故郷を想う

 

 

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出雲大社近くの稲佐の浜で行われた神楽

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今日も1000文字ほど、お付き合い下さい。

 

 

私の故郷は島根県

出雲大社から車で40分ほどの山の中だ。

コロナで去年は帰れなかった。

 

私が暮らした村は

小学校を中心とした小さな集落があり、

その周りを低い山々が囲む。

実家は、その山の一つの高いところにある。

 

うちの反対側の山にも幾つか家があり、

子どもの頃は

その反対側の山の家の鶏が早朝から鳴いていた。

今はどうだろう。

うちからは、下の集落と、反対の西側の山にある家々、

とにかく遠くまで見える。

 

南側の山には

樹齢1300年のシイの巨木を有する神社があり、

東側の奥には神秘的な堤がある。

 

清らかな環境条件が揃って、私が子どもの頃、夏の蛍は素晴らしかった。

満天の星空と地上で光る蛍との境目がなく、まるで光のシンフォニー。

 

その美しさを言い表せるほどの言葉を持たなかった子どもの私は、ただただじっとその光景を見渡していた。

 

我が家は、小さな家だ。L字型で。

昔、

親戚のおじさんが訪問して来て庭先に立っていると、

両親が「どうぞ、どうぞ、上がって下さい、どうぞ」

と遠方からの訪問に恐縮して言うと、

 

おじさんは

「いや、そんなに奥へ勧められても、反対の外へ出てしまうよ」と、

昭和一桁人間のエッジの効いたギャグを放っていた。

 

でも、そのささやかな家は、自然の懐に包まれて、

いつも心地よい風が通り抜けていた。

 

 

その家の二階の窓こそ、

このブログ「この窓」の原点だ。

 

思春期、学校に疲れると、その窓を頭にして大の字になって寝転がる。

「あーぁー」と、窓を見上げると、窓枠に切り取られた真っ青な空

「なんだよ、、、、」

 

 

その窓は、知る人しか知らない例えだけど、

「おかみさん、時間ですよ」で

美代ちゃんがギターを弾いて歌っていた窓のイメージ。

 

思春期の私も歌った。

マイクをつけて、スピーカーを外に向けて、熱唱した。

外には、ゆうげの支度をする集落が見える。

 

家々から、お風呂を沸かす煙が、

真っ直ぐに上がっていく。

真っ直ぐに上がっていく煙が、そこここに。

 

そこに暮らしがある。ささやかで日々変わらない。

 

私はひとしきり熱唱すると、

必ず「今日はありがとう、最後の曲です」と締める。

誰にも聞こえてなくて、

家族が仕方なくほっておいてくれてるだけなのに。

 

 

 

私が、本当に本当に欲しいものは、お金では買えない。

あの光のシンフォニーをまた見てみたい。

あの真っ直ぐに上がっていく煙が、夕方を告げる景色。

 

親になって想うけど、

コンサートごっこをする娘の歌声も、

親からすればお金では買えないものだったかもしれな

い。

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございます。