お友達へ
※この記事は、あるお友達のために書きます。
私は、HSPという言葉を知る前まで、自分のことがわからないことがいっぱいありました。
- お友達、という距離感が苦手
- 喫茶店など、一人でいる時に、お隣の人達の会話の内容まで聴こえなくても、なんとなくネガティブな邪気(悪口のような)を感じることがあり、耳を塞ぎたくなる
- やたらと、見ず知らずの人のちょっとした非倫理的な行いに、反応してしまう。(私はこれを『ついパトロールしてしまう』と言います)
- テレビの暴力的なシーンが、とても苦手
- 枕が変わると、一睡もできないことがほとんど
など、などです。
人付き合いが苦手、といつまでも避けていてはいけないと奮起して、家族が止めても「いや、私は頑張る」と同窓会に申し込んだのですが、送ってくれる車が会場に近づくと、心拍数が上がり「行けないよー」と泣き出す55歳。大袈裟なようですが、本気なんです。
この例でもわかるように、私は、脳的にロックオンしてしまいやすい傾向にあると思います。
過去の経験から、ねずみが怖いのですが、そう言ったこともトラウマになりやすい。
山に登る時のリフトも、2度と乗れない恐怖心があるのですが、意識ではどうしようもありません。脳的にやられてしまっている、というのを自分で感じます。
家族も、そんな私のタブーは、よくわかってくれていました。
家に友達を呼ぶと、母がめっちゃ疲れる、とか。
でも、なぜそうなのかは、私がわからないのだから、家族も、『我が家の御法度 ◯箇条』のように、ただただしないように心がけて協力してくれてました。
もちろんHSPとは、関係ないこともあると思います。
ただ、これらの自分の特性のほとんどを好きじゃなかったので、理由があったんだとわかった時、ほっとしました。私のこれまでの人生のモチベーションは、なぜ自分がこうなのかを知ること、探究心にあったと思います。
なので、逆にそうだったんだとほっとしてからは、自分探しの旅が一段落した感じでした。
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この性分は、父譲りの一面があり、父は昭和6年生まれ。HSPのパイオニアですかね😅
父は、私に、「お前は、我が強いんだな」と言ったことがあります。
我=われ、ある意味自律神経が立ちやすいということのようです。
父も、人知れず悩んだようで、呼吸法や瞑想、気功、など自学でトレーニングしていました。
私は、主人と学生の時からの恋愛結婚だったのですが、主人を理解することが私の人生勉強だったと言えると思います。
自分は間違っていると思いながら、相手に言動をぶつけることは誰もしないわけで。
まして私は、良い悪いは別にして、正義であることが大切だったので、自分の見方を疑ってみることができませんでした。
大好きなはずなのに、なぜ衝突して悲しまなきゃいけないのか。
それを考えることは、主人を理解することであり、また、主人に映る自分を知ることだったのです。
この例え話は有名ですが
象の身体の各所に、象を見たことのない数人の人たちを配置して、目で見ることなしに、触っただけで、その生き物がどのような生き物か説明させたのです。
ある人は「丸太の木のようだ」と言い
ある人は「長いへびのよう」
ある人は「大きな葉っぱのよう」 ※〜のようの例えは正確ではありません
と、それぞれに言い張るのです。見る角度が違うだけで、誰も嘘は言っていません。
相手の意見の良し悪しを判断せず、意見をすり合わせればいいのですね。
私が主人と衝突して、落ち込んだ様子を見せると
「ほら、すぐそうやって俺を責める」と言われなければいけない理由に辿り着くだけで長い年月がかかりました。
私の落ち込み=主人の怒り 感情の表出の仕方が違うだけだったのです。ざわつく気持ちは一緒だったのです。
悲しみも怒りも出どころは同じ、脳の扁桃体。肉食獣が前方に見えて不安を感じた時、物陰に隠れるか、おりゃーって戦闘モードに入るか、のような。
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結局、正解も不正解もなく、お互いが、そのままを受け入れるということだと思います。
今すぐでなくてもいいです、常に必ずでなくてもいいと思います。色々なコンディションや環境によって頑張れたり、頑張れなかったりするので。ただ、この先の人生の時間をかけても相手のことを理解しようと思うのなら、それが愛だと思うのです。
あくまで、我が家の例ですが、
お友達に届いて、少しでも心が楽になるお手伝いになれば、嬉しいです。
追伸:そしてハグですよね😊