4歳の君の今日は どんな日かな

 

 

私のニックネーム banchan は

 

4歳の孫が、言葉を発し始めた頃

私のことを

「ばあちゃん」ではなく「ばんちゃん」

と呼んだところからつけた。

 

私はそれをとっても気に入っている。

 

 

 ばんちゃんの名付け親は

不思議な力を持っている。

 

先週末、

私の父が老人ホームにショートステイが決まった。

誰もが通る道だろうけど

親の老いを受け入れるのは複雑な想いがある。

 

しかしながら、実家は遠い。

顔を見に駆けつけることもできない。

想いばかりが胸の中で重く沈む。

 

 

その夜のこと。

11時半にLINE電話の呼び出し音が鳴る。

テレビ電話は孫からだ。

 

慌ててタブレットを開きビデオマークをタップすると

即座に

「ばんちゃーん」

 

なんでこんな時間に起きてるの?

明日も幼稚園でしょ?

と、こちらが聞く間もなく

 

「ばんちゃんに絵本読むよ。」

と言って、私がプレゼントした絵本を

すでに膝の上に置いている。

 

『何もしたくないカエル』の話を

覚えたセリフで一通り「読み」終わると、

絵本をそっと閉じて

やり切った感じで

 

「ばんちゃん、バイバーイ」

と、静止画になる。

 

なんだったの?

一人の家で、

昼間の父の電話の声に沈んでいる私の姿が

あの子の脳裏に映ったの?

 

 

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私が一人で

東京の孫のところに遊びに行った時のことだ 。

 

2泊3日を充分に楽しみ、

3日目の午後、帰り支度を始めると、

彼はぐずりだす。

 

眠たいけど、僕はばんちゃんを見送る、

けど、眠たい、いや、寝てたまるか

けど、勝手に瞼が閉じていく。

 

新幹線ホーム、

ついに彼は、睡魔との戦いに勝って

ここに居てくれている。

 

彼なりの作戦があった。

パパの抱っこだと寝てしまうから

ばんちゃんに抱っこしてもらう。

 

しかしばんちゃんは、

体力的に老いているから長くは保たない。

から、前パパとやった “しり、、なんとか“

って言葉遊びで喋り続ける。

 

作戦は成功した。

 

私が乗る列車がもうホームに入っていた。

3歳だった彼が

「ばんちゃん急いで」

と私を心配する。

 

出発まで、まだ5分くらいあって

普通なら、その5分、

乗り込んだ帰る人と、ホームで見送る人の間で

間が持たない。

 

仮に恋人同士でも、窓越しに会話ができない、

見つめ合うしかない。

 

でも、彼は、5分間をずっと話し続けてくれた。

じっと私から視線を逸らすことなく。

 

聞こえないし、

マスクをしているので口も見えないけど

一生懸命話し続けてくれていると確信して

私も視線を逸らさずうなずき続けた。

 

 

大人同士だったらきっとできない。

 

生まれたその日から、

その時の自分にしかない素晴らしい今日がある。

 

彼はその澄んだ眼差しで

今日も、今日という日を吸収しているのだろう。

 

 

 ありがとう。優しい心を。