伸びる子が育つ環境作り 〜現場で気づいたこと〜

 

 

新学期が始まりました。

私の学習塾にも、子ども達の声が戻って来ました。私自身久しぶりの授業に少し緊張するのですが、最初の新小2の授業で、「ずっと今日を楽しみにしてた〜」「毎週火曜日になると塾に行きたかった〜」と口々に言ってくれます。天使たち、パワーをありがとうございます。

 

今日は、これまでに飛躍的に伸びた子達の、ちょっとした行動で気づいたことなど、学習する時に大事じゃないかな、と思うことをまとめてみようと思います。

 

 

 

 

 

鉛筆の濃さと筆圧、運筆力 

昨日の新1年生のクラスでは、まず運筆の練習として迷路に取り組みました。市販のもですが、緊張して来る子達のとっかかりとしては、遊び感覚で喜んでくれました。鉛筆の持ち方もよく、難易度の高いものでも、諦めず何度もやり直す姿は素晴らしいと思いました。さらに、「じゃあ、行けない方にはバツをつけようっと」と工夫をするのも凄い。

 

その子に、持っている鉛筆の中から2Bを渡して、「これにしてごらん」と渡すと、スイスイ進めるようになったのです。不思議ですが、わずがな運筆のストレスの違いが、脳に何らかのサインを送るのだと思います。

 

私は、自分の塾を立ち上げる前に、公文式でアシスタントをし、右脳開発教室で講師をしました。どこででも、鉛筆の重要性は感じました。

 

夜になると、新中1の子達が来ました。このクラスの新人の男子、とても礼儀正しく、声も出ます。しかし書くことになると、やはり運筆が弱く、字が汚いではなく文字センスがない。残念ながら、これまでに書くことをあまりしてこなかったことが伺えます。

 

塾には地域の複数の学校の子が集まるわけですが、面白いほどに、学校のカラーが子どもたちに表れます。地道な昔ながらの、漢字◯回書いて来なさい、という課題も大事だな、と私は感じています。

 

 

左手を出す

運筆は絶対条件ではありませんが、姿勢は絶対条件と言えます。

姿勢がいいのに残念ながら、成績は芳しくない頑張り屋さんケースはありますが、逆に姿勢が悪いのに勉強ができる子は見たことがありません。左手を出さないと、体が歪みます。背筋が伸びると脳に刺激が与えられます。それを利用して、脳性麻痺の子が乗馬トレーニングで成果を上げたという話を聞いたことがあります。左手を添えるだけで、姿勢が変わります。

 

 

 

地頭を鍛える 

 やんちゃな男の子達が連れ立って入会してくれたことがありました。彼らは勉強習慣が乏しく、学習で達成感を味わったことがないのか、投げやりで、それを隠すために斜に構えます。まして仲間がいるので、やりにくい。そこで彼らだけのクラスを作り、様子を見ました。

できないことよりできることからと思い、小6でしたが、競わせてジグソーパズルをしてもらいました。達成感と向き合う姿勢ができてきたところで、学習に戻すと、「わからない」「何がわからない」を言える子が出てきて、少しづつ全員が底上げされて来ました。

 

タブレットは、確かにクオリティの高い知識を得ることもできます。地頭を鍛えるのは、脳と身体の連動が必要です。子どもが1日に使える時間は限られています。子どもに何を与えるか、親御さんの知恵とポリシーが大事になって来ますね。

 

 

 

はてな を放っておかない

 常に学年トップの男子がいました。

英語の長文を読んでいた時のこと、『家族で長野県の◯◯山に登りました』のところで、彼がいきなり「先生、地図帳貸してください」というのです。「どうしたの?」「◯◯山が本当に長野県か、確かめたいんです」びっくりでした。

 

また、わずか1年半で、入塾時26点から、最後の試験で学年トップの点数を取った、ビリギャルみたいな子もいました。彼女は、いつも何点でも飄々としていました。ただ、間違えた問題を私が側に行って解説した後、「わかりました」と言うので側を離れると、必ず筆箱から小さなファンシー手帳を取り出すので、何してるのかな?と見ると、彼女なりに、教わったことをメモしてるのです。

 

 

 

伸びる子には、必ず自分流のこだわりがあります。それを自分で見つられるように、見つけたいと仕向ける環境を与えてあげることが大人にできることだと思います。

 

そしてその経験が社会に出てから活きる。活きた学びといえると思うのです。

 

 

 

 

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池江璃花子さんから学ぶこと

 

 

先日の水泳池江さんのオリンピック代表内定の快挙のニュースに、私も目頭が熱くなった。

 

満面の笑みと、感激の涙いっぱいで気持ちを語っている池江さんの姿に、去年の今頃も「パリ五輪が一番の目標」と語って、卒業して行く子ども達に『諦めない』を教えてくれたんだよなぁとしみじみ思い出した。

 

 

***

 

卒塾生を送り出し、夏が近づくと、中3英語の授業は例年通り『現在完了形』に入った。『have+過去分詞』の文法。子ども達の顔にみるからにハテナマーク❓❓が点灯するヤツだ。

 

私のポリシーとして、説明だけして「これは覚えてね」と子ども達に丸投げ的なことは意地でも言いたくない。家庭学習で覚えなければどうしようもないことは山程あるので、教えるプロが目の前に居て、覚える、で済ませたくない。「納得するまで質問して来んかい!」と言う私の表情がよっぽど怖いのか、子ども達は若干引き気味だが。

 

『have+過去分詞+回数』で『今までに◯回〜をしたことがある』と訳すことを理解してもらいたい。

「人の経験は、『いつ〜をしました』と話すなら過去形だけど、経験値として身につけていることを語るなら、その経験を◯回分haveしてるってことでしょ。」

 

***

 

「be動詞で語る時

  • 私は生徒です。
  • 私は背が高いです。
  • 私の兄は高校生です。

自分の存在を説明するようになるわけ。

 

もしみんなが、悲しい時

  • 私は悲しいです。

と言ってしまえば、まるで自分の存在の形容詞が「悲しい」になってしまう。

 

でも、英語にはhaveという便利な動詞があるのね。

これは、私のイメージでネイティブの人がどう言うかわからないけど

  • 私は悲しみを持っている
  • 私は喜びを持っている

って考えたらどうだろう。

 

水泳の池江璃花子さんは、これがとても上手にできる人なのだと、私は思うな。

彼女は、白血病と戦って、今苦しく、悲しい状態を身につけている。

けれど、手放すことができると、努力している。

 

逆に、オリンピックチャンピオンの名声も、身についているだけ。

  • 私は、オリンピックチャンピオンです

って、be動詞で言い切っちゃたら、チャンピオンでなくなったら「終わった」になっちゃうでしょ。池江さんは、チャンピオンの名声を、いい意味で身につけたり、外したり。そこにこだわってなかったんじゃないかな。

 

be動詞の自分。

存在として根幹の自分は、本当にシンプルでいいんだよ。」

 

 

***

 

 

ご想像通り、子ども達は口ぽかーんだった。でも、子どもはスポンジのように柔軟に吸収する。少しずつ逞しくなっていく。

 

 

***

 

私の耳鳴りも、慣れるまでは、この世の終わりの気分だった。確かに周りの人に何を言って貰っても、耳鳴りの辛さはわからないでしょ、っと泣いていた。

前回記事の2割の女性の気持ちだった。

 

 

tenebo.hatenablog.com

 

 

時間が経ち、耳鳴りの良い日、悪い日がわかるようになると、私は『私は耳鳴りの人』じゃない、と思えるようになってきた。

 

『耳鳴りの人』と『耳鳴りがある』この言い方の違いで少し気分が軽くなる、という言葉のマジックに騙される楽天さも、時には武器になるかもしれない。

 

 

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8割の哀しみ 2割の哀しみ

 

 

今日はショッキングな事件に触れることになり、重い内容の記事になります。それでも、私の人生の大切なエピソードなのでまとめてみようと意を決しました。苦手な方にはごめんさい。

 

 

今日は雨の日曜日。

主人と二人、朝食を食べに出る。

先に運転席に居る主人が、後から助手席に乗り込む私に「ほーら、傘は自分の左側に収めるの。」と注意してくる。「はい、はい」と私。

 

「はい、はい、って、あなたのために言ってるんでしょ。傘の雫でスカートが濡れないように。俺になんの得もないことだよ。」忙しく、睡眠不足続きのためか、久しぶりに険悪になりそうな流れ。

 

昔は、この流れは確実に、私が黙り込む空間へとつながるヤツだった。でも、もうお互い60歳。それはない。将棋でよく言うように、数手先を読むと言うヤツ。こちらがこう出ると、相手はこう出るから、こちらはこうせざるを得なくなり、、、、と、黄金のパターンを知り尽くしているので、お互い無駄な労力を省くため、なかったことにする術を身につけた。

 

 

 ***

 

 

若い頃の私は、主人のこの被せて言ってくる論法が苦手だった。

主人の言葉に悲しむ或いは拗ねる表情で訴えても、さらに追い討ちをかけて、突っ込んでくる。私はすっぽり貝になる。

 

しかしある時、この主人の言動の意味がわかる時が来たのだった。

それは、私の人生にフラグが立った瞬間。

 

 

 ***

 

 

6年前、NHKのドキュメンタリーを見ていた時のこと。その夜は『新宿西口バス放火事件』の被害者の杉原さんという方のドキュメントでした。

 

 

 

www2.nhk.or.jp

 

 

杉原さんは事件のせいで、全身に80%の大火傷を負い、人生が狂ってしまう。自分の人生一体なんだったのかと言う問いに答えを求めて、NHKの協力のもと、他に生存された方の34年後を尋ねるべく、生存者を探されるのです。

 

やっと出会えたその方は杉原さんより10歳くらい若い女性で、杉原さんとの対談を受け入れられたのでした。対談の冒頭、その方の「私は全身に20%の火傷を負った」との説明から始まり、自分のことを話されました。

 

それを受けて、杉原さんが「20%ならまだよかったですね」と言われると、その女性の表情が明らかに変化しました。さらに「私は80%だったので、、、、」と女性を励ますように続けて話すうちに、女性の表情に怒りが表れ、部屋を出てしまわれました。ディレクターが慌てて後を追い、話を聞くと「誰であろうと、私の苦しみを、“ましだ“などと言われたくない」とだけ言い残して帰って行かれたのでした。

 

 

 

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人の傷みに寄り添うことは本当に難しいです。

事件のお二人が、逆に、女性が杉原さんに対して「私よりもっと辛い思いをされたのに、私は何も言えない」と思ってしまわれるのも違うわけで。

 

 

***

 

 

でも、このような究極な状況でなくても、人間関係の中には、自分の気持ちと相手の気持ちと天秤にかけて辛くなってしまうことはある。

 

哀しみの感情は、量れるものではない。

そのフィルターを外してみる。

私のような感情に持っていかれやすい人間は、尚更、自己憐憫に陥ることなく、相手を憐れむでもなく、事実を見なければいけない。一旦相手の投げたボールはキャッチする。その強さが優しさなのかもしれない。

 

 

 ***

 

さて、私達夫婦の話に戻して。

主人は、危なっかしい私をいつも心配してくれている。けれど、私はそれをそうと受け止める強さがなかった。予想外にしょぼくれる私を見て、主人はさらに納得させようとする。さらに私は萎縮してみせる。俯瞰してみたなら、そんなところだろうか。

 

ある人が、夫婦は前世の仇で、今生で、関係を修復するために結ばれるのだと言っていた。

まるでタイプの違う主人を理解することが、私の人生の学びであったことは間違いない。

 

 

 

 

私の娘の話

 

 

 

今日、娘が結婚記念の写真を撮る。

入籍は昨年11月で、コロナもあり、両家両親と2人の6人で食事をして祝った。

 

今日の撮影会も、コロナで2人以外はお断りとのこと。

 

***

 

娘がまだ3歳の頃の印象的な一コマがある。

 

主人、息子、4人でファミレスで日曜日のモーニングを食べに行った時のこと。

私と息子が隣り合い、主人と娘が向かいの席に座った。

主人は若い頃、短気だった。渋滞とか列並びとか大嫌い。お出かけしても、橋の手前などで流れが悪くなり迂回のきかない橋の上でピタリと流れが止まったりすると、車内に重苦しい空気が漂ったものだ。日曜朝のファミレスやハンバーガー屋さんもそのリスクが高い。

 

その日曜日も、やっと席に通された時には、主人は“日曜の楽しい朝食“的な雰囲気ではなくなっている。本人はそんなつもりはないだろうけど、3歳と5歳の兄妹は空気を読んでいる。

主人のボヤキに、私が「でもさー」と言いかけた瞬間、若くて大きな主人の隣でちょこんと座っていた3歳児が、向かいの席の私に強い視線をよこす。

そして、主人の体に隠れるようにしながら、私に合図を送る。唇の前に人差し指を立てている。

 

『反論しないで』『ここはそっとしとけ』『それ火に油だぞ』『自然鎮火を待て』

 

3歳にして恐るべき司令塔。

それ以降、50年余り、娘は主人語とわたし語の通訳師であった。

私は真っ直ぐからしか見れないので、大好きな旦那さんが、私と違う角度から物事を見ているとは思ってもいない。そこを、娘がいつも通訳してくれた。

 

 

***

 

娘は、いつも周囲のために、最適解を必死に探す性分がある。

なので、周囲から信頼も得るし愛される。そして、頂いた信頼を裏切ることはできない。

自分の身体の反応は騙してでも、最適解に向けて努力をする。

 

天然な私は「好きか嫌いかで選べば良いんだよ」と言い続けたが、そのように反応しない、できないから、娘の戦いがあったのだと思う。また、簡単にそう言い切ってくる母親に、複雑で追いつかない感情があったのかもしれない。

 

娘は、きっと、初めて、「好きか嫌い」で、彼を選んだ、選ぶことができた。

彼とともに歩む中で、「頑張ってるよね自分、みんなのために」って最適解を求めて努力し続ける自分の性分を、めっちゃ好きになれると祈っている。

親が与えられるものと、彼が与えてくれるものは、違うからね。

 

***

 

『相手の視野から物事を見る』のが信念の娘。3歳の頃から、周りをキョロキョロ気にしながら顔のパーツを真ん中に寄せて、何か一生懸命考えてるような仕草は、そのためだったのかな。

 

天然な私はいつも、言い切って喋ってたけれど、あなたの思考に寄り添って理解することが、何よりあなたへの感謝の、お返しですね。

 

 

キレイな花嫁姿の写真待ってますよ。

 

 

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はてなブログの“はてな” は 人生の“はてな“

 

 

4月1日。私がブログを始めて3ヶ月。

 

キリのいいところで、アイコンを変えようと思い、1日になったので変更しようとするのだけれど、プロフィール画像を変えても、他のアイコンが一緒に変わってくれない。

 

焦って検索してみた。

ドンピシャの検索結果で、無事変更完了した。本当にお陰様です。それはブロガーさんの2年前の記事だったけど、感謝の意を伝えたく、ログインして訪問して、スターを5つ残させていただいた。

 

その作業に胸を撫で下ろし、そうか、「はてなブログ」ってはてなに答えてくれるから、はてなブログだったんだ!と興奮冷めやらず、一人で感心したものの、それが正解かは知らない。

 

思えば、ブログをやるようになって、60歳にして初めてネット検索のカラクリがわかった。

タブレットを持ち歩くようになった頃の私は、自販機の中に人がいるのでは?と疑うヤツは今時アマゾンの奥地まで探してもおらんだろうが、しかしそれに近かった。

 

具体的にどう思っていた訳ではないけど、すごいものだねーとは思っていた。少なくとも、知って検索している人とは、シリコンバレーとアマゾン熱帯雨林の差くらいあったと思う。

 

家族で高速道路を、夜走っていた時、義母が「このクルクル回っているものは何かね」と分離帯を指して言った。

待っててねー、と言わんばかりに、すぐさまタブレットを開けて、「ラミパスラミパスルルルルルー、高速道路で回っているものは何?」と聞いた。出てくるじゃん。「お母さん、それはですねー」と自分で言って酔いしれている。

 

もう止まらない。「いもとようこの顔が今日腫れて見えるんだけど?」と尋ねると、やまびこ程の即レスで、尚且つオウム返しじゃない。「それは、歯痛のせいです」。「今日MCさんがチェンジしてるのは何故?」とか。

茶店の暇人のトークの傍に置いておけば、即話題完結でトークが弾まなくなってしまう。

 

 

それくらい、ネット検索を神格化していたので、ブログを始めて、何か検索した時、私が読者登録をしている人の記事だったときは、びっくり仰天。自分がついにあのネット検索の世界に、足の小指だけ入った偉業を遂げた気がした。

 

 

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はてなブログを始めてから、私の胸に何回はてなが点灯しただろう。

ブログは承認欲求なのか、スターや読者登録して頂くため、ウケる記事が書きたいのか、逆にブログで誰かのお役に立つスキルが私に何かあるのか。。。まあ同じ問いを周期的に繰り返すスランプ周期がある。

 

 

でも、今日思ったんだ。それも はてなブログの、はてな なんじゃないかって。

永遠に問い続ける。何故ブログを書くのか。

心が身体が、書くことを求めるのは、間違いない。では、何故?

 

流石に、これはネット検索で出てくる答えが正解ではないし、ブロガーの数だけの回答があるんだろう。

 

人である以上、正解のない問いを考え続けることは、生きる醍醐味だ。

ネット検索の即レスでは味わえない、さまざまな感情が滲み出てくる。

 

時には、泣きたくなるくらい苦しいかもしれないし、途方に暮れるかもしれない。

でも、答えのない はてな こそが人を成長させてくれることには間違いはない。

 

 

 

井戸端会議みたいに取り留めなく。。。

 

 

井戸端会議って死語ですか?あっ、死語って、死語ですか?還暦人は、令和の言葉辞書を小脇に抱えて歩かねば、と感じることがあります。

 

今日はすっかり春めいて気分がいいので、井戸端会議で。

 

 

議題 その1     〜 駅ピアノ〜

私の街の駅に、駅ピアノが設置された。

これは、地元のライオンズの活動の一環として、期間限定で置かれている。今日も弾きたい人達が列を作って順番を待っていた。

 

私はピアノの音色が大好き。

NHKで時々放送される、「駅ピアノ」「空港ピアノ」も大好きで、全て録画して何度も見ている。演奏の上手い下手じゃなく、演奏に人生が滲み出ているのがいい感じ。私の街の演奏者の皆さんは、楽譜を持参して腕試しをされてるみたい。私がブログでアウトプットしてるのと同じかな。それもいいですよね。テレビの演奏者の人は、すっと来て、すっと座って、さりげなく演奏が始まる。おしゃれだなーって思う。さまざまな形のコラボもあったりして、さすが、ビートルズやバッハが育った国々だなーと感心する。

因みに演奏が上手な人は、IT関係とか技術職の人に多い気がする。

 

 

議題 その2   〜桜〜

日本人が桜を語れば、人の数だけ物語がありますよね。

1〜2ヶ月前に、ウチの近所で一番の綺麗で風格のある桜の大樹が、突然消えてしまった。その桜が立っていたのは、主人がやっているガソリンスタンドのお向かいだったので、主人に行方を尋ねると、「2〜3日前に、重機が入ってあっという間になくなったらしい」「じゃ、植え替えられたんだね」「いや、ベシベシっと潰していったらしいよ」えーーーー、そんな酷いことを。。。人間って。。。と思った時、重機を運転していた人も嫌な仕事だったろうとお察しした。

 

 

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議題 その3   〜落ち込み〜

昨日、気分が沈んでいた。ブログに書いて吐き出したいのだけれど、原因が自分自身のブログにある時は、素直に吐き出せない。

何か例えるなら、トランプで塔を作るとする。慎重に丁寧に大事に積み重ねて、やっとのことで数段積み重ねることができた。でも、ちょっとしたことで、崩れて、それまでの作業がパーになる。気分によっては、いやいや、負けるか、もう一度、と思えるのだけれど、昨夜の気分は、えーーーい、って全部崩して背を向けたくなる感じだった。

 

そんな時、ウーロンさんの記事を読んだ。潔いまでに吐き出してらっしゃる。むしろ、読み手や自分自身を心底で信じてないとできないと、読みながら拍手を送った。おかげで、ウーロンさんのコメント欄に、勝手に自分の落ち込みを吐き出させていただいた。気取ってない人だと思うから、できた。ブログの仲間っていいよね、と思った。

 

 

議題 その4  〜アイコン変えます〜

4月からアイコンを変えようと思います。“平凡な日々が幸せ“のそらさんの記事を参考にさせて頂き実行できた。昨日、依頼していた作家さんから作品が届いた。私の似顔絵とテネボキャラを融合させてくださった。気恥ずかしいけど、心機一転、このキャラで天然ボケ全開で行きたい!

よろしくお願いします。

 

 

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日本海と出雲の姫

 

 

部屋の外は、闇。

 

ベランダに出ると、暗闇の中に波の音がゴーっと響いて白波が立つ。水平線が月明かりに浮かんでいる。どこからともなく白波が生まれ、こちらへ向かってくる。一人で誰もいない夜の日本海と向き合う。吸い込まれそう。だけど不思議と恐くはない。ザー、ゴーという音を立てては大きく強くなって近づいてくる白波に、「かかってこい!」と心の中で身構える。けれど波打ち際で消えて無くなる。その繰り返し。不気味な高揚感に頭の中が熱くなる。

 

日本海は静かに、私にパワーを与えてくれる。

 

 

やっと、島根の両親に会いに来れた。今夜は実家には泊まらず、日本海の海岸に立つ宿をとって一人で居る。腎臓にガンを持っている父を疲れさすことはできないので、様子を見ながら1日過ごした。母は、(これが最後になるかもしれない)とコロナも心配だけど、私に会って欲しいと思ったらしい。実家を離れて40年、実家の玄関のドアを開けるのに、こんなにドキドキしたことはない。私が見たことのない痩せ細った父を見ることになったらどうしよう。

 

恐る恐る開けて入ると、やはりただならぬ邪気を感じる。私はお嫁さんをして“シックスセンスのもち主“と言わしめている。いわゆる空気を読むのは苦手だけど、こっちの空気は読めてしまって困る時がある。喫茶店でもホテルでも、味やサービスの良し悪しの前に、磁場の良し悪しが私のセンサーに触れてくる。私が喫茶店やホテルに入って、急にテンションが上がっている時は、磁場が良い証拠だ。レビューに書いてあげたい。「磁場が良い」と。

 

邪気の気配いは当たっていた。玄関にお迎えはなく、(1年ぶりの娘の里帰り、往復3万円、宿代別途だと言うのに)そのまま台所に向かうと、腹が減りすぎて、生き血を吸われたようにげっそりとした白髪ボサボサの老夫婦が黙って座っている。そして「腹減ったー。寿司はまだかー。」と第一声。確かに、寿司を買って行くとは言ったけど。

 

寿司と桜餅のお土産を、ぺろっと平らげると、やっとトーク炸裂。お医者さんへの不満、ヘルパーさんへの愚痴。コロナへの不安。。。それ以上聞かすな父。あんたは全く大丈夫だ!シックスセンスの私が太鼓判を押す。出雲の姫の方が説得力あるかな。

 

来て良かったよ。安心した。吐き出すだけ吐き出すと、前向き発言が出てきた。代替療法でまだ頑張りたい、と。呼吸、瞑想、食事療法、自分なりに試してみたいと。

 

桜がきれいだった。高台にある実家から見下ろすと、小学校の庭には満開の桜。集落を囲む山々にも自然の桜が咲きほこっている。それをバックに、毎回恒例の両親の記念撮影をした。

 

ここは間違いなく磁場がいい。

 

 

日本海は、いつも私にパワーをくれる。

25年前、この学習塾を始める前、前職の右脳開発の幼児教室の仕事にストレスを感じ、疲れ果て、故郷に帰りこの海の前に立った。水平線が視界一杯に広がり切れることがない。どこまでもキラキラした凪の海。「好きなように生きなさい」と背中を押してくれた海。磯の香りを胸いっぱい吸い込んで、私は心を決めたのだった。

 

一歩を踏み出そうと。

 

 

 

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朝のベランダから


 

 

『手が届く』幸せ

 

 

今日ブログがかけるように、昨日、一昨日と頑張って仕事を進めた。仕事しながら考えた今日のメニューは。。。

肩がバシバシに凝っているお向かいのアパートのマッサージの先生に施術してほしい彼は視覚障害がある→彼のシックスセンスエピソードがショッキング視覚障害といえば中2の英語の教材にユニバーサルデザインついて書かれているユニバーサルデザインといえば、私ちょっとトリビアあるんだぁ→教科書といえば、この春の教科書改訂、えっらいことになってるおしまい。

 

という筋書きを描いた。今朝になり、いつものようにまず珈琲飲みながらブログ探検を始めた。なんせ、今までブログはもちろん、ネットニュースとかFacebook とかの発信に触れたことがない。洗練されて、カッコイイ記事が色々あることを知る。マイ文明開化。

 

なんか、待てよ、と思ってしまった。

肩がバシバシに凝ってんのは事実だからよし。でも、ユニバーサルデザインとか、書くなら少しは調べなきゃなと思ったら、ちょっと面倒くさくなった。教科書改訂の件も、書き出したらキリないし。ある人が、ブログは自分が困ったことをどう解決したか、を書くのが基本と言っていた。解決できるのかなぁ、これ、とか思ってしまう。

 

ここで思考が行き詰まる。んじゃ何かけばいいの?

 

 結局、なんか私って、大波が来る心配のない入り江で、浮き袋でぷかぷか浮いて、のほほんとしているみたい。目線の遥か先には大海原が広がっていて、大きな船が見えている。大海原に出るには、装備が必要だ。その装備をコツコツ準備して、いつの日か航海に出るぞ!ってタイプじゃない。

 

 感覚的創造力とか言えばカッコがつくけど、要は小手先。自分の手の届く範囲内を出ようとしない。

 

『手の届く』は、私のこれまでの人生のキーワードだ。

 

私が子どもの頃憧れた暮らしがある。それは貸し漫画屋さんのおばあさんの暮らしだ。

島根の父は、一家で東京にいた頃、新聞社でジャーナリストの端くれだったことを活かして、実家の島根に帰って、ささやかな家族経営の新聞社を立ち上げた。その事務所を松江に借りていた。私達きょうだいは日曜日になると父の事務所で1日を過ごしたものだった。

 

その事務所のお隣が貸し漫画屋さんだった。兄、姉はわからないけど、私は、そんなに漫画は好きじゃなくて、それより、店主のおばあさんの暮らしぶりを、一日中でも覗いていたいくらいだった。店舗の奥に3畳くらいの畳の部屋があって、きちんと片付いて、全てのものが揃ってる(ように見える)。石油ストーブがあって、その上で食事の煮炊きをしている(ようにしか見えない)。じっとしてたらお客さんがお金置いていって、そしてなーんでもここでできる。

 

8歳くらいの私は、うっとりとその暮らしを眺めた。ズボラとは違う。自分だけの世界を構築しているおばあちゃん。そんな憧れ。

 

 

さて、大海原か、入り江か。2択でもないし、即決することでもない。

まあ、きっと私のことだから、そのうちこの入り江に腰を据えて、煮炊きできるストーブと、ハサミとか印鑑とか裁縫セットとか、一気に収納できるカラーボックスとか、ついでに据えちゃって、夕日が綺麗だなぁとか言ってんだろうな。

 

まあ、大海原に繋がる入り江までは出てきてことを良しとしよう。

 

いや、案外ユニバーサルデザインについて、ガッツリ調べて、考察、まとめ、みたいなクールな記事書き出すかもしれない。

そしたら、コイツ、装備し始めたか、と思っていただいて大丈夫です。

 

 

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みなさんに感謝。

 

20日の祝日から、3月いっぱい春休みをいただいている。

受験生を無事送り出し、年度の変わり目ということで、恒例の長期休みだ。

 

例年だと、この長いお休みを無駄に過ごしたら後悔するぞという強迫観念に追い込まれ、毎日何かしなきゃ、とワタワタする。

 

今の私にはブログがある。楽しい。ハマりすぎだ。マズイぞという後ろめたさもある。皆さんの記事を読んだり、自分のを読み返して反省会をしてると、あっという間に時計の長い針が回る。ヘタをすると、この長期休みずっとこれやってるんじゃないか。小学生の夏休みで言うなら、8月3日あたりの登校日の前夜の、「えー、もう8月!でも、まだ3日だし。」というところだろうか。

 

実際、今日の予定は4月の授業計画を作る日、と数日前から決めていた。とりあえず、朝食のパンを食べて、んじゃ珈琲のもっか、って。じゃ飲む間だけ、とブログ探険を始めた。いや、天気もいいし、リアル散歩に行くべき、と白自分が促すのに、黒自分が私の指をタブレットの画面に運んでしまう。

 

そういえば、数年前のお正月。主人と大喧嘩をした。原因は主人のゲーム熱。私は、正義か否かが、人として最重要事項と思っていた。ゲームを知らない私には、ゲームは非正義!とにかく堕落していると映る。誰より身近で、大事な、私の旦那さんがゲームばかりしているのが悲しくてしょうがない。普段より時間のある正月休みになると、なんか口喧嘩になっちゃってた。その年は凄まじかった。その論理の筋は、はっきり覚えていないけど、「私にはゲームばかりのあなたが理解できない。まるでピンク色のスーツを喜んで着ている人のように、私の価値観から遠い。」みたいなことを言ったら、主人が「わかった、どちらか選べと言うのならおまえしかない。」的なことを言って、いきなり玄関へ行ってスマホをコンクリに叩きつけ「でも、俺は心の中で、ずっとピンクのスーツを捨てることはできないからな。」みたいなことを言った。ピンク愛好家の方には申し訳ありません。林家ペーパー子さん。そうして、その年の夫婦喧嘩劇場ースマホゲーム編ーは子ども達の連携で、父にスマホとゲームの継続設定がプレゼントされて幕を下ろした。

 

今、二人で黙々とタブレット向かっちゃっています。主人も、しめしめと思ってるかもしれない。ゲームやりながら「今日のブログはどうだったぁ」とか、様子伺をしてくれる。やれやれ。20歳で出会って、大恋愛で結婚して、40年の歳月はお互いを空気のように居て当たり前の存在にしてくれるのですね。

 

 

今日は私の記念すべき?50本目の記事となりました。先輩方のブログを拝見しながら、自分のやりたいことを模索してみようと、今日はちょっと形式を変えて、チャレンジしてみました。また、英文法の記事もなんとか進めてみたいと、意欲を持っています。

 

こんなに楽しいのは、読んでくださる皆さんのおかげです。記事を公開して、しばらくすると、皆さんのスターが、「来ましたよ」と合図をくれる。もうアイコンでわかる方もあるし、あれどなただったかな、とアイコンにタップして、その方のブログに行って、そうでしたね、と。それを繰り返すうちに、アイコンとブログがマッチしていき、お友達が増える感じ。そこが何よりモチベーションになっている。

 

毎回読んでるよ、と言ってくれるお嫁さんと娘にも感謝。ありがとう。

 

今日も訪問してくださった皆さんに、心から感謝いたします。

ありがとうございます。

 

 

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私の仕事の糧 〜子ども達の成長〜

 

 

学習塾を始めて25年。

毎年この3月は、

卒業生が近況を知らせに来てくれる。

 

お寿司屋さんに行っても、焼肉屋さんに行っても

「あ、先生!」

と大学生になった子達が、

バイト先で私を見つけて声をかけてくれる。

 

スタバで注文を告げた時、

目の前の、綺麗なレジのお姉さんに

「先生!」と言われた時は

「どなたでしょうか。。。

全くわかりません、ヒント下さい。」

と言いそうだった。

 

まさに至福の瞬間だ。

大きく立派になってー。

 

***

 

 

子ども達の言葉は、

優しい言葉も、元気な言葉も、悲しい言葉も

清らかだ。

裏に計算がない。

 

 

***

 

A君は、中3の夏期講習から入った。

ダンスが好きで、成績は5段階の2もちらほらの

勉強嫌いだった。

 

しかし、彼も奇跡を起こした子の一人。

グングン伸びて、2だった教科が4になるという

急成長を複数教科でやってみせた。

 

短い期間だったけど、濃い時間が過ぎ、

彼は卒塾の時、手紙をくれた。

 

 

僕はこの塾に入る前までは

学校の先生達を好きではありませんでした。

でも先生に出会って

僕達にスーパー熱心に教えてくれる姿を見て

学校の先生達も、

自分が真面目に話を聞いたりしていないだけで

本当は、先生のように教えてくれているのではないかと思い

真面目に話とか聞いたら

学校の先生達も熱心に教えてくれていることに気づき

感謝することができました。

 

 彼は、夢を実現させて美容師をしている。

小さい頃から

美容室を営んでいる叔母さんの姿を見て

・年齢に関係なく、いつまでも向上心を持って

 成長し続けられる

 ・髪の毛だけじゃなく、愚痴やお話を聞いて

 お客さんに癒しを与えられる

からだと話してくれた。

 

まだ、シャンプーボーイだろうが

彼のシャンプーなら極上だろう。

 

 

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勉強できた子も、苦手だった子も

私の記憶の中では、それは個性に過ぎない。

 

 

 ***

 

学校の成績はボロボロで

ちっとも勉強せず、

なんか義理人情話であいつと言い合ったなぁ

彼は、夢を実現させて、

トヨタのテストドライバーをやっている。

 

ガンガン勉強して

大学の時英検1級とTOEIC870点をとった子は

ウチのバイトで修行して

高校の英語の先生になった。

 

 東京オリンピックで役に立てるようにと

土木関係で、全国飛び回っている子。

英語通訳でボランティア目指している子。

 

色々な個性が、生き方があることを

教えてもらう。

 

***

 

学校の成績が人生に重要なのか。

それは、樹木のようなものだと思う。

収穫物が成績ならば

土壌も肥料も水も、環境も含めて

大切だ。

それらに感謝し、育てた日々の苦労も

大切な宝物として

人生を支えてくれるのではないだろうか。