手をたずさえて

 

 

最近主人が忙しすぎて、身体が心配。

帰宅が連日日付を跨いでいる。

なのに、ご飯を食べたら、ひとしきりゲームをしなければいけないらしく、もう口出しもしないけど、明け方に就寝することがしばしばあるらしい。

 

「俺はショートスリーパーだから、4時間寝たら充分」と自信たっぷりの60歳。

確かに、身体について気になるのは花粉症くらいだ。

 

病気じゃないのに、病院で聞けないし、この不安を払拭するために、私は占ってもらうことにした。

 

占いに関して、私は当たる人か当たらない人か、逆に当てる自信がある。根拠のない自信は私の得意とするところ。

イオンの占いブースの前で、「よし、この人は良いぞ」と感じてお願いしたのは、四柱推命の占い師さんだった。四柱推命は勉強したことがあるけど、この方の鑑定方法はとても分かり易く、感動した。

 

それによると、主人は『身体はとてもタフだけど、ストレスを溜めやすいのでガス抜きが必要。120%で頑張らないと納得できない人。スピーチが上手。』

拍手喝采。ドンピシャです。主人のガス抜きゲームは、寝るより大事ということが、私の中でも納得なこととなった。

さらに、『運気の低迷期がない人』だそうだ。そりゃ年中忙しいはず。

 

そして、『お二人の相性は、とても良い』と言ってくださった。

実はそれは知っていた。自分で占った時も、奇跡的に良いらしかった。

 

私がこの家に嫁いで数年経った頃、全く何気なく、「そういえば、、」と聞かされた話がある。

 

主人が高校生の時のこと。

彼は修学旅行で出雲大社を訪れたそうだ。その旅行で、少年は自分への記念品など何も買わなかったのに、なぜか出雲大社のお札だけ買って帰った。家に持って帰ると、「縁結びの神様のお札なんか買って帰って、出雲みたいな遠いところからお嫁さん来ちゃったらどうするの」と家族にブーブー言われた。それを可哀想に思っておばあさんが、神棚に貼ってくれたとの話。

そのお札の力か否か、10年の時を経て、私が出雲の神社から嫁いできた。600キロの距離を跨いで。お互い初恋だった。私はこの地に、何か為すべきことがあって呼ばれたのか。

そのお札は、今でも煤けながらも、同じ場所にいらっしゃる。

 

 

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自分が生きている人生は、いつでも『我』を軸とした時間の流れだ。

 

本質的な『我』という軸は変わることはなくても、まとっている要素が時に『我』を後押ししてくれたり、あしかせになったりする。それが運気というものか。

 

***

 

人生って長い長い列車旅のように思うことがある。

一番後ろの車両が、赤ちゃん。二両目は10代。。。。

一番前の車両に移る時には、次には人生列車を降りる準備が必要だ。

 

年齢が上がるとともに、違う車両に移れば顔ぶれが変わる。価値観が変われば、求める人間関係のあり方が変わる。

車窓を流れる時代という景色は、どの車両からも どの世代からも 同じものなのだけれど、ワクワクや、不安や、達観した感じ。それぞれに違う。

 

今私は、前から何番目の車両にいるのかな。やりたいことをやってこれたし、主人と手を携えて残りの旅を楽しめるように、健康でいなければ。

 

 

 

上を向いて歩こう

 

 

昨日水曜日は鍼治療の日。きちんと通っていると、自律神経系の症状が楽になる。

 

きちんと通えているには、もう一つ理由がある。

先生ととても話が合う。71歳男性。もう心の中で『マブダチ』『鍼友』とお呼びしている。

 

先生は、卒業後しばらくはヤマハのバイクの営業をされていたのだけれど、その後一念発起して、プロの競輪選手になられ、日本全国で活躍されたそうだ。ブイブイ言わせていた時期。しかし、大きな転倒事故をきっかけに、鍼灸を学んで開業へ。

 

先生に施術してもらいながら、よく涙を流してしまう。自分とよく似た人だから、無理なく私を肯定してくれるし、似ているからこそお世辞は言えない人とわかっているので、信じて寄りかかれる。人付き合いが苦手な私には貴重な存在だ。

 

 

「banchan、『上を向いて歩こう』ですよ。

松山英樹、パシッとね。上を見て進んだんですよ。下を見ていては、天のパワーを受けられないからね。」

 

と話してくださった。なるほど。

 

池江璃花子さんね。インタビューが良かったね。『努力は裏切らない

でも、他のライバル達も努力したんだろうからね。1日24時間しかないのは、皆平等だから。努力だけじゃなかったんだね。」

 

この先週のお言葉と、今週のお言葉をすり合わせると

一生懸命努力して、上を向いて歩く人 が強いと言うことだ。

 

間違いない。自分もそうありたい。

 

 

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上を向いて歩こう

涙がこぼれないように

思い出す 春の日

一人ぽっちの夜

 

ポジティブなタイトルに、なんと哀愁を誘う歌詞だろう。その気分の時ならイチコロで泣けてしまう。

松山英樹じゃないけど、坂本九さんはこの歌でアメリビルボード誌で、100週間1位と言う快挙を遂げたという。

 

 

 

昭和の歌には、何か力があると思う。

ありふれた言葉だけど、そうそう簡単に擦り切れてしまわない。

 

それは、私たちが言葉を感じることができたからだろうか。

 

雪がシンシンと降る   

 

絶妙な言葉だ。

子どもの頃、冷え込んだ夜のあくる朝、一面の銀世界になっているのを経験している。

 

 

うさぎ追いし かの山

小鮒釣りし かの川

夢は今も巡りて

忘れがたき故郷

 

 

まさに、子ども頃、自然に囲まれて野武士のように山の中を探検した日々が蘇ってくる。

歌詞の奥に、懐かしさや温かさとともに映像が浮かんでくる。

 

言葉を感じることができる。

 

 

 

鍼の先生がこうも言っていた。

「若い人にね、『そんな贅沢だよ、世界には貧困にあえぐ子ども達がいっぱいいるんだよ』というと『見たことあるけど、わからない』と悪気なく言うんだよ。」

 

ネットを使えば、世界のリアルを見ることができる。

 

昭和の私達は、想像するしかなかった。

新聞や本、文字を通して、言葉を通して理解しようと懸命に感じていた時代なのかもしれない。

 

 

 

 

 

お友達へ

 

 

※この記事は、あるお友達のために書きます。

 

私は、HSPという言葉を知る前まで、自分のことがわからないことがいっぱいありました。

  • お友達、という距離感が苦手
  • 茶店など、一人でいる時に、お隣の人達の会話の内容まで聴こえなくても、なんとなくネガティブな邪気(悪口のような)を感じることがあり、耳を塞ぎたくなる
  • やたらと、見ず知らずの人のちょっとした非倫理的な行いに、反応してしまう。(私はこれを『ついパトロールしてしまう』と言います)
  • テレビの暴力的なシーンが、とても苦手
  • 枕が変わると、一睡もできないことがほとんど

など、などです。

 

人付き合いが苦手、といつまでも避けていてはいけないと奮起して、家族が止めても「いや、私は頑張る」と同窓会に申し込んだのですが、送ってくれる車が会場に近づくと、心拍数が上がり「行けないよー」と泣き出す55歳。大袈裟なようですが、本気なんです。

 

この例でもわかるように、私は、脳的にロックオンしてしまいやすい傾向にあると思います。

過去の経験から、ねずみが怖いのですが、そう言ったこともトラウマになりやすい。

山に登る時のリフトも、2度と乗れない恐怖心があるのですが、意識ではどうしようもありません。脳的にやられてしまっている、というのを自分で感じます。

 

家族も、そんな私のタブーは、よくわかってくれていました。

家に友達を呼ぶと、母がめっちゃ疲れる、とか。

でも、なぜそうなのかは、私がわからないのだから、家族も、『我が家の御法度 ◯箇条』のように、ただただしないように心がけて協力してくれてました。

 

 もちろんHSPとは、関係ないこともあると思います。

ただ、これらの自分の特性のほとんどを好きじゃなかったので、理由があったんだとわかった時、ほっとしました。私のこれまでの人生のモチベーションは、なぜ自分がこうなのかを知ること、探究心にあったと思います。

なので、逆にそうだったんだとほっとしてからは、自分探しの旅が一段落した感じでした。

 

 

***

 

この性分は、父譲りの一面があり、父は昭和6年生まれ。HSPのパイオニアですかね😅

父は、私に、「お前は、我が強いんだな」と言ったことがあります。

我=われ、ある意味自律神経が立ちやすいということのようです。

父も、人知れず悩んだようで、呼吸法や瞑想、気功、など自学でトレーニングしていました。

 

 

 

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私は、主人と学生の時からの恋愛結婚だったのですが、主人を理解することが私の人生勉強だったと言えると思います。

 

自分は間違っていると思いながら、相手に言動をぶつけることは誰もしないわけで。

まして私は、良い悪いは別にして、正義であることが大切だったので、自分の見方を疑ってみることができませんでした。

 

大好きなはずなのに、なぜ衝突して悲しまなきゃいけないのか。

それを考えることは、主人を理解することであり、また、主人に映る自分を知ることだったのです。

 

 

この例え話は有名ですが

象の身体の各所に、象を見たことのない数人の人たちを配置して、目で見ることなしに、触っただけで、その生き物がどのような生き物か説明させたのです。

ある人は「丸太の木のようだ」と言い

ある人は「長いへびのよう」

ある人は「大きな葉っぱのよう」  ※〜のようの例えは正確ではありません

 

 と、それぞれに言い張るのです。見る角度が違うだけで、誰も嘘は言っていません。

相手の意見の良し悪しを判断せず、意見をすり合わせればいいのですね。

 

 

 

私が主人と衝突して、落ち込んだ様子を見せると

「ほら、すぐそうやって俺を責める」と言われなければいけない理由に辿り着くだけで長い年月がかかりました。

 

私の落ち込み=主人の怒り 感情の表出の仕方が違うだけだったのです。ざわつく気持ちは一緒だったのです。

悲しみも怒りも出どころは同じ、脳の扁桃体。肉食獣が前方に見えて不安を感じた時、物陰に隠れるか、おりゃーって戦闘モードに入るか、のような。

 

 

***

 

 

結局、正解も不正解もなく、お互いが、そのままを受け入れるということだと思います。

今すぐでなくてもいいです、常に必ずでなくてもいいと思います。色々なコンディションや環境によって頑張れたり、頑張れなかったりするので。ただ、この先の人生の時間をかけても相手のことを理解しようと思うのなら、それが愛だと思うのです。

 

 

 あくまで、我が家の例ですが、

お友達に届いて、少しでも心が楽になるお手伝いになれば、嬉しいです。

 

 

 追伸:そしてハグですよね😊

 

 

 

 

 

大人だって、そんな時あるんだよ。

 

 

ウルトラマンS (孫4歳)は、カッコいいんだよね。

 

楽しく幼稚園に行って

ご飯のお手伝いもできるし

みんなを楽しませてくれる。

 

ウルトラの妹が (生後4ヶ月)泣いてると、ヨシヨシしたり、

抱っこしてあげたり

絵本を読んであげたりするんだよね。

 

でも、

ある日

「僕、もうお兄ちゃんやめたい」って泣いちゃったんだよね。

 

わかるよ。

 

ウルトラマンSは、ウルトラの妹が大好き。

ウルトラのママも、ウルトラのパパも、とっても優しくて

ウルトラのママもパパも、ウルトラマンSのことも妹のことも、いっぱい大好きだってわかってるんだよね。

 

 

 

ばんちゃんも、『大人』って名前のヒーローなんだ。

 

強くないけど、しっかりしてなきゃダメなんだ。

こんなこと言ったら、あの人が困るから、言っちゃいけない。

あんなことしたら、あの人に迷惑だから、やっちゃいけない。

 

いつも、頑張って我慢してるんだ。

ヒーローだからね。

 

でも、ばんちゃんは、ウルトラマンSと同じで、自分はとっても幸せって、

自分でわかってる。

 わかってるけど、わからなくなる時もあるよね。

 

 

***

 

 

ウルトラのママに抱っこしてもらったら、いっぱい泣けたんだね。

 お兄ちゃんだって、泣けたんだね。

よかったね。

 

ウルトラのママの手は魔法の手だね。

 

 

 

今日久しぶりに、ぽんちゃん(娘)が、ばんちゃんちに来てくれたんだよ。

ぽんちゃんのお腹には赤ちゃんがいるよ。

その優しい手で、さすってくれたんだよ。

 

ばんちゃんも泣いちゃった。

「もう、わかったふりをした『大人』をやめたい」ってね。

 

でも、泣いたらすっとするね。

 

 

 

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なっちゃんのおうちに、赤ちゃんが生まれました。

お買い物の時、ママと手を繋げません。

だから、なっちゃんはママのスカートをちょっとだけ、掴んで歩きます。

 

牛乳が飲みたい時も、

パジャマに着替える時も、

髪の毛をゴムで縛る時も、

公園のブランコに乗るときも、

 

ママは、赤ちゃんのお世話で忙しい。

だから、なっちゃんは ちょっとだけ 一人でできるようになります

 

でも、なっちゃんが、ママに「ちょっとだけ 抱っこして」とお願いすると。。。

 

 

 

なっちゃんの健気な成長、母の温かな優しさ。

癒しの一冊です。

私の宝物です。

 

 

カラオケの思い出

 

 

なんとなくカラオケに行かなくなって久しい。

コロナのせいばかりではない。

 

ウチのカラオケは、なかなか盛り上がる。

 

***

 

私は子どもの頃から、家族パーティが大好き。

8人の大家族で、お金はない家だったので、誰かの誕生日と言っても、外食もご馳走もなかったけど、そんなこと気にしたことは多分ない。

私は、人数分パーティプログラムを手書きして、夕食までに全員に渡した。時間があれば、飾り付けも楽しんだ。そう、ケーキを焼こうと言う発想のタイプではない。

夕食の誕生日会では、4人兄弟の3番目の私が仕切り、プログラム通りほとんど私のワンマンショーで、ちょっとだけ姉を脇役にして、粛々と進行していく。家族は、はいはい、と付き合ってくれた。

 

 

***

 

 

一方、主人も4人兄弟。同じ時代に生まれ、同じ時代の歌をうたって育った。日本の西と東、遠く離れて。

主人の兄弟は、みんな歌が上手い。親譲なんだろう。

主人は長男で、歳の近い弟と2人ギターを弾いて、サイモンとガーファンクルをハモる青春だったそうだ。

その頃私も、ギターを弾きながら1人コンサートをするJKで、父に「鶏が首を絞められた声」と、要はうるさいと言う抗議、言われてもお構い無しに、かぐや姫の「妹」とか、高くて鶏が首を絞められたような声を出してシャウトしていた。

 

 

***

 

 

いつの頃からか、主人の弟が帰省する盆と正月は、家族カラオケが楽しみな恒例になっていた。

なんせ主人と義弟の兄弟デュオは素晴らしい。十八番の「明日にかける橋」はお金を払う価値がある。歌い出す前に「兄貴、上?」「お前、、、、」とか、なんだか軽く打ち合わせしたりしてるのもカッコイイ。

 

あずさ2号」なんかも、もう拍手喝采。2人でテレビに出れる程のクオリティ。

 

コッチも負けてはいられないと、オフコースをはもって対抗しようと、カラオケ大会の帰りの車の中で決起するけど、完成したことはない。

 

 

***

 

 

私は、人付き合いは苦手だけど、家族が大好き。

 

息子も娘も、TUBEの颯爽とした歌をよく好んで歌っていた。

陸上部だった2人の、青春を駆け抜けるイメージと、練習のキツさと、勝負の厳しさみたいなものがリンクする応援歌だ。

2人が熱唱するTUBEをまた聴きたい。

ゆずの「夏色」は兄妹のハモリの十八番だ。声変わりした兄が、母譲りの鶏が首を絞められた声で高音部を熱唱する。あのハモリをもう一度聞けたら、母は号泣だー。

 

我が家の、カラオケの締めは、「tomorrow」と決めている。家族全員で大合唱だ。

娘の保育園最後の運動会で披露されたダンスの曲。

何度聞いてもジンとする。何度歌っても、元気が出る。

 

 

***

 

 

息子も娘も巣立って、自分たちの城を築き始めた。

お嫁さんも歌上手、お婿さんも声がイイ。

なんせ孫4歳は、無類のパフォーマーだ。

孫たち、みーんなで、いつかばんちゃんをカラオケに連れて行ってね。

 

 

 

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伸びる子が育つ環境作り 〜現場で気づいたこと〜

 

 

新学期が始まりました。

私の学習塾にも、子ども達の声が戻って来ました。私自身久しぶりの授業に少し緊張するのですが、最初の新小2の授業で、「ずっと今日を楽しみにしてた〜」「毎週火曜日になると塾に行きたかった〜」と口々に言ってくれます。天使たち、パワーをありがとうございます。

 

今日は、これまでに飛躍的に伸びた子達の、ちょっとした行動で気づいたことなど、学習する時に大事じゃないかな、と思うことをまとめてみようと思います。

 

 

 

 

 

鉛筆の濃さと筆圧、運筆力 

昨日の新1年生のクラスでは、まず運筆の練習として迷路に取り組みました。市販のもですが、緊張して来る子達のとっかかりとしては、遊び感覚で喜んでくれました。鉛筆の持ち方もよく、難易度の高いものでも、諦めず何度もやり直す姿は素晴らしいと思いました。さらに、「じゃあ、行けない方にはバツをつけようっと」と工夫をするのも凄い。

 

その子に、持っている鉛筆の中から2Bを渡して、「これにしてごらん」と渡すと、スイスイ進めるようになったのです。不思議ですが、わずがな運筆のストレスの違いが、脳に何らかのサインを送るのだと思います。

 

私は、自分の塾を立ち上げる前に、公文式でアシスタントをし、右脳開発教室で講師をしました。どこででも、鉛筆の重要性は感じました。

 

夜になると、新中1の子達が来ました。このクラスの新人の男子、とても礼儀正しく、声も出ます。しかし書くことになると、やはり運筆が弱く、字が汚いではなく文字センスがない。残念ながら、これまでに書くことをあまりしてこなかったことが伺えます。

 

塾には地域の複数の学校の子が集まるわけですが、面白いほどに、学校のカラーが子どもたちに表れます。地道な昔ながらの、漢字◯回書いて来なさい、という課題も大事だな、と私は感じています。

 

 

左手を出す

運筆は絶対条件ではありませんが、姿勢は絶対条件と言えます。

姿勢がいいのに残念ながら、成績は芳しくない頑張り屋さんケースはありますが、逆に姿勢が悪いのに勉強ができる子は見たことがありません。左手を出さないと、体が歪みます。背筋が伸びると脳に刺激が与えられます。それを利用して、脳性麻痺の子が乗馬トレーニングで成果を上げたという話を聞いたことがあります。左手を添えるだけで、姿勢が変わります。

 

 

 

地頭を鍛える 

 やんちゃな男の子達が連れ立って入会してくれたことがありました。彼らは勉強習慣が乏しく、学習で達成感を味わったことがないのか、投げやりで、それを隠すために斜に構えます。まして仲間がいるので、やりにくい。そこで彼らだけのクラスを作り、様子を見ました。

できないことよりできることからと思い、小6でしたが、競わせてジグソーパズルをしてもらいました。達成感と向き合う姿勢ができてきたところで、学習に戻すと、「わからない」「何がわからない」を言える子が出てきて、少しづつ全員が底上げされて来ました。

 

タブレットは、確かにクオリティの高い知識を得ることもできます。地頭を鍛えるのは、脳と身体の連動が必要です。子どもが1日に使える時間は限られています。子どもに何を与えるか、親御さんの知恵とポリシーが大事になって来ますね。

 

 

 

はてな を放っておかない

 常に学年トップの男子がいました。

英語の長文を読んでいた時のこと、『家族で長野県の◯◯山に登りました』のところで、彼がいきなり「先生、地図帳貸してください」というのです。「どうしたの?」「◯◯山が本当に長野県か、確かめたいんです」びっくりでした。

 

また、わずか1年半で、入塾時26点から、最後の試験で学年トップの点数を取った、ビリギャルみたいな子もいました。彼女は、いつも何点でも飄々としていました。ただ、間違えた問題を私が側に行って解説した後、「わかりました」と言うので側を離れると、必ず筆箱から小さなファンシー手帳を取り出すので、何してるのかな?と見ると、彼女なりに、教わったことをメモしてるのです。

 

 

 

伸びる子には、必ず自分流のこだわりがあります。それを自分で見つられるように、見つけたいと仕向ける環境を与えてあげることが大人にできることだと思います。

 

そしてその経験が社会に出てから活きる。活きた学びといえると思うのです。

 

 

 

 

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池江璃花子さんから学ぶこと

 

 

先日の水泳池江さんのオリンピック代表内定の快挙のニュースに、私も目頭が熱くなった。

 

満面の笑みと、感激の涙いっぱいで気持ちを語っている池江さんの姿に、去年の今頃も「パリ五輪が一番の目標」と語って、卒業して行く子ども達に『諦めない』を教えてくれたんだよなぁとしみじみ思い出した。

 

 

***

 

卒塾生を送り出し、夏が近づくと、中3英語の授業は例年通り『現在完了形』に入った。『have+過去分詞』の文法。子ども達の顔にみるからにハテナマーク❓❓が点灯するヤツだ。

 

私のポリシーとして、説明だけして「これは覚えてね」と子ども達に丸投げ的なことは意地でも言いたくない。家庭学習で覚えなければどうしようもないことは山程あるので、教えるプロが目の前に居て、覚える、で済ませたくない。「納得するまで質問して来んかい!」と言う私の表情がよっぽど怖いのか、子ども達は若干引き気味だが。

 

『have+過去分詞+回数』で『今までに◯回〜をしたことがある』と訳すことを理解してもらいたい。

「人の経験は、『いつ〜をしました』と話すなら過去形だけど、経験値として身につけていることを語るなら、その経験を◯回分haveしてるってことでしょ。」

 

***

 

「be動詞で語る時

  • 私は生徒です。
  • 私は背が高いです。
  • 私の兄は高校生です。

自分の存在を説明するようになるわけ。

 

もしみんなが、悲しい時

  • 私は悲しいです。

と言ってしまえば、まるで自分の存在の形容詞が「悲しい」になってしまう。

 

でも、英語にはhaveという便利な動詞があるのね。

これは、私のイメージでネイティブの人がどう言うかわからないけど

  • 私は悲しみを持っている
  • 私は喜びを持っている

って考えたらどうだろう。

 

水泳の池江璃花子さんは、これがとても上手にできる人なのだと、私は思うな。

彼女は、白血病と戦って、今苦しく、悲しい状態を身につけている。

けれど、手放すことができると、努力している。

 

逆に、オリンピックチャンピオンの名声も、身についているだけ。

  • 私は、オリンピックチャンピオンです

って、be動詞で言い切っちゃたら、チャンピオンでなくなったら「終わった」になっちゃうでしょ。池江さんは、チャンピオンの名声を、いい意味で身につけたり、外したり。そこにこだわってなかったんじゃないかな。

 

be動詞の自分。

存在として根幹の自分は、本当にシンプルでいいんだよ。」

 

 

***

 

 

ご想像通り、子ども達は口ぽかーんだった。でも、子どもはスポンジのように柔軟に吸収する。少しずつ逞しくなっていく。

 

 

***

 

私の耳鳴りも、慣れるまでは、この世の終わりの気分だった。確かに周りの人に何を言って貰っても、耳鳴りの辛さはわからないでしょ、っと泣いていた。

前回記事の2割の女性の気持ちだった。

 

 

tenebo.hatenablog.com

 

 

時間が経ち、耳鳴りの良い日、悪い日がわかるようになると、私は『私は耳鳴りの人』じゃない、と思えるようになってきた。

 

『耳鳴りの人』と『耳鳴りがある』この言い方の違いで少し気分が軽くなる、という言葉のマジックに騙される楽天さも、時には武器になるかもしれない。

 

 

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8割の哀しみ 2割の哀しみ

 

 

今日はショッキングな事件に触れることになり、重い内容の記事になります。それでも、私の人生の大切なエピソードなのでまとめてみようと意を決しました。苦手な方にはごめんさい。

 

 

今日は雨の日曜日。

主人と二人、朝食を食べに出る。

先に運転席に居る主人が、後から助手席に乗り込む私に「ほーら、傘は自分の左側に収めるの。」と注意してくる。「はい、はい」と私。

 

「はい、はい、って、あなたのために言ってるんでしょ。傘の雫でスカートが濡れないように。俺になんの得もないことだよ。」忙しく、睡眠不足続きのためか、久しぶりに険悪になりそうな流れ。

 

昔は、この流れは確実に、私が黙り込む空間へとつながるヤツだった。でも、もうお互い60歳。それはない。将棋でよく言うように、数手先を読むと言うヤツ。こちらがこう出ると、相手はこう出るから、こちらはこうせざるを得なくなり、、、、と、黄金のパターンを知り尽くしているので、お互い無駄な労力を省くため、なかったことにする術を身につけた。

 

 

 ***

 

 

若い頃の私は、主人のこの被せて言ってくる論法が苦手だった。

主人の言葉に悲しむ或いは拗ねる表情で訴えても、さらに追い討ちをかけて、突っ込んでくる。私はすっぽり貝になる。

 

しかしある時、この主人の言動の意味がわかる時が来たのだった。

それは、私の人生にフラグが立った瞬間。

 

 

 ***

 

 

6年前、NHKのドキュメンタリーを見ていた時のこと。その夜は『新宿西口バス放火事件』の被害者の杉原さんという方のドキュメントでした。

 

 

 

www2.nhk.or.jp

 

 

杉原さんは事件のせいで、全身に80%の大火傷を負い、人生が狂ってしまう。自分の人生一体なんだったのかと言う問いに答えを求めて、NHKの協力のもと、他に生存された方の34年後を尋ねるべく、生存者を探されるのです。

 

やっと出会えたその方は杉原さんより10歳くらい若い女性で、杉原さんとの対談を受け入れられたのでした。対談の冒頭、その方の「私は全身に20%の火傷を負った」との説明から始まり、自分のことを話されました。

 

それを受けて、杉原さんが「20%ならまだよかったですね」と言われると、その女性の表情が明らかに変化しました。さらに「私は80%だったので、、、、」と女性を励ますように続けて話すうちに、女性の表情に怒りが表れ、部屋を出てしまわれました。ディレクターが慌てて後を追い、話を聞くと「誰であろうと、私の苦しみを、“ましだ“などと言われたくない」とだけ言い残して帰って行かれたのでした。

 

 

 

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人の傷みに寄り添うことは本当に難しいです。

事件のお二人が、逆に、女性が杉原さんに対して「私よりもっと辛い思いをされたのに、私は何も言えない」と思ってしまわれるのも違うわけで。

 

 

***

 

 

でも、このような究極な状況でなくても、人間関係の中には、自分の気持ちと相手の気持ちと天秤にかけて辛くなってしまうことはある。

 

哀しみの感情は、量れるものではない。

そのフィルターを外してみる。

私のような感情に持っていかれやすい人間は、尚更、自己憐憫に陥ることなく、相手を憐れむでもなく、事実を見なければいけない。一旦相手の投げたボールはキャッチする。その強さが優しさなのかもしれない。

 

 

 ***

 

さて、私達夫婦の話に戻して。

主人は、危なっかしい私をいつも心配してくれている。けれど、私はそれをそうと受け止める強さがなかった。予想外にしょぼくれる私を見て、主人はさらに納得させようとする。さらに私は萎縮してみせる。俯瞰してみたなら、そんなところだろうか。

 

ある人が、夫婦は前世の仇で、今生で、関係を修復するために結ばれるのだと言っていた。

まるでタイプの違う主人を理解することが、私の人生の学びであったことは間違いない。

 

 

 

 

私の娘の話

 

 

 

今日、娘が結婚記念の写真を撮る。

入籍は昨年11月で、コロナもあり、両家両親と2人の6人で食事をして祝った。

 

今日の撮影会も、コロナで2人以外はお断りとのこと。

 

***

 

娘がまだ3歳の頃の印象的な一コマがある。

 

主人、息子、4人でファミレスで日曜日のモーニングを食べに行った時のこと。

私と息子が隣り合い、主人と娘が向かいの席に座った。

主人は若い頃、短気だった。渋滞とか列並びとか大嫌い。お出かけしても、橋の手前などで流れが悪くなり迂回のきかない橋の上でピタリと流れが止まったりすると、車内に重苦しい空気が漂ったものだ。日曜朝のファミレスやハンバーガー屋さんもそのリスクが高い。

 

その日曜日も、やっと席に通された時には、主人は“日曜の楽しい朝食“的な雰囲気ではなくなっている。本人はそんなつもりはないだろうけど、3歳と5歳の兄妹は空気を読んでいる。

主人のボヤキに、私が「でもさー」と言いかけた瞬間、若くて大きな主人の隣でちょこんと座っていた3歳児が、向かいの席の私に強い視線をよこす。

そして、主人の体に隠れるようにしながら、私に合図を送る。唇の前に人差し指を立てている。

 

『反論しないで』『ここはそっとしとけ』『それ火に油だぞ』『自然鎮火を待て』

 

3歳にして恐るべき司令塔。

それ以降、50年余り、娘は主人語とわたし語の通訳師であった。

私は真っ直ぐからしか見れないので、大好きな旦那さんが、私と違う角度から物事を見ているとは思ってもいない。そこを、娘がいつも通訳してくれた。

 

 

***

 

娘は、いつも周囲のために、最適解を必死に探す性分がある。

なので、周囲から信頼も得るし愛される。そして、頂いた信頼を裏切ることはできない。

自分の身体の反応は騙してでも、最適解に向けて努力をする。

 

天然な私は「好きか嫌いかで選べば良いんだよ」と言い続けたが、そのように反応しない、できないから、娘の戦いがあったのだと思う。また、簡単にそう言い切ってくる母親に、複雑で追いつかない感情があったのかもしれない。

 

娘は、きっと、初めて、「好きか嫌い」で、彼を選んだ、選ぶことができた。

彼とともに歩む中で、「頑張ってるよね自分、みんなのために」って最適解を求めて努力し続ける自分の性分を、めっちゃ好きになれると祈っている。

親が与えられるものと、彼が与えてくれるものは、違うからね。

 

***

 

『相手の視野から物事を見る』のが信念の娘。3歳の頃から、周りをキョロキョロ気にしながら顔のパーツを真ん中に寄せて、何か一生懸命考えてるような仕草は、そのためだったのかな。

 

天然な私はいつも、言い切って喋ってたけれど、あなたの思考に寄り添って理解することが、何よりあなたへの感謝の、お返しですね。

 

 

キレイな花嫁姿の写真待ってますよ。

 

 

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はてなブログの“はてな” は 人生の“はてな“

 

 

4月1日。私がブログを始めて3ヶ月。

 

キリのいいところで、アイコンを変えようと思い、1日になったので変更しようとするのだけれど、プロフィール画像を変えても、他のアイコンが一緒に変わってくれない。

 

焦って検索してみた。

ドンピシャの検索結果で、無事変更完了した。本当にお陰様です。それはブロガーさんの2年前の記事だったけど、感謝の意を伝えたく、ログインして訪問して、スターを5つ残させていただいた。

 

その作業に胸を撫で下ろし、そうか、「はてなブログ」ってはてなに答えてくれるから、はてなブログだったんだ!と興奮冷めやらず、一人で感心したものの、それが正解かは知らない。

 

思えば、ブログをやるようになって、60歳にして初めてネット検索のカラクリがわかった。

タブレットを持ち歩くようになった頃の私は、自販機の中に人がいるのでは?と疑うヤツは今時アマゾンの奥地まで探してもおらんだろうが、しかしそれに近かった。

 

具体的にどう思っていた訳ではないけど、すごいものだねーとは思っていた。少なくとも、知って検索している人とは、シリコンバレーとアマゾン熱帯雨林の差くらいあったと思う。

 

家族で高速道路を、夜走っていた時、義母が「このクルクル回っているものは何かね」と分離帯を指して言った。

待っててねー、と言わんばかりに、すぐさまタブレットを開けて、「ラミパスラミパスルルルルルー、高速道路で回っているものは何?」と聞いた。出てくるじゃん。「お母さん、それはですねー」と自分で言って酔いしれている。

 

もう止まらない。「いもとようこの顔が今日腫れて見えるんだけど?」と尋ねると、やまびこ程の即レスで、尚且つオウム返しじゃない。「それは、歯痛のせいです」。「今日MCさんがチェンジしてるのは何故?」とか。

茶店の暇人のトークの傍に置いておけば、即話題完結でトークが弾まなくなってしまう。

 

 

それくらい、ネット検索を神格化していたので、ブログを始めて、何か検索した時、私が読者登録をしている人の記事だったときは、びっくり仰天。自分がついにあのネット検索の世界に、足の小指だけ入った偉業を遂げた気がした。

 

 

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はてなブログを始めてから、私の胸に何回はてなが点灯しただろう。

ブログは承認欲求なのか、スターや読者登録して頂くため、ウケる記事が書きたいのか、逆にブログで誰かのお役に立つスキルが私に何かあるのか。。。まあ同じ問いを周期的に繰り返すスランプ周期がある。

 

 

でも、今日思ったんだ。それも はてなブログの、はてな なんじゃないかって。

永遠に問い続ける。何故ブログを書くのか。

心が身体が、書くことを求めるのは、間違いない。では、何故?

 

流石に、これはネット検索で出てくる答えが正解ではないし、ブロガーの数だけの回答があるんだろう。

 

人である以上、正解のない問いを考え続けることは、生きる醍醐味だ。

ネット検索の即レスでは味わえない、さまざまな感情が滲み出てくる。

 

時には、泣きたくなるくらい苦しいかもしれないし、途方に暮れるかもしれない。

でも、答えのない はてな こそが人を成長させてくれることには間違いはない。