さらけ出して伝える父の愛

 

 

今日も、島根の実家に電話をした。

老いた2人で暮らす両親に、遠方で暮らす私が出来るせめてもの親孝行と思って、1日おきに電話をかけることにしている。

 

 

3月末、仕事が長期休暇だったので、様子を見に帰った。

コロナのために1年ぶりとなった帰省は、良い結果をもたらした。

 

それまで父はすっかり弱気で、ネガティブなことばっかり言っていたのに、私が帰る頃には、復活の兆しを見せていた。疲れはしたが、一緒に出かけて、うどん定食をペロリと完食したことに自信を感じたようだった。

 

 

今日の電話では、声に力強さも戻っていた。

 

今日の電話は、私の方からも話したかった。

「今度は、こっちのお義母さんの様子が変で。このところ親戚が続けて亡くなられて、ショックで、鬱っぽいの。」

 

父は、そのことを切り出さなくても、最近の自分の変化を話そうと思っていたようだった。

「そげかー。ワシも腎臓癌がわかって、医者から余命3年宣告受けた時は、ナニクソ5年は生きてやるわ!と思ったけどな。

 

そのうち、免許も返納して、囲碁も行けなくなって、何の為に生きとるのか、何だかわからなくなるんだなー。

 

ほら、NHKで、チコちゃんとかいうのが出てきて言うがな『ボーッと生きてんじゃねーよ』って。

 

あれだがね。ボーッと目的も生き甲斐もなく生きてる人間ほど、死ぬことは怖いよ。」

 

数年前の父なら、ここから、では人はいかに死と向き合うべきか、哲学、仏教から宇宙の法則まで、自分が学んだ話を語るところだ。

 

でも、今日の父はこう続けた。

「いや、でもやっぱり死ぬのは怖いよ。

夜、頭でわかっても、朝になるともう忘れて、また怖い。

この間、お前を出雲駅に送ったがね。あんたは、左手を振って『さいなら』って言っとった。

ワシも、車の中から、手を振って『さいなら』って言った。聞こえんだろうが。

涙が出た。やっぱり死ぬのは怖いよ。」

 

そんな父がいとおしく、さらけ出して語ってくれる、何にも勝る教えだ。

 

 

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父と話すと、ホッとする。

 

2年前、私の耳鳴りが発症し、とても酷かった頃のこと。全ての音が半音下がって聴こえてきて雑音でしかなく、うるさくて頭が痛くなるのでイヤホンをつけて暮らしていた。

 

その日も、耳が辛くて悲しくて。親に泣きつきたくなった。

最初に出た母も、トンチンカンながらも心配してくれた。

でも、父に代わって声を聞いたら、涙ながらになってしまった。

父は、いきなり

「お釈迦さんが言いました。熱くなった金の菜箸を持つとするなら、熱いとわかって持つ人は、何も知らずに持つ人より火傷が軽い。

お前さんは自分のことがわかっているから大丈夫。

何もわかろうとせず、騒ぎ立てる人もおるからな」と。

 

それをきっかけに、いっぱい泣いたら少し楽になり、いっぱいぶちまけてもっと楽になった。

 

貧乏だったけど、愛して育ててもらった。