『手が届く』幸せ
今日ブログがかけるように、昨日、一昨日と頑張って仕事を進めた。仕事しながら考えた今日のメニューは。。。
肩がバシバシに凝っている→お向かいのアパートのマッサージの先生に施術してほしい→彼は視覚障害がある→彼のシックスセンスエピソードがショッキング→視覚障害といえば中2の英語の教材にユニバーサルデザインついて書かれている→ユニバーサルデザインといえば、私ちょっとトリビアあるんだぁ→教科書といえば、この春の教科書改訂、えっらいことになってる→おしまい。
という筋書きを描いた。今朝になり、いつものようにまず珈琲飲みながらブログ探検を始めた。なんせ、今までブログはもちろん、ネットニュースとかFacebook とかの発信に触れたことがない。洗練されて、カッコイイ記事が色々あることを知る。マイ文明開化。
なんか、待てよ、と思ってしまった。
肩がバシバシに凝ってんのは事実だからよし。でも、ユニバーサルデザインとか、書くなら少しは調べなきゃなと思ったら、ちょっと面倒くさくなった。教科書改訂の件も、書き出したらキリないし。ある人が、ブログは自分が困ったことをどう解決したか、を書くのが基本と言っていた。解決できるのかなぁ、これ、とか思ってしまう。
ここで思考が行き詰まる。んじゃ何かけばいいの?
結局、なんか私って、大波が来る心配のない入り江で、浮き袋でぷかぷか浮いて、のほほんとしているみたい。目線の遥か先には大海原が広がっていて、大きな船が見えている。大海原に出るには、装備が必要だ。その装備をコツコツ準備して、いつの日か航海に出るぞ!ってタイプじゃない。
感覚的創造力とか言えばカッコがつくけど、要は小手先。自分の手の届く範囲内を出ようとしない。
『手の届く』は、私のこれまでの人生のキーワードだ。
私が子どもの頃憧れた暮らしがある。それは貸し漫画屋さんのおばあさんの暮らしだ。
島根の父は、一家で東京にいた頃、新聞社でジャーナリストの端くれだったことを活かして、実家の島根に帰って、ささやかな家族経営の新聞社を立ち上げた。その事務所を松江に借りていた。私達きょうだいは日曜日になると父の事務所で1日を過ごしたものだった。
その事務所のお隣が貸し漫画屋さんだった。兄、姉はわからないけど、私は、そんなに漫画は好きじゃなくて、それより、店主のおばあさんの暮らしぶりを、一日中でも覗いていたいくらいだった。店舗の奥に3畳くらいの畳の部屋があって、きちんと片付いて、全てのものが揃ってる(ように見える)。石油ストーブがあって、その上で食事の煮炊きをしている(ようにしか見えない)。じっとしてたらお客さんがお金置いていって、そしてなーんでもここでできる。
8歳くらいの私は、うっとりとその暮らしを眺めた。ズボラとは違う。自分だけの世界を構築しているおばあちゃん。そんな憧れ。
さて、大海原か、入り江か。2択でもないし、即決することでもない。
まあ、きっと私のことだから、そのうちこの入り江に腰を据えて、煮炊きできるストーブと、ハサミとか印鑑とか裁縫セットとか、一気に収納できるカラーボックスとか、ついでに据えちゃって、夕日が綺麗だなぁとか言ってんだろうな。
まあ、大海原に繋がる入り江までは出てきてことを良しとしよう。
いや、案外ユニバーサルデザインについて、ガッツリ調べて、考察、まとめ、みたいなクールな記事書き出すかもしれない。
そしたら、コイツ、装備し始めたか、と思っていただいて大丈夫です。