字のないはがき

 

 

 

この絵本はすでにご存知の方も多いのでしょうか。

私は先日、孫とライン電話をする時に、何か読んでやれる絵本がないかと物色している時に見つけました。

 

「なにこの豪華なオールスター絵本!」表紙でびっくり。

内容にもグッときて、即家に買って帰りました。

 

 

 

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戦争が激しくなって疎開していく子ども達。

4人きょうだいの末の妹も、食べるものも手に入らなくなり、とうとう疎開させるしかなくなりました。まだ幼く字の書けない妹に、父はたくさんの葉書を用意し、全てに自宅の宛名を書いて渡します。「元気な日には、葉書に◯を書いてポストに入れなさい」と。

初めての葉書こそ大きな大きな赤鉛筆の◯だったのですが、次の日から急に黒鉛筆の小さな◯になり、日毎に◯は小さくなります。そして遂には✖️になり、やがて✖️のハガキも来なくなってしまいます。

 

 

この後、家族の小さな妹へ向けた愛のお話になっていきます。

 

***

 

この3人の作家についてあげるなら、私なら、西加奈子の『サラバ』になる。彼女のほぼ自伝で、5年を費やしたとあったと記憶する。登場人物に善人も悪人もなく、全ての人物に憑依しているのではないかと思うほど、性格や生き様から生まれる人の感覚の違いを見事に語り分けている。

 

この人、こんなにいろいろな人間をわかって俯瞰できるなら、きっと悩みないだろうなぁと感心した。

 

***

 

小説が臨場感。一方、絵本というのは、小説とは目線が違う。

自分が登場人物達の織りなす世界を俯瞰している。

 

小さな妹の気持ちも辛く切ないし、家で心配する家族の気持ちも胸に突き刺さる。

 

妹に言ってあげたい。「みんな、毎日あなたのことばかり思っているんだよ。決して一人じゃないよ」って。絵本の世界観は、自分も入っていけそうなふんわりとした設定で、手を差し伸べられそうで届かないファンタジーだ。

 

 

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老いた私の父が、最近弱気になった時、ぽつりぽつりと母親(私の大好きだったおばあちゃん)のことを語っていた。そんなことは今までなかったので、電話越しに、ちょっと姿勢を正して耳を傾けた。

 

戦後、父親が病死し、母親は何事も自分は我慢し、自分たち子ども達のために生きてくれた人。と話す反面、ずっと心に引っかかる気持ちを持ち続けていたらしい。

 

自分は愛されていたのか。

亡くなる間際の父への言葉が『(脚の悪い姉)S子のことを頼む』だけだったと。

 

父も私と一緒だったんだ。なんだ、一緒だったんだ。

 

小説の世界のように、人の心を描写してもらえたらいい。

絵本の世界のように、人の心を、ふわふわ浮かぶ雲から眺めるように、手にとるように見えたらいい。

 

でも、そうはいかないから苦しい。

 

***

 

後日、父からおばあちゃんの生年月日を確認して、少しかじった占いでおばあちゃんを見てみた。

「おばあちゃんはね、海のように広くて、穏やかで、それでいて自由な心の人だったと思うよ。おばあちゃんの愛は、そんなおばちゃんの脚のことでいっぱいになっちゃうほど、小さくない。お父さんのこともいっぱい思ってたんだよ」

と、偉そうに言っちゃったら、父は納得したのか否か

「そうか」

と、ひとこと言った。

 

 

 

 

 

冬の夜のお弁当作り 〜その2〜

今週のお題「お弁当」

 

※その1  の続きです。

 良かったら、その1からお読み下さい。

 

気を取り直し、私とK先生はそこから急いでおかずを作って、無事全員に弁当を持たせた。

 

 

 

その夜。また私たち二人は調理場に集合し、つつがなく、粛々とおかずを作り終えたのだった。

問題は、ねずみ対策だ。その夜は、昨夜のザルだけでは不安だったので、これまた業務用のまな板 30cm✖️50cm 厚さ5cmをその上から乗せて、これでよしと解散した。

 

。。。。

翌朝、まさにデジャブのように。。。。ザルとおかずが飛び散っている。昨日と違うのはでっかいまな板が、どけられている、さらなる恐怖だ

 

 

 

その夜も、私たち二人はめげずにおかずを作って、ザルをした。そしてその夜は、まな板を一気に3枚乗せる事にした。

  

しかし。。。。

私達は負けた。その得体の知れない、もはや小動物と言えるのかもわからないねずみに。。。。

 翌朝もおかず達は無惨に飛び散っていた。まな板3枚と一緒に。

調理台に足跡を残して、ニヒヒとほくそ笑む、巨大な小動物

 

 

もう私達の手には負えないと思い、上司のO先生に一部始終を話して指示を仰いだ。

O先生は「よし、今夜俺が見張っておく」と言ってくださった。

 

***

 

翌朝、久しぶりに10人分のお弁当のおかずの平和が守られた。

 

O先生は、刑事物に出てくるときの舘ひろしみたいな笑みを浮かべて私たちに言った。

「犯人わかったで」

「えっ、まさか子どものいたずらですか?」

「いや、猫だった。排水のところにほんのちょっと打ちつけが壊れた箇所があって、そこから体を細〜くして入ってきよった。」

 

と言うことだった。

ドヤ顔で話す時のO先生は、少年のように嬉しそうで嫌いじゃなかった。

 

 

 

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あの頃、スポーツイベントとかあると、女子職員は夜明けとともに調理場集合で、大量におにぎりを作った。数時間前まで当日分の洗濯を終えて、仮眠程度に寝る。それが雨天順延とかつづくと、調理場では全員えへらえへらとつまらない事にも笑えてくる変な人になりながら、黙々とおにぎりを握った。

 

 

先日アマゾンプライム篠原涼子の『今日も嫌がらせ弁当』を見た。

年頃の子には、確かに口で会話するより、お腹、舌、かも知れない。

お弁当が、綺麗に空になって戻ってきたら、顔でふてくされてても、今日もオールオッケーの返事なのかも知れない。

 

 

私は、まさにヤンキー男の子ばかり相手にしていたので、何も言わなくても、外で一緒におにぎりをガツガツ食べる姿は、母代わり冥利に尽きると言うものだった。

 

***

 

読者様のM様、子ども達に美味しい弁当作るんだぞ、なんちゃって。

 

 

冬の夜のお弁当作り 〜その1〜

今週のお題「お弁当」

 

 

私は、20代の10年間を児童養護施設で過ごした。職員として、50人の子ども達と寝食を共にした。

 

もう40年も前のことになる。その時の可愛い娘(?)が、50歳近くなってこのブログに読者登録して、読者様になってくれているので、彼女に、当時のお弁当作り秘話を、今だから明かしてみたいと思います。心して読むように。

 

 

***

 

 

今の児童養護施設は、もっと少人数制で、家庭的だと思うけど、当時は大所帯だった。

 

私は、中高生の男子6〜8人の担当だった。

食事に関しては、夏場は特に食中毒に気をつけなければいけない。冬場はそれでも、お弁当は前夜におかずだけ作って置いておくことが許された。

 

毎晩、女子中高生担当の仲良しK先生とお弁当作りをする。

卵焼き、焼売、、、彩りよりボリュームだったかな。

 

8〜10人分、中皿に各人の分を盛り分けて、詰めるのは翌朝各人の仕事となる。

調理場は深夜冷え込むので、そのまま配膳台に並べて業務用のおーきなザルを被せておく。

 

ところがだ。。。。

翌朝、調理場に入ってみると、ザルが跳ね除けられ、卵焼きや焼売、、、全部食い散らかされている。。。。

ま、ま、まさかのねずみ!?私は、小動物にはトラウマがある。こ・わ・い

 

つづく

※ごめんなさい、書いてる途中で、保存ボタンと間違えて公開ボタンを押してしまいました。

 続けて書きます💦

 

 

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恵みの雨降るコンサート

 

 

私が、魂を清めたいと思う時、ピアニスト川上ミネを聴く。

 

川上ミネのピアノの音は難しい音ではなく、ソフトで聴き易く理屈などない。

なのに、脳の奥底のスピリチャルな『魂』というところまで届いていく。

 

いっそ大泣きしてフラットになろうというときは、スタバでイヤホンで聴いても泣けてくる。

 

それは、彼女の活動が、単なる音楽活動にとどまらず、ピアノの音を通じて霊的な見えない尊いものに繋がろうとしているからなのか。

 

***

 

私が初めて川上ミネのコンサートに行ったのは、娘からのサプライズプレゼントだった。

当時スペイン在住だった彼女が、2017年12月、東京サントリーホール ブルーローズでコンサートを開くことを知って、チケットをプレゼントしてくれた。

 

次はきっと一緒に行こうと娘を誘った。翌年2018年9月の奈良 春日大社でのコンサートで実現し、そこで二人して生涯忘れられない、不思議な感覚を味わうことになる。

 

 

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春日大社創建1250記念

『発掘された千年のオカリナとピアノ』〜春日の神々とアンデスの神々に奉納する演奏会〜

とタイトルにあるように、オカリナ奏者フェルナンド・フランコとの共演だった。

 

控室から順次神主の先導のもと、春日大社林檎の庭に移動し、着席後に各人万灯籠に火を灯しお詣りをする。神聖な気持ちが盛り上がるうえ、暮れていく夕闇の中に美しく仄かな炎がいくつも揺れる。幻想的な気分にもなっていく。

 

 

***

 

 

しかし、楽しみな気分とは裏腹に。

出発前から、台風の接近が予報されており、主催者サイドに開催の有無を問い合わせなければならない事態だった。

風はあるものの雨はもっていた。

 

でも、屋根だけの社で、風が冷たく感じる。

悪いことに、日没とともに雨も降り出した。

 

寒さが気になる。「しまったなぁ。コート必須だったなぁ。」と思いながら、辛うじて持っていたストールを身体に巻きつけることに必死だった。

そうして、最初の2曲、気もそぞろのうちに終わってしまった。

 

ところが。。。。3曲目

ミネさんが曲紹介の時に、こんなことを切り出す。

 

「私達(オカリナの人と)は、世界を回って演奏会をしていますが、必ず雨が降るんですよねー。私達演奏家にとって、雨は。。。

(大敵だと言うとしか思えない、が、、、)

。。。何よりの恵みなんですよね。

このリズム、この旋律、人の力ではかないません。」

 

試しにと、なんと会場の灯りを全て消すように主催者側に、突然ごめんなさいと加えて要望するのだ。

自分たちは、「自然の中で明かりのないところで演奏するなんて慣れている」と言って。

そして「雨と灯籠の光と、神さまを感じて聴いてほしい」と。

 

魂が揺さぶられる演奏に涙が溢れる。

不安の種だった風がすごく気持ち良くて、もっと涙が出る。

巻き付けるのに必死だったストールを緩めて、もっと風を楽しみたいと思った。

 

 

***

 

 

この先、私がもっと年老いて、思い通りにいかず不安や絶望に襲われることもあるだろう。

ストールをしっかり巻き付けるように、身体をこわばらせてしまうかもしれない。

そんな時、きっとこの感覚を思い出そう。

 

共に生きる。

風や雨をネガティブに受け止めるか、ミネさんに導いてもらったように、恵みと感じるのか。

しなやかに生きれば、なんでも楽しく感じることができる。

 

そんなことを学んだ夜だった。

 

 

 

 

子ども育ての話

 

昨日、アマゾンプライム有村架純の『かぞくいろ』を見て、時折泣きながら家事をしていた。

有村架純が25歳で、再婚相手の10歳の男の子の母になる。しかし夫が急死してしまい、残された二人は、九州の夫の実家を頼っていく。

 

血の繋がらない二人の描き方がいい。有村演じる晶という女性は懸命に少年 駿也の母になろうとする。

それを表現するのに、よくあるエピソードだけど、学校でちょっかいをかけられた駿也が、抵抗するうちに相手が怪我をしてしまい、晶が呼び出されるという場面。学校に慌てて駆け込んできた晶は、状況がわからないうちから、相手の母子に平謝りし、駿也にも「謝りなさい」と言う。当然駿也は反発する。

 

見ている方も、晶の若さゆえの歯痒さを感じるところだ。

でも、私はいいんじゃないのと感じた。

 

親は、多少わからずやで、嫌われても。。。教育論の正解の話ではなく。

たとえ無駄な壁でも、子どもが大人になった時、笑って「こんな親だった話」ができるくらいの存在感があっても。それを、愛してるからこそできるのが親なのだから。

 

うちの息子は、この手の話に事欠かない。

今となっては笑い話なほど、主人は厳しい父だった。

 

息子達、30半ば世代は、父が怖かった話で盛り上がれるようで。大学の時、ある友達は父親からの着信音を、貞子のテーマの『来る、きっと来る〜』にしていると笑った。

うちも、私が「お父さんに言うよ」と言うだけで、「それだけはご勘弁を〜」とアラーの神に祈るポーズをしたものだった。でも、反面ちびっこ集めてサッカーしたり、一緒に汗をかいて遊んでくれる父でもあった。

 

 

 

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私は、卒業後6年間、児童養護施設で働いていた。家庭の事情で両親と暮らせない児童を集めて生活を共にする、親代わりをする。

 

弱冠20歳そこそこで、中高生の母代わりはできるはずもないが、一生懸命だった。

有村架純の晶ではないけど。

 

私の一生懸命は“逃げないこと”。自分を全部ぶつけていた感じだ。

例えばだけど。。。

高校生の男子を担当していたときは、もういつも取っ組み合ってあざだらけ。ヤンキー高校生に容赦なく殴られて、「終わった」と思った時もある。睨み合いの末、顔に魔法瓶を投げられて、目の下にアザを作っていたことも。。。。みんな50歳近くのおじさんになってるよね。

 

“私は逃げない“、あなたと向き合ってる、を伝えたかった。

中高生の女子を担当していた頃のある夜、忘れられない言葉をかけられた。

 

「あんな、今日の昼休み、学校の屋上で友達みんなとふざけてたら、誰かが何か落としてん。そうしたら、それが盛り上がって、椅子落としてみよかってなって。やってみよ〜ってなった時、banchan先生の顔がぱっと浮かんだんや。あかん、それやったら、絶対先生怒る、と思って。みんなに、それはやめとこって止めたんやで」と。

 

報われたーと思った。ありがとう、ありがとう、と心の中で繰り返し、「よし、よし」と言っておいた。

 

***

 

学習塾でも、以前は常に真っ直ぐだけだった。

 ところが、子ども達は、震災や度重なる豪雨、さらにコロナ、と繊細になっている。大きな心の波風を起こすのは、逆効果と感じる。包み込んであげる関わり方をしなければ、と感じる。

 

今は、そういう時代なんだと思う。

 

 

 

 

永遠のテーマ『不安』

 

 

娘がまだ高校生の頃、よく家族で話題の映画を見に行った。

 

娘の高校生活=陸上 だった。

中長距離で全国へ行けなかった日の、あのラストランは動画のように脳裏に蘇るし、帰宅後の娘の涙にはいっぱい想いがこもっていて、それ以降の娘の人生のテーマになるのだった。

 

我が家の、名作映画の一つに、『ありがとう』がある。

 

 

ありがとう [DVD]

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  • 発売日: 2007/06/27
  • メディア: DVD
 

 

 

阪神淡路大震災で、家族の命以外全てを失った古市忠夫さんが、町の復興のため奔走する中、無事だった自家用車の中にゴルフバックを見つける。古市さんはそこから、還暦を前にプロゴルファーを目指す。

 

私は全編通して号泣だったが、隣に座っていた娘が、堪えきれないくらい泣いてるなと感じたシーンで、思わず娘の手を握った。

 

いよいよ数日間にわたるプロテストに臨む。マイペースで取り組む古市さんは、スコアを落として落胆している若者に声をかける。

 

「あなたは、今大きな穴に足を滑らせたと想像してごらんなさい。しかしかろうじて穴の淵に両手を掛けて助かっている。手を離したら穴の底に転落する。あなたは恐怖心でいっぱいだ。もう身動きが取れない。だったら、いっそその手を離して落ちてみなさい。案外底はそんなに深くないかもしれん。下まで落ちたら、もう一度這い上がってきたら良いじゃないか」

※古市さんは関西弁で、セリフ通り正確ではありません

 

どんなアスリートも、最後は自分の内面にある不安との闘いになる。期待されている。期待に応えられるのか。期待に応えられなかったらみんなはどう思うのか。

身動きのできないがんじがらめな不安との闘いなのだろう。

 

 

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私は、アスリートではないけれど、ブログをやって大切なことを教えてもらった。

 

つい最近の記事まで、私なりに、つけて頂くスターの数に一喜一憂し、読者さんの数が増えた、えー減った、と承認欲求の虜だった。頭ではわかっていても、凹む。

 

一方で、淡々と同じ時間に同じペースで記事を上げられる方や、逆に好きな時に好きなように書いて、読者数にこだわってないんだなぁという方に、すごいなぁとリスペクトはあった。

 

  

目の前に大きな川がある。私が、渡りたい気持ちは間違いない。見ると足場となる石がいくつもある。とりあえず目の前の石に慎重に片足の重心を掛けていく。ぐらつくようなら、別の石にする。たとえ時間がかかっても、渡りたいから、その作業を繰り返していく。決して目先の石にこだわらない。

 

 

ブログをやっていくって、この作業かな、とふと気づかせて頂いた。

数字を上げて頑張りたい人はその石に乗ればいい。交流を深めたい人はこっちの石。内容にこだわってスキルを上げたければこっちの石だ。

 

大事なことは、重心を掛けた時グラつくようなら、あっさりその石をやめれば良いということだ。

数字にこだわることが、私の心を不安定にした。

なのに、ぐらつきながら、その石にこだわっていた。広く見渡したら、大小色々石がある。

 

先輩ブロガーの皆さんとのやりとりや、記事を読ませていただきながら、いろんな石に足を掛けてみて、私が安定して、ブログをたのしめる方法を見つけられた。川を渡ることをたのしめそうだ。

 

 『〜でなければ』と、こだわってしまうと不安を煽ることになる

 

こっちもあるよって、手招きして下った先輩ブロガーのみなさんに心から感謝です。

 

 

 

さらけ出して伝える父の愛

 

 

今日も、島根の実家に電話をした。

老いた2人で暮らす両親に、遠方で暮らす私が出来るせめてもの親孝行と思って、1日おきに電話をかけることにしている。

 

 

3月末、仕事が長期休暇だったので、様子を見に帰った。

コロナのために1年ぶりとなった帰省は、良い結果をもたらした。

 

それまで父はすっかり弱気で、ネガティブなことばっかり言っていたのに、私が帰る頃には、復活の兆しを見せていた。疲れはしたが、一緒に出かけて、うどん定食をペロリと完食したことに自信を感じたようだった。

 

 

今日の電話では、声に力強さも戻っていた。

 

今日の電話は、私の方からも話したかった。

「今度は、こっちのお義母さんの様子が変で。このところ親戚が続けて亡くなられて、ショックで、鬱っぽいの。」

 

父は、そのことを切り出さなくても、最近の自分の変化を話そうと思っていたようだった。

「そげかー。ワシも腎臓癌がわかって、医者から余命3年宣告受けた時は、ナニクソ5年は生きてやるわ!と思ったけどな。

 

そのうち、免許も返納して、囲碁も行けなくなって、何の為に生きとるのか、何だかわからなくなるんだなー。

 

ほら、NHKで、チコちゃんとかいうのが出てきて言うがな『ボーッと生きてんじゃねーよ』って。

 

あれだがね。ボーッと目的も生き甲斐もなく生きてる人間ほど、死ぬことは怖いよ。」

 

数年前の父なら、ここから、では人はいかに死と向き合うべきか、哲学、仏教から宇宙の法則まで、自分が学んだ話を語るところだ。

 

でも、今日の父はこう続けた。

「いや、でもやっぱり死ぬのは怖いよ。

夜、頭でわかっても、朝になるともう忘れて、また怖い。

この間、お前を出雲駅に送ったがね。あんたは、左手を振って『さいなら』って言っとった。

ワシも、車の中から、手を振って『さいなら』って言った。聞こえんだろうが。

涙が出た。やっぱり死ぬのは怖いよ。」

 

そんな父がいとおしく、さらけ出して語ってくれる、何にも勝る教えだ。

 

 

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父と話すと、ホッとする。

 

2年前、私の耳鳴りが発症し、とても酷かった頃のこと。全ての音が半音下がって聴こえてきて雑音でしかなく、うるさくて頭が痛くなるのでイヤホンをつけて暮らしていた。

 

その日も、耳が辛くて悲しくて。親に泣きつきたくなった。

最初に出た母も、トンチンカンながらも心配してくれた。

でも、父に代わって声を聞いたら、涙ながらになってしまった。

父は、いきなり

「お釈迦さんが言いました。熱くなった金の菜箸を持つとするなら、熱いとわかって持つ人は、何も知らずに持つ人より火傷が軽い。

お前さんは自分のことがわかっているから大丈夫。

何もわかろうとせず、騒ぎ立てる人もおるからな」と。

 

それをきっかけに、いっぱい泣いたら少し楽になり、いっぱいぶちまけてもっと楽になった。

 

貧乏だったけど、愛して育ててもらった。

 

 

 

 

 

手をたずさえて

 

 

最近主人が忙しすぎて、身体が心配。

帰宅が連日日付を跨いでいる。

なのに、ご飯を食べたら、ひとしきりゲームをしなければいけないらしく、もう口出しもしないけど、明け方に就寝することがしばしばあるらしい。

 

「俺はショートスリーパーだから、4時間寝たら充分」と自信たっぷりの60歳。

確かに、身体について気になるのは花粉症くらいだ。

 

病気じゃないのに、病院で聞けないし、この不安を払拭するために、私は占ってもらうことにした。

 

占いに関して、私は当たる人か当たらない人か、逆に当てる自信がある。根拠のない自信は私の得意とするところ。

イオンの占いブースの前で、「よし、この人は良いぞ」と感じてお願いしたのは、四柱推命の占い師さんだった。四柱推命は勉強したことがあるけど、この方の鑑定方法はとても分かり易く、感動した。

 

それによると、主人は『身体はとてもタフだけど、ストレスを溜めやすいのでガス抜きが必要。120%で頑張らないと納得できない人。スピーチが上手。』

拍手喝采。ドンピシャです。主人のガス抜きゲームは、寝るより大事ということが、私の中でも納得なこととなった。

さらに、『運気の低迷期がない人』だそうだ。そりゃ年中忙しいはず。

 

そして、『お二人の相性は、とても良い』と言ってくださった。

実はそれは知っていた。自分で占った時も、奇跡的に良いらしかった。

 

私がこの家に嫁いで数年経った頃、全く何気なく、「そういえば、、」と聞かされた話がある。

 

主人が高校生の時のこと。

彼は修学旅行で出雲大社を訪れたそうだ。その旅行で、少年は自分への記念品など何も買わなかったのに、なぜか出雲大社のお札だけ買って帰った。家に持って帰ると、「縁結びの神様のお札なんか買って帰って、出雲みたいな遠いところからお嫁さん来ちゃったらどうするの」と家族にブーブー言われた。それを可哀想に思っておばあさんが、神棚に貼ってくれたとの話。

そのお札の力か否か、10年の時を経て、私が出雲の神社から嫁いできた。600キロの距離を跨いで。お互い初恋だった。私はこの地に、何か為すべきことがあって呼ばれたのか。

そのお札は、今でも煤けながらも、同じ場所にいらっしゃる。

 

 

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自分が生きている人生は、いつでも『我』を軸とした時間の流れだ。

 

本質的な『我』という軸は変わることはなくても、まとっている要素が時に『我』を後押ししてくれたり、あしかせになったりする。それが運気というものか。

 

***

 

人生って長い長い列車旅のように思うことがある。

一番後ろの車両が、赤ちゃん。二両目は10代。。。。

一番前の車両に移る時には、次には人生列車を降りる準備が必要だ。

 

年齢が上がるとともに、違う車両に移れば顔ぶれが変わる。価値観が変われば、求める人間関係のあり方が変わる。

車窓を流れる時代という景色は、どの車両からも どの世代からも 同じものなのだけれど、ワクワクや、不安や、達観した感じ。それぞれに違う。

 

今私は、前から何番目の車両にいるのかな。やりたいことをやってこれたし、主人と手を携えて残りの旅を楽しめるように、健康でいなければ。

 

 

 

上を向いて歩こう

 

 

昨日水曜日は鍼治療の日。きちんと通っていると、自律神経系の症状が楽になる。

 

きちんと通えているには、もう一つ理由がある。

先生ととても話が合う。71歳男性。もう心の中で『マブダチ』『鍼友』とお呼びしている。

 

先生は、卒業後しばらくはヤマハのバイクの営業をされていたのだけれど、その後一念発起して、プロの競輪選手になられ、日本全国で活躍されたそうだ。ブイブイ言わせていた時期。しかし、大きな転倒事故をきっかけに、鍼灸を学んで開業へ。

 

先生に施術してもらいながら、よく涙を流してしまう。自分とよく似た人だから、無理なく私を肯定してくれるし、似ているからこそお世辞は言えない人とわかっているので、信じて寄りかかれる。人付き合いが苦手な私には貴重な存在だ。

 

 

「banchan、『上を向いて歩こう』ですよ。

松山英樹、パシッとね。上を見て進んだんですよ。下を見ていては、天のパワーを受けられないからね。」

 

と話してくださった。なるほど。

 

池江璃花子さんね。インタビューが良かったね。『努力は裏切らない

でも、他のライバル達も努力したんだろうからね。1日24時間しかないのは、皆平等だから。努力だけじゃなかったんだね。」

 

この先週のお言葉と、今週のお言葉をすり合わせると

一生懸命努力して、上を向いて歩く人 が強いと言うことだ。

 

間違いない。自分もそうありたい。

 

 

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上を向いて歩こう

涙がこぼれないように

思い出す 春の日

一人ぽっちの夜

 

ポジティブなタイトルに、なんと哀愁を誘う歌詞だろう。その気分の時ならイチコロで泣けてしまう。

松山英樹じゃないけど、坂本九さんはこの歌でアメリビルボード誌で、100週間1位と言う快挙を遂げたという。

 

 

 

昭和の歌には、何か力があると思う。

ありふれた言葉だけど、そうそう簡単に擦り切れてしまわない。

 

それは、私たちが言葉を感じることができたからだろうか。

 

雪がシンシンと降る   

 

絶妙な言葉だ。

子どもの頃、冷え込んだ夜のあくる朝、一面の銀世界になっているのを経験している。

 

 

うさぎ追いし かの山

小鮒釣りし かの川

夢は今も巡りて

忘れがたき故郷

 

 

まさに、子ども頃、自然に囲まれて野武士のように山の中を探検した日々が蘇ってくる。

歌詞の奥に、懐かしさや温かさとともに映像が浮かんでくる。

 

言葉を感じることができる。

 

 

 

鍼の先生がこうも言っていた。

「若い人にね、『そんな贅沢だよ、世界には貧困にあえぐ子ども達がいっぱいいるんだよ』というと『見たことあるけど、わからない』と悪気なく言うんだよ。」

 

ネットを使えば、世界のリアルを見ることができる。

 

昭和の私達は、想像するしかなかった。

新聞や本、文字を通して、言葉を通して理解しようと懸命に感じていた時代なのかもしれない。

 

 

 

 

 

お友達へ

 

 

※この記事は、あるお友達のために書きます。

 

私は、HSPという言葉を知る前まで、自分のことがわからないことがいっぱいありました。

  • お友達、という距離感が苦手
  • 茶店など、一人でいる時に、お隣の人達の会話の内容まで聴こえなくても、なんとなくネガティブな邪気(悪口のような)を感じることがあり、耳を塞ぎたくなる
  • やたらと、見ず知らずの人のちょっとした非倫理的な行いに、反応してしまう。(私はこれを『ついパトロールしてしまう』と言います)
  • テレビの暴力的なシーンが、とても苦手
  • 枕が変わると、一睡もできないことがほとんど

など、などです。

 

人付き合いが苦手、といつまでも避けていてはいけないと奮起して、家族が止めても「いや、私は頑張る」と同窓会に申し込んだのですが、送ってくれる車が会場に近づくと、心拍数が上がり「行けないよー」と泣き出す55歳。大袈裟なようですが、本気なんです。

 

この例でもわかるように、私は、脳的にロックオンしてしまいやすい傾向にあると思います。

過去の経験から、ねずみが怖いのですが、そう言ったこともトラウマになりやすい。

山に登る時のリフトも、2度と乗れない恐怖心があるのですが、意識ではどうしようもありません。脳的にやられてしまっている、というのを自分で感じます。

 

家族も、そんな私のタブーは、よくわかってくれていました。

家に友達を呼ぶと、母がめっちゃ疲れる、とか。

でも、なぜそうなのかは、私がわからないのだから、家族も、『我が家の御法度 ◯箇条』のように、ただただしないように心がけて協力してくれてました。

 

 もちろんHSPとは、関係ないこともあると思います。

ただ、これらの自分の特性のほとんどを好きじゃなかったので、理由があったんだとわかった時、ほっとしました。私のこれまでの人生のモチベーションは、なぜ自分がこうなのかを知ること、探究心にあったと思います。

なので、逆にそうだったんだとほっとしてからは、自分探しの旅が一段落した感じでした。

 

 

***

 

この性分は、父譲りの一面があり、父は昭和6年生まれ。HSPのパイオニアですかね😅

父は、私に、「お前は、我が強いんだな」と言ったことがあります。

我=われ、ある意味自律神経が立ちやすいということのようです。

父も、人知れず悩んだようで、呼吸法や瞑想、気功、など自学でトレーニングしていました。

 

 

 

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私は、主人と学生の時からの恋愛結婚だったのですが、主人を理解することが私の人生勉強だったと言えると思います。

 

自分は間違っていると思いながら、相手に言動をぶつけることは誰もしないわけで。

まして私は、良い悪いは別にして、正義であることが大切だったので、自分の見方を疑ってみることができませんでした。

 

大好きなはずなのに、なぜ衝突して悲しまなきゃいけないのか。

それを考えることは、主人を理解することであり、また、主人に映る自分を知ることだったのです。

 

 

この例え話は有名ですが

象の身体の各所に、象を見たことのない数人の人たちを配置して、目で見ることなしに、触っただけで、その生き物がどのような生き物か説明させたのです。

ある人は「丸太の木のようだ」と言い

ある人は「長いへびのよう」

ある人は「大きな葉っぱのよう」  ※〜のようの例えは正確ではありません

 

 と、それぞれに言い張るのです。見る角度が違うだけで、誰も嘘は言っていません。

相手の意見の良し悪しを判断せず、意見をすり合わせればいいのですね。

 

 

 

私が主人と衝突して、落ち込んだ様子を見せると

「ほら、すぐそうやって俺を責める」と言われなければいけない理由に辿り着くだけで長い年月がかかりました。

 

私の落ち込み=主人の怒り 感情の表出の仕方が違うだけだったのです。ざわつく気持ちは一緒だったのです。

悲しみも怒りも出どころは同じ、脳の扁桃体。肉食獣が前方に見えて不安を感じた時、物陰に隠れるか、おりゃーって戦闘モードに入るか、のような。

 

 

***

 

 

結局、正解も不正解もなく、お互いが、そのままを受け入れるということだと思います。

今すぐでなくてもいいです、常に必ずでなくてもいいと思います。色々なコンディションや環境によって頑張れたり、頑張れなかったりするので。ただ、この先の人生の時間をかけても相手のことを理解しようと思うのなら、それが愛だと思うのです。

 

 

 あくまで、我が家の例ですが、

お友達に届いて、少しでも心が楽になるお手伝いになれば、嬉しいです。

 

 

 追伸:そしてハグですよね😊