一期一会

  

今日出先の帰り道、立ち寄ろうと予定したカフェに、2軒もフラれた。予想より閉店が早かった。でも、珈琲がどうしても飲みたくて、一か八かで立ち寄った店が素晴らしかった。

 

大きな窓から、お城が見える。

店内は人が少なく落ち着いている。流れているBGMも心地よい。

主人のオーダー、チョコレートケーキは4層になっていて、一番下の生地にチョコフレークが使われている。サクサク。なのに上の3層はふわふわで甘すぎない。私は苺ミルフィーユをたのんだ。珈琲も美味しかったのに、コーヒーの存在を忘れて食べ進めてしまった。

 

幸せだ〜。

この店に導くために、2軒のカフェがフッテくれたのかな。

 

***

 

カフェの一期一会が、人生で何度かある。

 

島根の大根島にあるカフェ。高台にあり、中庭のテラス席から、小さな町が見渡せる。

“暮らし“を遠くに感じながら珈琲を飲む。

 

日本海の海岸に立つカフェ。全面ガラスで波の音が聞こえてきそう。

波の高さと同じ目線で、波を感じて珈琲を飲む。

 

どれも1度しか行ったことがない。また行きたいけど、同じ感動を味わえるかは分からない。

空の青さ、風の温度、自分の気分。。。そんなものが全部うまく揃ったこともあったのだろうから。

 

 

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一期一会、ウィキペディアで調べてみた。

 

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉。

 

ブログも一期一会だと感じる。

今回いろいろ読ませていただいた皆さんの記事で、そうだ、そう考えれば良いんだと思えてきた。

 

 

自分は、それなりに「よし!」と思って記事を出す。でも、思ったほどの反響がない。何が悪かったんだろうと、考えても答えのないことに気持ちを持っていかれる。

 

 結局、自分が書いたことが読み手のどなたかにフィットする内容であること。

そしてゆっくり読んでくださる時間的余裕があること。

受け止めてくださる気持ち的余裕があること。

それらが揃った時、はじめて記事は複数の人に本当に共有して頂ける。

 

一期一会だ。

一期一会的ブログ、私はそれを目指したい。

 

コメントに、愛がある内容だった、とお褒めの言葉をいただき、本当にありがたい。

そして、気づかせて頂いた、私が愛を感じることだからこそ私は書けるのかも、と。

 

私が無理に吐き出すのも違うし、皆さんに無理に振り向むいてもらおうと思うのも違う。

 皆さんに読んで頂きたくて、自分なりに右往左往してきた。それが違う。

 

一期一会なんだ。

 

珈琲を感動しながら味わえるのは、幸せなことだ。かと言って、「さあこれで感動して」と言いつつ出されても困る。

 

 

空の青さと、風の温度と、誰かの求めてくださる気持ちが揃った時、

私の記事が、ちょっと幸せな気持ちを届けることができたら

冥利に尽きる。

 

私のブログのスタンスはそれで良いのかな、と5ヶ月目に入り思うのです。

 

 

 

新しい朝がきた

 

 

主人と休みの朝恒例のスタバへ行った。

 

日曜日とはいえ毎週末一緒に過ごせるわけではない。

主人は本当に走り回ってる人だ。

 

何ヶ月に一度、今朝のようなひと時が訪れる。

二人で、力まずに、けれど普段は話さないようなお互いの想いを語り合う。

 

私は、自分の学習塾で行き詰まってることや、逆に考えが開けてきたことなんか、、、話し出して頷きながら聞いてもらえると泣けてくる。やっぱり一番の理解者でサポーターだから。

私は、よっぽどでなければ人に相談するのが苦手。でも、ふとこの流れになる日曜日の朝のひと時が好きだ。用意して作れる空気ではない。

 

 

今朝は主人の仕事の話だった。

 

主人は、親族で経営している会社を継いだ。おじいさんがカリスマ的人物だったそうで、一代で立ち上げ成功させた人だった。

「自分はそれを継ぐために育てられただけ」と若い頃から投げやりな感じで、私にこぼしていた。

その気持ちに寄り添うことはできても、埋めることができるのは私ではないと思って聞いていた。

 

会社の経営自体が難しい時代、長男ということで、やりたいことへの夢も見ないようにしてここまでやってきた主人の心のうちの、何十分の一でも私は知ってあげてるのだろうか。

 

苦労を口にせず、一人葛藤してきた主人の成長ぶりは尊敬に値する。

向いの席でコーヒーを飲む顔は、私の10年、20年よりずっと深く様々なことを刻んでいる。

 

 

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私達は、19歳の時障害児ボランティアのサークルで知り合った。

私の自転車で、二人乗りで活動へ出かける。

途中、交番があると、私がサッと降りて何くわぬ顔をしておまわりさんの前を通りすぎると、またちゃっかり乗る。

 

茶店に入るお金はない。タカラブネのシュークリームを買って帰って下宿で食べる。

晴れた日は、彼のYAMAHAのバイクで城巡りをする。私は背中にしがみついて走るが、それも結構疲れる。

そのうち一緒に暮らしだす。

お金はないし、風呂もない。銭湯で彼が待ちすぎて風邪をひかないように、出る前に咳2回を合図にする。

 

息ができずに死んじゃうかと思う程、二人で笑った。

お鍋をすれば、糸蒟蒻の取り合いで揉めた。

 

あの頃のことを思い出すと、8mmフイルムのように頭の中でカタカタと音を立てて、情景が流れていく。

 

***

 

40年前のあの貧乏な学生に、今の私達は決して想像できない。

 

お互いに自分の城を構えて、それなりに戦っている。

二人のかけがえのない子ども達を授かり懸命に育てた。

可愛い孫もできた。

 

 

主人の業種は、終わりの時代を迎えている。

主人は、前向きにこの先20年の会社のたたみ方のビジョンを、今朝私に語ってくれた。

力強く、そこには「継ぐためだけに育てられた」とこぼしていた青年の顔はない。「これが俺の使命」と語る姿はしっかり前を向いていた。

そして、「貴方が自立して仕事をしてくれてることは、いろいろな意味で俺の支えになっている」と言ってくれた時、本当に嬉しくて。

 

シュークリーム食べながら、屈託なく笑ってたあの2人の若者に伝えてやりたい。

 

新しい朝がきた 希望の朝だ

 と。。。。

 

言葉にできない

今週のお題「おうち時間2021」

 

 

せつない嘘をついては

言い訳をのみこんで

果たせぬあの頃の 夢はもう消えた

 

誰のせいでもない

自分が小さすぎるから

それが悔しくて 言葉にできない

       小田和正 『言葉にできない』

 

心の中に コップがある

コップの中 冷たくて清らかな水で満たされていれば 心は満たされている

 

日々 何かちょっとしたことにつまずく

すると 急にコップが大きくなる

水位が下がる

 

もっと注いで もっと注いで と声がする

渇いてるよ と水を求める

 

水って、どこにあるの? どうして減っちゃったの?

自分が 自分で コップを大きくしたくせに

 

***

 

今日の気分の降下に理由はなく

「疲れた顔してるね」と不意に言われたくないように

いっそ潜っておこうと思った

 

言葉にできない日だってある

でも、そこを出してみよう

あなたに会えて本当によかった  ブログにあえて本当によかった

と言えるように

 

 

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GW  もう1年も経つのだなと思う。

去年の今頃、就職ー子育てー塾経営、でいうなら40年ぶりの長期の休業となり、大切に過ごそうと思い、エクセルで1日のスケジュール兼日記を作って、その日読んだ本やYouTubeで学んだことを書き記した。

 

それを引っ張り出してみた。

 

2020年5月15日(金)

『からだの声を聞きなさい』

人間は、脳で400億ビットの情報を受けとっているが、潜在意識でフィルターにかけて2000ビットまで情報量を減らしている。そうでなければ、脳がオーバーヒートだ。

だから、起こること=気分 は自分が無意識に選んでいるわけだ。

 

この話、この間鍼の先生としたな。先生が先日ドライブしてて撮った花畑の画像を差し出して

「banchan、ほら綺麗な花でしょ。初めてみたわ。」

「先生、これ蓮華ですよ。子どもの頃なんか普通にそこら中にありましたよ。」

「女房にも言われた。びっくりされたよ。」

「先生、子どもの頃見てなかっただけですね。目に入ってなかった。」

「そう。この間、銀行の偉いさんが患者さんで見えて。銀行強盗が入ったら、窓口の女の子は犯人を見る箇所の担当が決まってる、って話された。人は見てるようで見れてないんだね。」

 

 

私たちは、いつも他者を裁いている。なぜなら他者に『期待』をしているから。

相手に「〜して欲しい」と思った瞬間に、すでに自分の価値観というフィルターを通して頭が相手や状況について判断をしている。◯✖️、善悪、幸不幸、正義不正義、、、

 

判断したらゲームオーバー

幸せの道を知っているのは『考え』ではなく『身体』である。

 

 

 

***

 

 

少しスッキリしてきたぞ。

確かに、小田さんを聴きながら、一人コンサートするだけでコップに水がまた満ちていくのがわかる。

幸せの道は身体が知っているんだな。

 

2020年の自粛期間にインプットしたことを、2021年にアウトプットしていこう。

アウトプットしてこそ学びは身につく。

 

 

***

 

 

小田さんは、もう73歳。2021年にもツアーできなかったら、どうなっちゃうんだ。

会いたいよ。。。。

 

 

 

 

 

 

字のないはがき

 

 

 

この絵本はすでにご存知の方も多いのでしょうか。

私は先日、孫とライン電話をする時に、何か読んでやれる絵本がないかと物色している時に見つけました。

 

「なにこの豪華なオールスター絵本!」表紙でびっくり。

内容にもグッときて、即家に買って帰りました。

 

 

 

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https://www.ehonnavi.net/img/cover/500/500_Ehon_124056.jpg

 

 

戦争が激しくなって疎開していく子ども達。

4人きょうだいの末の妹も、食べるものも手に入らなくなり、とうとう疎開させるしかなくなりました。まだ幼く字の書けない妹に、父はたくさんの葉書を用意し、全てに自宅の宛名を書いて渡します。「元気な日には、葉書に◯を書いてポストに入れなさい」と。

初めての葉書こそ大きな大きな赤鉛筆の◯だったのですが、次の日から急に黒鉛筆の小さな◯になり、日毎に◯は小さくなります。そして遂には✖️になり、やがて✖️のハガキも来なくなってしまいます。

 

 

この後、家族の小さな妹へ向けた愛のお話になっていきます。

 

***

 

この3人の作家についてあげるなら、私なら、西加奈子の『サラバ』になる。彼女のほぼ自伝で、5年を費やしたとあったと記憶する。登場人物に善人も悪人もなく、全ての人物に憑依しているのではないかと思うほど、性格や生き様から生まれる人の感覚の違いを見事に語り分けている。

 

この人、こんなにいろいろな人間をわかって俯瞰できるなら、きっと悩みないだろうなぁと感心した。

 

***

 

小説が臨場感。一方、絵本というのは、小説とは目線が違う。

自分が登場人物達の織りなす世界を俯瞰している。

 

小さな妹の気持ちも辛く切ないし、家で心配する家族の気持ちも胸に突き刺さる。

 

妹に言ってあげたい。「みんな、毎日あなたのことばかり思っているんだよ。決して一人じゃないよ」って。絵本の世界観は、自分も入っていけそうなふんわりとした設定で、手を差し伸べられそうで届かないファンタジーだ。

 

 

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老いた私の父が、最近弱気になった時、ぽつりぽつりと母親(私の大好きだったおばあちゃん)のことを語っていた。そんなことは今までなかったので、電話越しに、ちょっと姿勢を正して耳を傾けた。

 

戦後、父親が病死し、母親は何事も自分は我慢し、自分たち子ども達のために生きてくれた人。と話す反面、ずっと心に引っかかる気持ちを持ち続けていたらしい。

 

自分は愛されていたのか。

亡くなる間際の父への言葉が『(脚の悪い姉)S子のことを頼む』だけだったと。

 

父も私と一緒だったんだ。なんだ、一緒だったんだ。

 

小説の世界のように、人の心を描写してもらえたらいい。

絵本の世界のように、人の心を、ふわふわ浮かぶ雲から眺めるように、手にとるように見えたらいい。

 

でも、そうはいかないから苦しい。

 

***

 

後日、父からおばあちゃんの生年月日を確認して、少しかじった占いでおばあちゃんを見てみた。

「おばあちゃんはね、海のように広くて、穏やかで、それでいて自由な心の人だったと思うよ。おばあちゃんの愛は、そんなおばちゃんの脚のことでいっぱいになっちゃうほど、小さくない。お父さんのこともいっぱい思ってたんだよ」

と、偉そうに言っちゃったら、父は納得したのか否か

「そうか」

と、ひとこと言った。

 

 

 

 

 

冬の夜のお弁当作り 〜その2〜

今週のお題「お弁当」

 

※その1  の続きです。

 良かったら、その1からお読み下さい。

 

気を取り直し、私とK先生はそこから急いでおかずを作って、無事全員に弁当を持たせた。

 

 

 

その夜。また私たち二人は調理場に集合し、つつがなく、粛々とおかずを作り終えたのだった。

問題は、ねずみ対策だ。その夜は、昨夜のザルだけでは不安だったので、これまた業務用のまな板 30cm✖️50cm 厚さ5cmをその上から乗せて、これでよしと解散した。

 

。。。。

翌朝、まさにデジャブのように。。。。ザルとおかずが飛び散っている。昨日と違うのはでっかいまな板が、どけられている、さらなる恐怖だ

 

 

 

その夜も、私たち二人はめげずにおかずを作って、ザルをした。そしてその夜は、まな板を一気に3枚乗せる事にした。

  

しかし。。。。

私達は負けた。その得体の知れない、もはや小動物と言えるのかもわからないねずみに。。。。

 翌朝もおかず達は無惨に飛び散っていた。まな板3枚と一緒に。

調理台に足跡を残して、ニヒヒとほくそ笑む、巨大な小動物

 

 

もう私達の手には負えないと思い、上司のO先生に一部始終を話して指示を仰いだ。

O先生は「よし、今夜俺が見張っておく」と言ってくださった。

 

***

 

翌朝、久しぶりに10人分のお弁当のおかずの平和が守られた。

 

O先生は、刑事物に出てくるときの舘ひろしみたいな笑みを浮かべて私たちに言った。

「犯人わかったで」

「えっ、まさか子どものいたずらですか?」

「いや、猫だった。排水のところにほんのちょっと打ちつけが壊れた箇所があって、そこから体を細〜くして入ってきよった。」

 

と言うことだった。

ドヤ顔で話す時のO先生は、少年のように嬉しそうで嫌いじゃなかった。

 

 

 

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あの頃、スポーツイベントとかあると、女子職員は夜明けとともに調理場集合で、大量におにぎりを作った。数時間前まで当日分の洗濯を終えて、仮眠程度に寝る。それが雨天順延とかつづくと、調理場では全員えへらえへらとつまらない事にも笑えてくる変な人になりながら、黙々とおにぎりを握った。

 

 

先日アマゾンプライム篠原涼子の『今日も嫌がらせ弁当』を見た。

年頃の子には、確かに口で会話するより、お腹、舌、かも知れない。

お弁当が、綺麗に空になって戻ってきたら、顔でふてくされてても、今日もオールオッケーの返事なのかも知れない。

 

 

私は、まさにヤンキー男の子ばかり相手にしていたので、何も言わなくても、外で一緒におにぎりをガツガツ食べる姿は、母代わり冥利に尽きると言うものだった。

 

***

 

読者様のM様、子ども達に美味しい弁当作るんだぞ、なんちゃって。

 

 

冬の夜のお弁当作り 〜その1〜

今週のお題「お弁当」

 

 

私は、20代の10年間を児童養護施設で過ごした。職員として、50人の子ども達と寝食を共にした。

 

もう40年も前のことになる。その時の可愛い娘(?)が、50歳近くなってこのブログに読者登録して、読者様になってくれているので、彼女に、当時のお弁当作り秘話を、今だから明かしてみたいと思います。心して読むように。

 

 

***

 

 

今の児童養護施設は、もっと少人数制で、家庭的だと思うけど、当時は大所帯だった。

 

私は、中高生の男子6〜8人の担当だった。

食事に関しては、夏場は特に食中毒に気をつけなければいけない。冬場はそれでも、お弁当は前夜におかずだけ作って置いておくことが許された。

 

毎晩、女子中高生担当の仲良しK先生とお弁当作りをする。

卵焼き、焼売、、、彩りよりボリュームだったかな。

 

8〜10人分、中皿に各人の分を盛り分けて、詰めるのは翌朝各人の仕事となる。

調理場は深夜冷え込むので、そのまま配膳台に並べて業務用のおーきなザルを被せておく。

 

ところがだ。。。。

翌朝、調理場に入ってみると、ザルが跳ね除けられ、卵焼きや焼売、、、全部食い散らかされている。。。。

ま、ま、まさかのねずみ!?私は、小動物にはトラウマがある。こ・わ・い

 

つづく

※ごめんなさい、書いてる途中で、保存ボタンと間違えて公開ボタンを押してしまいました。

 続けて書きます💦

 

 

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恵みの雨降るコンサート

 

 

私が、魂を清めたいと思う時、ピアニスト川上ミネを聴く。

 

川上ミネのピアノの音は難しい音ではなく、ソフトで聴き易く理屈などない。

なのに、脳の奥底のスピリチャルな『魂』というところまで届いていく。

 

いっそ大泣きしてフラットになろうというときは、スタバでイヤホンで聴いても泣けてくる。

 

それは、彼女の活動が、単なる音楽活動にとどまらず、ピアノの音を通じて霊的な見えない尊いものに繋がろうとしているからなのか。

 

***

 

私が初めて川上ミネのコンサートに行ったのは、娘からのサプライズプレゼントだった。

当時スペイン在住だった彼女が、2017年12月、東京サントリーホール ブルーローズでコンサートを開くことを知って、チケットをプレゼントしてくれた。

 

次はきっと一緒に行こうと娘を誘った。翌年2018年9月の奈良 春日大社でのコンサートで実現し、そこで二人して生涯忘れられない、不思議な感覚を味わうことになる。

 

 

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春日大社創建1250記念

『発掘された千年のオカリナとピアノ』〜春日の神々とアンデスの神々に奉納する演奏会〜

とタイトルにあるように、オカリナ奏者フェルナンド・フランコとの共演だった。

 

控室から順次神主の先導のもと、春日大社林檎の庭に移動し、着席後に各人万灯籠に火を灯しお詣りをする。神聖な気持ちが盛り上がるうえ、暮れていく夕闇の中に美しく仄かな炎がいくつも揺れる。幻想的な気分にもなっていく。

 

 

***

 

 

しかし、楽しみな気分とは裏腹に。

出発前から、台風の接近が予報されており、主催者サイドに開催の有無を問い合わせなければならない事態だった。

風はあるものの雨はもっていた。

 

でも、屋根だけの社で、風が冷たく感じる。

悪いことに、日没とともに雨も降り出した。

 

寒さが気になる。「しまったなぁ。コート必須だったなぁ。」と思いながら、辛うじて持っていたストールを身体に巻きつけることに必死だった。

そうして、最初の2曲、気もそぞろのうちに終わってしまった。

 

ところが。。。。3曲目

ミネさんが曲紹介の時に、こんなことを切り出す。

 

「私達(オカリナの人と)は、世界を回って演奏会をしていますが、必ず雨が降るんですよねー。私達演奏家にとって、雨は。。。

(大敵だと言うとしか思えない、が、、、)

。。。何よりの恵みなんですよね。

このリズム、この旋律、人の力ではかないません。」

 

試しにと、なんと会場の灯りを全て消すように主催者側に、突然ごめんなさいと加えて要望するのだ。

自分たちは、「自然の中で明かりのないところで演奏するなんて慣れている」と言って。

そして「雨と灯籠の光と、神さまを感じて聴いてほしい」と。

 

魂が揺さぶられる演奏に涙が溢れる。

不安の種だった風がすごく気持ち良くて、もっと涙が出る。

巻き付けるのに必死だったストールを緩めて、もっと風を楽しみたいと思った。

 

 

***

 

 

この先、私がもっと年老いて、思い通りにいかず不安や絶望に襲われることもあるだろう。

ストールをしっかり巻き付けるように、身体をこわばらせてしまうかもしれない。

そんな時、きっとこの感覚を思い出そう。

 

共に生きる。

風や雨をネガティブに受け止めるか、ミネさんに導いてもらったように、恵みと感じるのか。

しなやかに生きれば、なんでも楽しく感じることができる。

 

そんなことを学んだ夜だった。

 

 

 

 

子ども育ての話

 

昨日、アマゾンプライム有村架純の『かぞくいろ』を見て、時折泣きながら家事をしていた。

有村架純が25歳で、再婚相手の10歳の男の子の母になる。しかし夫が急死してしまい、残された二人は、九州の夫の実家を頼っていく。

 

血の繋がらない二人の描き方がいい。有村演じる晶という女性は懸命に少年 駿也の母になろうとする。

それを表現するのに、よくあるエピソードだけど、学校でちょっかいをかけられた駿也が、抵抗するうちに相手が怪我をしてしまい、晶が呼び出されるという場面。学校に慌てて駆け込んできた晶は、状況がわからないうちから、相手の母子に平謝りし、駿也にも「謝りなさい」と言う。当然駿也は反発する。

 

見ている方も、晶の若さゆえの歯痒さを感じるところだ。

でも、私はいいんじゃないのと感じた。

 

親は、多少わからずやで、嫌われても。。。教育論の正解の話ではなく。

たとえ無駄な壁でも、子どもが大人になった時、笑って「こんな親だった話」ができるくらいの存在感があっても。それを、愛してるからこそできるのが親なのだから。

 

うちの息子は、この手の話に事欠かない。

今となっては笑い話なほど、主人は厳しい父だった。

 

息子達、30半ば世代は、父が怖かった話で盛り上がれるようで。大学の時、ある友達は父親からの着信音を、貞子のテーマの『来る、きっと来る〜』にしていると笑った。

うちも、私が「お父さんに言うよ」と言うだけで、「それだけはご勘弁を〜」とアラーの神に祈るポーズをしたものだった。でも、反面ちびっこ集めてサッカーしたり、一緒に汗をかいて遊んでくれる父でもあった。

 

 

 

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私は、卒業後6年間、児童養護施設で働いていた。家庭の事情で両親と暮らせない児童を集めて生活を共にする、親代わりをする。

 

弱冠20歳そこそこで、中高生の母代わりはできるはずもないが、一生懸命だった。

有村架純の晶ではないけど。

 

私の一生懸命は“逃げないこと”。自分を全部ぶつけていた感じだ。

例えばだけど。。。

高校生の男子を担当していたときは、もういつも取っ組み合ってあざだらけ。ヤンキー高校生に容赦なく殴られて、「終わった」と思った時もある。睨み合いの末、顔に魔法瓶を投げられて、目の下にアザを作っていたことも。。。。みんな50歳近くのおじさんになってるよね。

 

“私は逃げない“、あなたと向き合ってる、を伝えたかった。

中高生の女子を担当していた頃のある夜、忘れられない言葉をかけられた。

 

「あんな、今日の昼休み、学校の屋上で友達みんなとふざけてたら、誰かが何か落としてん。そうしたら、それが盛り上がって、椅子落としてみよかってなって。やってみよ〜ってなった時、banchan先生の顔がぱっと浮かんだんや。あかん、それやったら、絶対先生怒る、と思って。みんなに、それはやめとこって止めたんやで」と。

 

報われたーと思った。ありがとう、ありがとう、と心の中で繰り返し、「よし、よし」と言っておいた。

 

***

 

学習塾でも、以前は常に真っ直ぐだけだった。

 ところが、子ども達は、震災や度重なる豪雨、さらにコロナ、と繊細になっている。大きな心の波風を起こすのは、逆効果と感じる。包み込んであげる関わり方をしなければ、と感じる。

 

今は、そういう時代なんだと思う。

 

 

 

 

永遠のテーマ『不安』

 

 

娘がまだ高校生の頃、よく家族で話題の映画を見に行った。

 

娘の高校生活=陸上 だった。

中長距離で全国へ行けなかった日の、あのラストランは動画のように脳裏に蘇るし、帰宅後の娘の涙にはいっぱい想いがこもっていて、それ以降の娘の人生のテーマになるのだった。

 

我が家の、名作映画の一つに、『ありがとう』がある。

 

 

ありがとう [DVD]

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  • 発売日: 2007/06/27
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阪神淡路大震災で、家族の命以外全てを失った古市忠夫さんが、町の復興のため奔走する中、無事だった自家用車の中にゴルフバックを見つける。古市さんはそこから、還暦を前にプロゴルファーを目指す。

 

私は全編通して号泣だったが、隣に座っていた娘が、堪えきれないくらい泣いてるなと感じたシーンで、思わず娘の手を握った。

 

いよいよ数日間にわたるプロテストに臨む。マイペースで取り組む古市さんは、スコアを落として落胆している若者に声をかける。

 

「あなたは、今大きな穴に足を滑らせたと想像してごらんなさい。しかしかろうじて穴の淵に両手を掛けて助かっている。手を離したら穴の底に転落する。あなたは恐怖心でいっぱいだ。もう身動きが取れない。だったら、いっそその手を離して落ちてみなさい。案外底はそんなに深くないかもしれん。下まで落ちたら、もう一度這い上がってきたら良いじゃないか」

※古市さんは関西弁で、セリフ通り正確ではありません

 

どんなアスリートも、最後は自分の内面にある不安との闘いになる。期待されている。期待に応えられるのか。期待に応えられなかったらみんなはどう思うのか。

身動きのできないがんじがらめな不安との闘いなのだろう。

 

 

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私は、アスリートではないけれど、ブログをやって大切なことを教えてもらった。

 

つい最近の記事まで、私なりに、つけて頂くスターの数に一喜一憂し、読者さんの数が増えた、えー減った、と承認欲求の虜だった。頭ではわかっていても、凹む。

 

一方で、淡々と同じ時間に同じペースで記事を上げられる方や、逆に好きな時に好きなように書いて、読者数にこだわってないんだなぁという方に、すごいなぁとリスペクトはあった。

 

  

目の前に大きな川がある。私が、渡りたい気持ちは間違いない。見ると足場となる石がいくつもある。とりあえず目の前の石に慎重に片足の重心を掛けていく。ぐらつくようなら、別の石にする。たとえ時間がかかっても、渡りたいから、その作業を繰り返していく。決して目先の石にこだわらない。

 

 

ブログをやっていくって、この作業かな、とふと気づかせて頂いた。

数字を上げて頑張りたい人はその石に乗ればいい。交流を深めたい人はこっちの石。内容にこだわってスキルを上げたければこっちの石だ。

 

大事なことは、重心を掛けた時グラつくようなら、あっさりその石をやめれば良いということだ。

数字にこだわることが、私の心を不安定にした。

なのに、ぐらつきながら、その石にこだわっていた。広く見渡したら、大小色々石がある。

 

先輩ブロガーの皆さんとのやりとりや、記事を読ませていただきながら、いろんな石に足を掛けてみて、私が安定して、ブログをたのしめる方法を見つけられた。川を渡ることをたのしめそうだ。

 

 『〜でなければ』と、こだわってしまうと不安を煽ることになる

 

こっちもあるよって、手招きして下った先輩ブロガーのみなさんに心から感謝です。

 

 

 

さらけ出して伝える父の愛

 

 

今日も、島根の実家に電話をした。

老いた2人で暮らす両親に、遠方で暮らす私が出来るせめてもの親孝行と思って、1日おきに電話をかけることにしている。

 

 

3月末、仕事が長期休暇だったので、様子を見に帰った。

コロナのために1年ぶりとなった帰省は、良い結果をもたらした。

 

それまで父はすっかり弱気で、ネガティブなことばっかり言っていたのに、私が帰る頃には、復活の兆しを見せていた。疲れはしたが、一緒に出かけて、うどん定食をペロリと完食したことに自信を感じたようだった。

 

 

今日の電話では、声に力強さも戻っていた。

 

今日の電話は、私の方からも話したかった。

「今度は、こっちのお義母さんの様子が変で。このところ親戚が続けて亡くなられて、ショックで、鬱っぽいの。」

 

父は、そのことを切り出さなくても、最近の自分の変化を話そうと思っていたようだった。

「そげかー。ワシも腎臓癌がわかって、医者から余命3年宣告受けた時は、ナニクソ5年は生きてやるわ!と思ったけどな。

 

そのうち、免許も返納して、囲碁も行けなくなって、何の為に生きとるのか、何だかわからなくなるんだなー。

 

ほら、NHKで、チコちゃんとかいうのが出てきて言うがな『ボーッと生きてんじゃねーよ』って。

 

あれだがね。ボーッと目的も生き甲斐もなく生きてる人間ほど、死ぬことは怖いよ。」

 

数年前の父なら、ここから、では人はいかに死と向き合うべきか、哲学、仏教から宇宙の法則まで、自分が学んだ話を語るところだ。

 

でも、今日の父はこう続けた。

「いや、でもやっぱり死ぬのは怖いよ。

夜、頭でわかっても、朝になるともう忘れて、また怖い。

この間、お前を出雲駅に送ったがね。あんたは、左手を振って『さいなら』って言っとった。

ワシも、車の中から、手を振って『さいなら』って言った。聞こえんだろうが。

涙が出た。やっぱり死ぬのは怖いよ。」

 

そんな父がいとおしく、さらけ出して語ってくれる、何にも勝る教えだ。

 

 

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父と話すと、ホッとする。

 

2年前、私の耳鳴りが発症し、とても酷かった頃のこと。全ての音が半音下がって聴こえてきて雑音でしかなく、うるさくて頭が痛くなるのでイヤホンをつけて暮らしていた。

 

その日も、耳が辛くて悲しくて。親に泣きつきたくなった。

最初に出た母も、トンチンカンながらも心配してくれた。

でも、父に代わって声を聞いたら、涙ながらになってしまった。

父は、いきなり

「お釈迦さんが言いました。熱くなった金の菜箸を持つとするなら、熱いとわかって持つ人は、何も知らずに持つ人より火傷が軽い。

お前さんは自分のことがわかっているから大丈夫。

何もわかろうとせず、騒ぎ立てる人もおるからな」と。

 

それをきっかけに、いっぱい泣いたら少し楽になり、いっぱいぶちまけてもっと楽になった。

 

貧乏だったけど、愛して育ててもらった。