『私のやり方』

 

 

今日は日曜日。恒例の主人と出かけるコーヒータイムが、昨夜から何だか楽しみだった。「明日のカフェが楽しみだな。」と言う私に、主人は「また、なんで?」と、大き過ぎる期待は困るよ、と言った感じの返事をした。

 

しっかり朝寝坊して、昼にもなりそうな時間に家を出ると、素晴らしい空だ。急に肌寒くなった天気が関係するのか、青い空に色々な形の雲がずっと向こうまで、360度広がっている。

 

 

いつものスタバの後百貨店で買い物をして帰る。

4階駐車場は、私の撮影スポットでもある。特に雲が良い日。

 

ちょっと待って、と主人に告げて、ガラケーから変えたばかりのiPhone を空に向ける。

風が強くて携帯を持つ手が少し緊張する。

ならば、と主人が、車に乗り込んだ私をフェンス際まで乗せて行ってくれた。

 

ほんの数十メートルの移動に、私の気分は、旅行にでも来たように盛り上がる。

景色が変わったから。

遠景の山並みに、手前の街並み、駅でもあるこの建物から出て行く電車が真っ直ぐ山の方へ向かって行くように錯覚する。

 

その上では、大きな鱗を持つ龍が体をうねらせながら下界を眺めているような、そんな雲がゆっくり流れている。夢中になってフェンスいっぱいに右往左往しながら、この感動を何とかスマホに収めてもって帰りたい、と思う。

 

「なんか、観光地にいるみたいだね、私。」と車で待っていてくれた主人に、ありがとうの代わりに言うと、主人は返事の代わりに、今度は車を屋上駐車場に向けてくれた。小さな百貨店で、屋上まで行く必要など今までになかった。

 

車の頭が空を向いて上がって行く。

胸が熱くなって、涙が滲んでくる。

何故かわからない。

屋上に立つと、誰もいない。

ただ、少しおしゃれして着て来たワンピースの裾が風にはたはた言う音と、私の嗚咽する声しか聞こえない。

もう、全部吐き出して泣いた。拭っても拭っても涙が止まらない。

 

喜怒哀楽の感情の涙ではなく、自分ではコントロールすることができないまま、身体の中に溜め込んでしまう何かが、ついに一杯一杯になって、堰を切って流れ出して来たような液体だった。

 

主人はきっと驚いてしばらくは、やっぱり車の中から見ていたようだった。そして、降りてきて「どうしたの?」と答えを求めるでもなく言った後、ぐるりを囲む山々の説明をしてくれた。そして、「今日の夕陽もきっと綺麗だね。」と言ってやっと私の方を見た。

 

夕方4時半、「夕陽を見に行くんでしょ。」と、また車を出してくれた。

 

 

 

 

***

 

 

この歳になって、暮らすことへの心配もなく、人間関係の些細なことにクヨクヨするような出来事もなく、平穏な代わりに、体調が変わりやすい。

 

夏の終わりから、脳疲労が激しく、右の耳の低音の難聴が酷くなって、聞こえて来る音の不快さに付き纏われる日々がずっと続いていた。

 

そうしたら、何だか夕陽にものすごく心惹かれるようになった。

何だろう、身体が欲する。

 

出来る限りお休みの日は夕陽を見に、西へ向かってお散歩をする。

私の目下の趣味は、夕焼けショーを見ることだ。

 

 

 

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この日、この景色を独り占めだった。

必死にスマホをあっちに向けこっちに向けしながら「独り占めだよー」と声を上げた。

でも、追いつかない。本物の感動は、画面の中には収まらない。

 

この景色の中に、赤い2両編成の在来線の電車が入って来る。

 

 

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そして、この川沿いの田園風景を横切って歩いていくと、今度は新幹線が抜けて行く。

カッコイイ。

 

別の日だけど、燃える夕陽の中に新幹線が駆け抜けていった。

 

 

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走れメロス』は、この太陽と同じ太陽が燃えて沈んでいくのを見ながら、友のことを想い、ひたすら走った。

 

風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラは、この太陽と同じ太陽が燃えて沈んでいくのを背に「I'll  never be hungry again!」と神に誓って自分を奮い立たせた。

 

私は宇宙の歴史の中に生きている。壮大な気持ちに解き放たれて行く。

 

私の頭の中でも、♪タンタータターン、タンタータターンと『風と共に去りぬ』のテーマ曲がBGMとして流れるのだけれど、神に誓うほどの熱い気持ちは残念ながら探しても見当たらないので、とりあえずスマホにおさめてから、大きく深呼吸をする。

 

「この街が好き」と思う。

 

 

***

 

 

歳をとると花鳥風月に心惹かれるようになると聞くけど、それがよくわかる。

人に愛されたい、人を愛したい、と言うより、大きな存在に包まれたいと思う。それはいつか自分が戻って行く場所なのかもしれない。

 

 

少し前にもそんな事を感じた。

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***

 

 

そして、夜になると星を眺める。

Amazonで購入した、キャンプ用のリクライニングチェアをベランダに置いて、自分家の屋根や隣の家の屋根や、電線を避けて、やっとささやかな空間を見つけるのだけれど、寝そべって見る夜空は、それでも凄い。

 

星座のことも、天体のことも、全くわからないけれど、脳みその回路をすっ飛ばして、ただただ神秘的で畏敬の念に、逆に押しつぶされそうな、複雑な気分になる。

何かを「感じなさい」と天が言ってくる。「理解しなさい」と言ってくる。

川上ミネさんの『O  MEU CAMINO』というピアノ曲を聴きながら夜空を仰ぐと、それが何なのか、導いてもらえそうな温かい気持ちになるのだけれど、まだ時間がかかりそうだ。

 

何故この曲が、こんなに私に寄り添ってくるのか、この『O  MEU CAMINO』と言うポルトガル語の意味を調べてみた。

 

『私のやり方』と言う意味だった。

 

私が少しくらい傲慢でも、少しくらい柔らかくても、私が帰って行くのであろう大きな存在からしたら、ちっぽけなことなのかもしれない。

それなら、『私のやり方』で生きていきなさい、と言うことなのだろうか。