私の母は、小宇宙

 

私の母は、陶芸家だ。

これは母が焼いた。

 

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撮るセンスが悪くてごめん、母。

 

珈琲になってしまいたいぐらい、自称珈琲好きの私が

色々試して、これで飲むのが最高と太鼓判を押す。

コーヒーが滑らかになるし、口触りも良い。

 

母によると、神様の土で焼くからだそうだ。

 

自分の作品に、何万円と強気な値段をつけるくせに

家族に持たせると、「ちゃんと使ってるの?」としつこい。

 

 

福島県から島根県に嫁いで、神話の国出雲、我が神社の歴史に

興味を持つのだけど、その熱量がすごい。

80歳にして魏志倭人伝を紐解く必要を感じ原文を読んだという。

 

人の顔を見ると、「あなたB型?」とか聞くノリで、

「あなた北方系ね」とか言う。

 

 

 

とか書くと、インテリのようだけど、

母はそんなもんじゃ収まらない。小宇宙だ。

 

 

ある年、帰省した私を駅まで迎えにきてくれた時のことだ。

 

プラットホームから階段を降りながら改札を見下ろすと、

父は居るが、母は居ない。

と、ひょっこり柱の陰から顔を出した母は何かかぶってる。

 

 

 

遠目に、これに見えなくはない(大袈裟な引用ですみません)。

 

「おかえり。良いでしょ、これ。この間みかん買った時、入ってたかご。」

って、みかんのカゴかい!

どこの親がみかんのカゴ頭にかぶって、娘迎えに来るの。

 

 

メガネのコレクションも凄い。

旅行に行った時、小さな文字を読もうとして鞄から

普通にメガネを出した。

右と左のレンズを繋ぐブリッジがポキッと折れてる。

それを使ってることは、いたって普通のことらしい。

 

 

この手の話で一冊本が書ける。

あたしンち のお母さんなんて、普通の人だと思う。

 

 

ただ、10代で兄を出産し、4人の子どもたちを必死で育てた。

母は苦労話をこぼすことは決してしない。

母がしない話題は、辛かったことにほかならない。

 

 

ただ、あの日のことは、よく覚えている。

 

私は、児童養護施設で働いていた。

20歳そこそこで、ツッパリ高校生たちの母がわりをしていた。

正面突破しか術を持たない私は、いつも男子高校生と格闘して

アザだらけで、物陰に隠れて悔し涙を流していたものだった。

 

けど、人に頼ることが苦手で、遠く離れた親はもちろん同僚にさえ

辛い気持ちを話していなかった。

 

そんなある夜、用事でかけてきた母の電話を職員室でとった。

しばらく話した後に、何かを察した母が、私に

 

「焼き物でも、粘土の時にひびが入ってしまったら、

丁寧に丁寧に 修繕してあげるんだよ」

 

と話した。

「子ども達の心も同じじゃないの。両手で包み込むんだよ。」

 

 

あんな、あたしんちの母は、後にも先にもあれだけだ。

だから、よく覚えている。

 

 

 

 

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