方』で生きていきなさい、と言うことなのだろうか。

 

 

 

『はてなの街』に里帰り

 

 

私の学習塾がお盆休みに入ったので、故郷のようなはてなブログに帰省することにした。

手土産が何もないけれど。

 

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故郷島根に帰ると、必ずみんなで出かける蒜山高原岡山県

 

手土産がない上に、ネタ欠乏症だ。

 

今日の出来事で特記すべき何もないけれど、敢えて言うなら、

朝起きた時、身体中が痛くて、マットレスにへばり付く様に寝ていた身体を、なんとか、ゆっくり起こしてベッドを降りた。

 

あー、カズマの夢だった、と思った。

カズマは、大阪で一人暮らしをしている甥っ子。自閉症というハンディを持ちながら、逞しく生きている。

コロナで、全く会えない。今年もお盆に会うことができないな、と思ったからかな。相変わらず、日焼けした顔に大きめのメガネで、ニコニコしていた。

 

少し頭が起きてくると、なんでこんなに痛いんだ、と振ればカラカラ音を立てそうな脳みそで、昨日の一日をなんとか思い出してみる。

 

昨日は確かに大掃除はした。
でもなぁ、とそれ如きでか、と首を傾げた時思い出した。
Amazonで買ったハンガー掛けを組み立てた。高さがあって重かった。作りながら、汗だくになって、今日は人並みに1〜2ℓという汗をかいてるよこれ、と思いながら格闘した。

 

 

もともと、『組み立て』という作業は、最も苦手な仕事。

理由は2つあって、一つは力があまり強くない。

もう一つは、マニュアルを読むのが、とても苦手。面倒臭い。その通りにやるということが面倒臭い。読まずに、なんでも自分の感覚重視で進めてしまう。

 

 

読まずに感覚、というのは、一度こうだと思い込むと簡単に訂正できない、という欠点がついてくる。

 

昔、ナオトインティライミが世にでた時、その名前をきちんと読むのが面倒くさくて(一瞬面倒くさいのです)、感覚で読んでしまうのだ。タケシインテグラ。なんでそうなるのか、しかし私の中では、もうタケシインテグラになっている。

 

娘の前で、ペロっとタケシインテグラ、って言ったら爆笑されて、それはそれで、ちょっと失礼な、みたいな顔をしたら、娘が慌てて謝ってくれた。

 

アプリの『Pinterest』のことも、私はちゃんと読んだことがなく、『赤のP』とだけ認識している。先日娘と話していて、「アプリでさ、『ピンセット』とかあるじゃん」とうかつに言ってしまった。すると娘は「あっ、『ピンタレスト』ね」と言った後、一瞬笑いを飲み込んだ、私はそれを見逃さなかった。

 

 

***

 

 

そして、力が強くないと言えば、

これも昔、お昼ご飯に、『桃屋のチャント五目寿司のたね』という瓶の商品に悪戦苦闘したことがある。

主人は、徒歩3分のところに事務所があるので、昼ごはんに帰ってくる。私も学習塾をしているので、昼食を作って、食べて、はい授業、というこの時間帯は、とても慌ただしい。

その上、この日は美容院帰りだったので、さっと作ろうと、ご飯にこの寿司の素を混ぜて、お刺身を乗っけて、『なんちゃって海鮮丼』を予定していた。

 

が、瓶の蓋が開かない。固い。焦れば焦るほど開かない。調理台はしっちゃかめっちゃか。あの手この手を繰り出している。

 

もう電話する!

 

瓶裏のシールに書かれた電話番号に「おい、開かないじゃないか」と言ってやろうと思った。(でも、勘違いしないで頂きたいが、私は決してクレイマーキャラではありません。天然なところはあります)

意気込んで電話をすると、「それは、瓶の蓋を熱いお湯に数秒つけてから、開けてみてください。」と、よくある質問的に、冷静にサラリと返答をくれた。

勢いの収まり場所を失った私は「こういうお手軽な商品は、若いファミリー向けというより、リタイアした二人暮らし夫婦が、ターゲットじゃないんですか。だったら、年寄り向けに蓋も改良されたらどうですか。」と、勝手に喋った。すると「ありがとうございます。検討させていただきます。」との答え。

 

とにかく急がねばと言われた通りにやってみると、ものの15秒だ。魔法か。感心した。

おまけに、瓶裏の電話番号の近くに赤い字で、その開け方が書いてある。申し訳ないと思った私は、また瓶裏番号にかけて、「ありがとうございます。魔法のように開きました。」とお礼を言い、ここでまた10分ロスをした。

 

桃屋のチャント五目寿司のたね』は期待に反して、瓶の蓋がモデルチェンジされることはなかった。

 

***

 

毎昼帰ってくる主人はと言えば、ずっとロボットのゲームに取り憑かれている。

今日も帰って来て、うがい、手洗いをすると、そそくさとタブレットを持って座り込み、配膳する私をかすかに視界に入れているかどうか。

 

これまた昔、二人で運命論みたいなことを話していた時、私が、とても守られていると感じると感謝の意を伝えると、主人は「俺はbanchanの『円卓の騎士』だと思っている。」と言ってくれた。若かった。

ねえ、『円卓の騎士』じゃなくても、せめて『食卓の紳士』で、ゲーム片付けてね、なんちゃって。

 

 

 

***

 

 

今、書くことがとても楽しいです。前の記事でも書いたように、noteでも、書きっぱなしで呟いています。そうそう、前回記事の後、noteのあの記事をたくさんの皆さんに開けていただきました。はてなの皆さんが来てくださったんだなって、本当に感謝でいっぱいでした。

 

 

The Long And Winding Road

長く曲がりくねった道。人生100年時代と言われ、私たち還暦世代も、この先長い道のりだと思います。ただ、真っ直ぐに先が見えてしまうのは、逆に退屈です。曲がりくねって、何が起こるか、何が待っているか、わからない方がファイトが湧いてきます。

 

書くことで、もう一度何か起こしたいと夢を持ち始めました。

 

はてなブログは、私の故郷です。いつも、温かい励ましのコメント、スター、ブックマーク、本当にありがとうございます。

 

 

 

先日はnoteの方で、はてなブロガーのふーみんさんの記事をお借りして書いた記事が好評を頂きました。ふーみんさん、ありがとうございました。

 

 

note.com

ご近所に感謝の気持ちを

 

先日産休に入った娘と名古屋駅でお茶をした。
お互いの町から出てきて、駅のタリーズで待ち合わせ。

 

最近、ここのタリーズを気に入っている。

 

東京に行くと、私のスタバとは違う、スカイツリーの足元にあるスタバに連れて行ってもらう。初めて入った時は、大きな窓の外のスカイツリーをいっぱい写した。 こんなところにスタバがあるなんて、羨ましいと思った。

 

でも、この名古屋駅タリーズの景色は、カフェ窓好き、、カフェ窓から見える景色好きの私の、目頭を熱くさせる感動のファーストインパクトだった。ソラマチのスタバに負けていない。あくまで私の感性での基準だけれども。

 

 

昨年はコロナ禍で全く名古屋に出なかったし、今年に入ってからはブログに夢中になって、外出自体していなかった。

それでも物足りなさを感じなかったのは、家好きだし、ご近所にも名古屋にも愛着がなかったから。

 

 

名古屋は『何もない』で有名。

島根に里帰りしたときに入ったカフェで、お隣の二人組の女性が「この間名古屋行ったんだけど、ナーンにもなかった。」と話していた。生の声を聞いて流石に苦笑いだった。

 

確かに島根は、観光には素晴らしい。山の緑も、空や海の青さも、その深みが違う。呼吸をすると、体の中まで綺麗な空気が染み渡る。

お祭りにしたって、4〜500年の歴史ある出雲神楽に触れて育った私には、ご近所の商店街振興の秋祭りとか、ちゃんちゃらおかしいと、腹の底らへんで思っていた。

 

 

東京じゃなきゃ、島根じゃなきゃ、と思っていた。

 

そんな考えが、歳をとった自分を息苦しくさせていたことに気づき始めた。

自分の心のもつれが解け始め、少しずつ呼吸が楽になってきて、景色が輝き始めている今日このごろ。

 

 

 

娘とタリーズを出ると、しばらく歩いてみた。楽しいひとときだった。名古屋駅の人の流れは整然として、電車に乗る人、買い物をする人、街路樹を揺らす風、全ての動きが心地よかった。

 

帰宅してからは、ご近所を1時間ほど散歩に出かけた。

嫁いで32年。何故ちゃんとこの町を見てこなかったのか。

主人が生まれて育った町。初めて愛おしく思える。

 

主人が遊んだ川には、3羽の鴨が泳いでいた。主人が、幼馴染「ひこ」と待ち合わせた公園では、老夫婦がバケツで水を運んで、花壇に撒いてくださっていた。

 

 

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 ***

 

1ヶ月ほど前。

ブログを書き始めて、半年が過ぎた頃から、私はスランプに陥っていた。

『愛』がわからなくなっていた。

 

note.com

 

 noteに呟いてみた。

 

 

結局、根底にあるのは自分の傲慢さなのだと気づくのだけれど、

だからといってどうしたら日々を素直に見つめられるのかは分からず、素直に『愛』を感じられるものが見つからない。

この後も、迷走する気持ちのゴールを寝ても覚めても、何を食べても、ボーッと捜して、1ヶ月間もがいていた。

 

***

 

 

 

 

 

私に深呼吸をさせてくれたのはこの本だった。

 

私のような状態を、『哲学ゾンビ』というのだそうだ。

 

身体は習慣通り日常を営んでいるが、内面的に何も感じていない人間(意識に注目すべき対象がなく、なんの感覚も受け取っていない人間)

 

実際、子どもの頃、私たちにとって、人生に起こるあらゆる出来事は新鮮でした。それゆえ世界はくっきり見え、時間もゆっくりと流れていました。しかし、大人になり日常の出来事が新鮮さを失うにつれ、世界はぼんやりとしていき、時間が過ぎるのも早くなってしまいます。

 

全く納得だった。だからといって「日々スペシャルな体験をせよ」と言われては私の最も不得意分野だなと思いつつ読み進めた。

 

そうではなく、「普段見過ごされている体験に目を向け、その体験を味わって生きよ」という。そうか、以前記事にした、身体に障害のあるまりこちゃんみたいに、ゆっくり歩いて日々の変化を観察するのか、と思った。それとも少しだけ違う。

 

 

この本の最後に厚めの『体験のチェックリスト』がついている。大量のカテゴリーがあり、それらのカテゴリーに、更に大量の項目がある。体験のあるなしに良かった悪かったの感想を加えて、色分けしてチェックをつけていく。

 

例えば、スーパーに食材を買いに行って、肉、野菜、果物、いつもお馴染みのものを買って帰る。この時ちゃんと意識して見ると、食べたことのない果物や、食材があるはず。それを日々一つずつチャレンジしてご覧なさいというのだ。

 

服でも同じで、買うときはストレス解消でパッと買うのに、着る時はいつも無難な同じ格好になってしまう。人の目を気にせず、サングラスをかけてスカーフを巻く体験をすることが大事だそうだ。

 

 

 そして「この街が楽しくない」という問題の解決策があった。街を歩く時、例えば旅行で初めての街を歩いても、カフェや小物屋さんしか目に入っていない。そんな私にとって、自分の興味のない店は、無意識に壁や障害物と化しているという。確かに。

 

いつもの町でも、買わなくてもいいから「釣具屋さん」「キャンプ用品屋さん」にも入ってみて、そして体験を味わいなさい。こんなグッズ、こんな値段、と新しい発見が必ずあるはず、と励まされた気持ちになった。

それが即ち、日々の楽しみの見つけ方なのだと思った。

 

 

娘が「久屋大通も面白いよ。今度行こう。」と誘ってくれた。

 

久しぶりに 毎日に色が差していくような高揚感がある。

 

 

***

 

 

主人はこの町に根ざして生きている。

私も、この町で1000人近くの子ども達を卒塾、送り出させてもらった。

感謝の気持ちを込めて、この町を歩こう。子どものように、発見したり、体験したりしながら。

それが『愛』なのかもしれない。